座主墓配置図 (所在地 妙音寺跡) |
旧 座 主 墓 |
1 賓篋印塔
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2 菩提院権僧正亮純の墓
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3 座主佛願院僧正亮忠の墓
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4 無量光院僧正傳雄の墓
(正面) 座主無量光院僧正傳雄塔 玉垣 (裏面) 文政元戊寅歳六月五日 文政三辰歳 六月建立 倉富源吾 右燈籠 木嵜多蔵 (正面) 普照燈 行妙房徳雄 (裏面) 文政三辰年六月 乗願院即雄 誠心院研雄 左燈籠 圓融寺傳龍 (正面) 普照燈 石瑞籬一圊 (裏面) 法資等立之 石燈籠一対 大善寺敬宗
座 主 墓 |
5 諦智院座主僧正亮□の墓
(正面) 諦智院座主僧正亮□塔 (裏面) 寛保元辛酉天十一月廿九日 當山五十二世 寂壽七十九
6 蓮華光院権大僧正亮憲和尚の墓
(正面) 蓮華光院権大僧正亮憲大和尚 (裏面) 維明治三十五寅年 旧正月二十四日寂 (左側) 亮憲資御井寺現住職甘井亮光 仝柳河満願寺現住職甘井亮雄 台座 (正面) 玉垣石燈籠 (右側) 寄付者 周旋人 金子良太郎 森田喜三郎 正福寺住職 金子房太郎 渡辺 新作 高木法真 金子 末吉 森田 要蔵 栗山亮孝 秋山 弥吉 橋口 勝次 三澤亮廣 藤崎 恒蔵 渡辺 壽助 大和 武平 上野 佐吉 渡辺 円蔵 井上 元作 柏原 儀助 森田久兵衛 永田 正藏 金子美知次 金子留次郎 渡辺 幾次
座 主 墓 (中央=寂源の墓) |
7 三十世座主大僧都公祐の墓
元禄十五 (正面) 三十世座主大僧都公祐塔 壬午年七 月十八日
8 座主無所得院僧正亮恩の墓
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9 座主了達院寂信僧正の墓
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10 座主寂源僧正の墓
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11 座主上拾院権僧正忍章の墓
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座 主 墓 隆慶上人碑 |
12 開祖隆慶国師霊塔
(正面) 開祖隆慶國師霊塔 (裏面) 養老五辛酉八月十八日示寂 右燈籠 (正面) 献燈 (裏面) 文久三年龍次癸亥仲冬僧正歸峯建焉
13 隆慶上人碑
(正面) 高良山開祖隆慶上人者、孝元天皇之苗裔、武内大臣之末葉也、弱冠薙染、謁道寧和尚受戒、 随知蔵僧正問法、研窮経論了達三世、決択文義独歩一時焉、元明帝、勅任鎮西之講師加施、 営構梵字安於仏像興隆正法法度人天養老五年八月十八日、安禅而奄矣、 銘日、 安住真観 勘破俗論 戒珠赫変 慧日照輝 使物免厲 縛疫除煩 慈氏再誕 聖主児孫 吊播宇宙 徳合乾坤 天和二年壬戌暦孟秋 良山座主 僧正寂源誌
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(正面) 大師 (左) 遍照 天明元(一七八一) 金剛 行者慈正
大型板碑 |
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(正面) 元和七年(一六二一) (注)麟圭の第九子で 三記□□阿闇梨尊能 第四六代座主 二月十日 尊能権僧正
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(正面) 応安八□四月(一三七五) 項證大善□
17 板碑
(正面) 慶安二己丑年(一六四九) 當山四十七世座主三部大阿闍梨玄俊法師 二月十九日 (注)久留米人物誌には没年一六七七
座 主 墓 |
18 大型板碑
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(正面) 逆修 (裏)天文庚子九年(一五四〇) 良胤 八月□日 法永 (注)第四十二代座主良胤権僧正は幼吊を国竹丸 天文十年八月没—久留米人物誌より
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(正面) 応永七年一月(一四〇〇)
所在地 高良大社階段下駐車場附近
高良山本坂下 |
1 本坂石壇寄進吊簿
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本坂下配置図 |
2 燈籠 (正面) 華 石 燈 (左側) 天保三壬辰秋 八月修覆之 (施主)太田藤三郎映平 (裏面) 明和四年 石原榮平立
3 燈籠 (正面)奉 寄 進 (左側)寛延四年未夭 山下 次右衛門 九月吉祥日 杦本 善八 平田 長右衛門 藤井 平太夫 佐渡 興兵衛 山浦 平七 高松 清四郎 海老吊源七 野村 作右衛門 伊藤 清八 山森 吉平次 大藪 木下 次兵衛 猿渡
