年   号 西 暦    事              項
景行天皇12年
仲哀天皇9年
履中天皇元年
継体天皇21年
天武天皇2年
神護景雲元年
延暦14年
弘仁9年
天安2年
宣平9年
延長5年
安和2年
寛仁元年
文治4年
文永5年
延元元年
延元3年
正平8年
永禄7年
永禄12年
天正14年
天正15年
同年
天正19年
元和6年
承応元年
明暦元年
万治3年
寛文9年
享保2年
安永6年
寛政8年
明治元年
明治4年
明治6年
大正4年
昭和16年
昭和47年
平成3年
平成4年
 82
 200
400
 527
 673
767
795
818
858
897
927
969
1017
1188
1268
1336
1339
1352
1564
1569
1586
1587
1587
1591
1620
1652
1655
1660
1669
1717
1777
1796
1868
1872
1873
1915
1941
1972
1991
1992
7月、熊襲征伐。高良山に天皇行在所(肥前風土記)
3月、神功皇后、東光寺付近に御駐輦、旗崎の由来(高隆寺鐘銘)
高良玉垂宮創建
6月、筑紫の国造磐井反乱
隆慶、高隆寺建立
勅使を以って大祭礼(御神幸祭)が開始される
始めて高良神に従五位下を授けられる
高良玉垂命神、名神大社に列せられる
伴神豊比盗_、従四位下に叙せられる
高良玉垂命に正一位を授ける
高良玉垂神社、豊比盗_社・名神大社に列す
高良山に官符を以って大宮司をおく
筑後高良社、1代1度の奉幣に与る
後白河法皇、京都醍醐寺座主勝賢権僧正に高良社を復興させる
蒙古調伏の勅使下向
筑前多々羅浜に出陣中の菊池武敏、高良玉垂宮に戦捷祈願
菊池武重、豊後大友時氏と高良の峰に戦う
懐良親王、高良山の御陣、菊池武光・五条頼元等と小弐頼尚と戦う
大友宗麟、高良山に本陣をかまえ、筑後諸国を攻略
大友宗麟、再び高良山に陣を構え、肥前竜造寺隆信と戦う
島津軍、高良山を攻撃、全山焦土となる。
秀吉、島津征伐の為、吉見嶽に本陣を置く
小早川秀包、久留米城となる。高良山神領千石
秀包、高良山座主麟圭を暗殺
有馬豊氏、久留米城主となる
有馬家第2代藩主忠頼、三代将軍家光の廟を高良山に建立
第2代藩主忠頼、大鳥居寄進
第3代藩主頼利、神殿拝殿造立
座主寂源等、藩主に訴え、300年ぶりに祭礼を復活
第6代藩主則維、高良山祭礼を再興、祭神を武内宿弥にする
第7代藩主頼僮、神門寄進
第55代座主伝雄僧正、桃青霊神社建立
廃仏毀釈令発令、本坊初め多くの寺堂を廃棄
高良玉垂宮、国幣中社高良神社と称す
高良神社祭祀復活、主祭神を玉垂命とす
高良神社、国幣大社に昇格
高良大社1550年御神期大祭斉行
本殿・幣殿・拝殿並びに石造大鳥居、国の重要文化財に指定される
高良大社1600年御神期大祭斉行
神幸祭復活、御輿三基市内へくりだす