善 導 寺

由緒

鎌倉時代鎮西上人が開山
筑波の名刹大本山度善導寺は、源平争乱の後中世への転換期に開創された。筑波の在国使兼押領使であった草野氏を外護者とし、鎮西上人(聖光房弁長)が開山となり、13世紀初頭に浄土宗寺院としてその歩みを始めたのである。鎌倉佛教の幕開けは、佛の元祖、浄土宗開祖法然上人による立教開宗である。その法然上人の直弟子で二祖上人(浄土宗二代)といわれる鎮西上人によって興隆の基礎がつくられ、現在も浄土宗大本山として九州浄土宗の拠点、念佛の根本道場である。
伝説には、鎮西上人が遊行の途中、6人の盗賊に遭い、その6人を教化改心させたという。その地を佛法有縁の地と定めて井上山光明寺を建立された。のちに改めて善導寺といわれるようになったのである。

鎮西上人終焉の地
鎮西上人は、応保2年5月6日(1162)、筑波香月(北九州市八幡西区)に香月城々主の甥として誕生された。母上は出産のため落命され、上人はのちに産屋の跡に吉祥寺を建立されている。
幼少にして出家され、やがて法然上人との出逢いにより師事すること8カ年、その後九州に下って48カ所を創建されたのである。浄土宗の本義を第三代然阿記主良忠上人に授け、嘉禎4年2月29日(1238)77歳で示寂された。滅後仁考天皇より「大紹正宗国師」の号を賜った。著書に「末代念佛授手印」等多数ある。