神寶
四○、神寶

由緒古い神社の事である。古から傳へられた神寶の数々は極めて多かった筈であるが、其等の多くが、最権者であった座主の保管となって居た関係上、或は戦国兵乱のとき、或は明治維新の当初に於いて其の大部が散失した事は惜しみても尚余りあると云わねばならぬ。「麟圭(座主)と毛利秀包と隙有り(中略)秀包戦い克つ能はず、依て麟圭及び長子両巴を誘いて之を誘殺す、此の時に当たり神祠仏堂悉皆破廃し、神宝寺賓大半紛失」(御井寺記録)したものが、又「当時(明治初年御井寺廃絶せんとした時を指す)正福寺の亮宜なる者、即ち御井寺住持となり、高良山より運び蔵むる重宝什器過半之を売却」(同記録)してしまった。然し現時に於いて尚明治四十四年四月国宝の指定を受けた応安四年(西暦1371年)筆写の紙本墨書(覚え一本)「平家物語」十二巻一部を初め、斎衡文書(斎衡三年(西暦856年)国司桑田真人以下連署、大祝大継ぐに附する公文書。天慶文書(天慶四年(西暦941年)国司吉志宿禰以下連署、筑後国神名帳)。大祝文書。国友太刀(源頼朝より大友家に傳へ、後大友より当社へ奉納した二代国友の作)。船釘太刀(対馬国主宗阿波守奉納、豊後新太夫行平作)。青江太刀(元徳三年)(西暦1259年)備中国青江の住人、右衛門尉平吉次の作)其の他後鏡二面(何れも漢魏及唐初時代のもの)等多数を蔵して居る。

鷲尾素雪

鷲の尾や富士はとあれ峯の雪   泰秋

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