江戸時代の和算収録書

          高良山神社の算額
(あなたも解いてみませんか)

問  小円の直径の長さと、黒の部分の面積が分かっているとき・
小円の個数を求める方法を述べよ。           
(いま仮に小円の個数を九個としている)

 

問  外円の直径は六十寸、甲円の直径二十寸、丙円の直径が二十八寸
のとき、乙円の直径を求めよ                    

和算とは

 いま日本の小学校、中学校、高等学校で取り扱われている算数や数学は、明治以来西洋から輸入されてきた数学で、以前から日本にあった数学ではありません。現在学校で皆さんが習われた西洋の数学を「洋算」と名付けるとすれば、明治以前から日本にあった数学を「和算」と名付ける事が出来ます。
 「洋算」は、もともとギリシャでから発生した数学です。しかし、「和算」は、中
国で発生し、奈良時代に日本に輸入されて、江戸時代になって開花発展し、日本各地に「和算家」と称する者がぞくぞくと出てきて、お互いにいろいろな問題を作ったり解いたりして、各藩の知性jの高さを競い合ったものです。そして、難しい問題を解いたときは、その問題と一緒に解答をつけて、それぞれの神社仏閣に絵馬として奉納する習慣が、江戸時代に行われていました。この奉納された数学の絵馬が「算額」といわれているものです。つまり、研究したものを発表する機関として神社仏閣が使われたのであるといってもいいと思います。このことは世界の何処の国にも見られない、日本独特のものです。
 こうして、江戸時代末期までは、日本国中の神社や仏閣の至る所に「算額」が掲げてありました。
 ところが、其の後は火災や戦災などによって、相当の数の「算額」が失われてしまったことは、日本古来の独特の、「数学」にとって惜しむべきことだと思います。
 上図にあります「神壁算法」と「解惑辧誤」の書物は、江戸時代における、こら
の「算額」を集めて印刷したものです。「神壁算法」の中には、久留米市の高良山神社に奉納されていた「算額」ニ題も印刷されているのです。そのニ題がその下に表示してあります。ただし、この「算額」は、江戸時代に何らかの原因で消失しており、現在の高良山神社には残っていません。しかし、この「神壁算法」の書物があるために、昔の日本人がどのようにして数学の問題を解いていたかがよく分かるのです。
 「和算」といえば、何だか泥臭く、時代遅れの低級な数学の様に思われる方がおられるかもしれませんが、その歴史や、内容を仔細にしらべていくと、実に高度な数学を江戸時代の日本人が研究していたことが分かります。とくに、久留米藩の第七代藩主である「有馬頼ゆき」が刊行した「方円奇巧」という数学書は、円の研究としては世界に誇るべき数学書であるといわれています。
 また、江戸時代の和算家たちは、どのような複雑な計算をもいとわない忍耐力を持っていました。たとえば、現在の高等学校の微分積分を利用して解いていく三次方程式や四次方程式の根(解)を、小数以下十桁ぐらいまで計算するのは朝飯前であり、1458次方程式をも計算で解いて行くなど、まさに神業と思われるようなことをやっていました。
 私達は、「和算」や、其の研究成果を神社仏閣に奉納した(発表した)「算額」を調べることによって、昔の日本人がいかに数学的才能に秀でていたかを再認識することが出来ます。