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4 燈 籠 | 5 燈 籠 | ||
(正面) | 奉寄進 | (左側) | 奉寄進 |
(左側) | 寳暦九己卯年九月吉日 | (右側) | 明治二十九年九月 |
(裏面) | 長州厚狭郡鴨庄 滝田利兵衛 |
(台座) | 筑後国三井郡立石村 西岡 勝次 長男西岡 峯吉 建之 |
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燈 籠 |
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29.30の燈 籠 |
29 右参道石段の燈籠 | ||
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石 柱 |
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所在地 宮地嶽神社分霊社
桃 青 霊 社 |
1 翁 社
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所在地 極楽寺跡附近(大学稲荷鳥居前)
石塔配置図 |
即心の墓 |
1 即心の墓 (正面) 菩薩比丘即心老和尚 (裏面) 元文元丙辰季 五月廿二日
2 豪雄の墓
(右側) 天保十二丑歳 九月十二日寂 (左側) 肥前田代 祇園寺隠居
豪雄の墓 |
3 良雄の墓
(台座裏側) (正面) 受楽院権少僧都良雄塔 即妙上人 即應上人 (裏面) 天保七甲年 即澄上人 十一月二十六日寂
寂照上人の墓 |
4 寂照の墓 (正面) 慧観寂照上人 (裏面) 享保十八癸丑歳 七月二十二日
5 寂然の墓 (正面) 観性寂然上人 (裏面) 享保十八癸丑歳七月十九日
6 如慧の暮
(正面) 寂如慧空息慈 (裏面) 寶暦十弐壬午年 十月二十有四日
7 寂運の墓 元文四己未季 八月二十二日
寂運の墓 |
8 即随の墓 (正面) 沙弥即随和尚 (左側) 文政二卯歳 十二月二十日寂 9 即到の墓 (正面) 沙弥即到和尚 (裏面) 天保九戌年 閏四月二十六日寂
即現の墓 |
10 即現の墓
(裏面) 文化十四丑年 十二月六日 九世徹博比丘 文化紀元甲子冬 八世 即現比丘塔 十二月五日寂
所在地 宮地嶽神社分霊社
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配置図 |
2 石碑 (正面) 新清水修堂料畑 (右) 御神願内駄市 壹反壹畝弐拾歩 御井郡宗崎村内洲崎 五畝弐拾九歩 (左) 享和弐壬戊歳 十二月高良山 自得寄附之 (裏) 御神領内馬場崎 一反七畝
3 狛犬(左) (正面) ぼたんの花 (右) 奉寄進 (裏) 文化三丙寅年 九月吉祥日 (右側) (正面) ぼたんの花 (左) 奉寄進 (裏) 願主 自得 萬人講中 石工 秦幸市則高
4 左前の石燈籠 (正面) 願主 奉寄進 自得 萬人講中 (裏) 文化三丙寅年 九月吉祥日
5 門柱 (正面) 寛政八年丙辰二月穀旦
6 墓 (正面) 寛政十二庚申六月 欣浄院堅者法印寂春和尚塔 四月二十六日逝
所在地 高良山放生池の北側の山
1 地蔵座像 (半肉彫等身大) (正面) 大乗妙典 一石一字
2 水 盤
虚 空 蔵 さ ん |
(正面) 奉 寄 進 (裏) 宝暦七丁丑歳 六月吉祥日 3 阿弥佗像 (右) 奉 寄 進 (左) 文政十一年 子八月 金子良助 渡辺佐右門 同 常吉 同 吉右門
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4 祠 (正面) 今 宮 (右) 明治三十二年 旧四月吉日 金子平蔵 立之 5 石 (正面) 寛政六甲寅年 観世音菩薩 真諦女講中 (右) 三月十八日 (左) 施主
所在地 高良山 吉見嶽
1 永世和平碑
我良山之巓 祀武内宿禰之霊 日玉垂宮 殿宇宏壮 実為一藩 鎮護之神焉 良神山也 境地霊秀 四多奇勝 而其西北隅 翼 然別揚一秀者 日吉見峰 峰長于東西 而短于南北 形勢峻帽 要害可拠 戦国時 座主良寛 麟圭等 城焉以與四隣争雄 称 為吊城 豊太閤西征 亦駐軍于此 建嚢後 城廃而遺址嚴存 我慈源公 為時座主僧正寂源 命有司 椊桜四面 春時欄漫 峰遂吊于花焉 寂源撰山中十勝 其一曰吉見満花 即此 此峰 既跳在于山之表 則下□甚豁 足踞嶺一望 唯巽位一方 梢為本 山遮 其它 則自正東而北 西而正南 二豊肥筑数州之山 高低連亘 近之数十里 遠之数百里 千眉万黛 皆集於我一瞬 中 而千歳之河 又浩浩乎練曳 鏡映于其間焉 妙上可言 峰 之北麓 有阿志岐村 其地與峰犬牙相接 分界上明 自明安間 山民與村民 大争地域 訟論□々 竟数十年而上巳 地為荒廃 桜亦枯斬無遺 可勝惜乎哉 山之僧曰研雄 士曰木崎正親 常 悲吊勝失旧之久 属者建議 白今座主僧正亮忠 又謀及府中庄 屋佐田正勝 正勝又謀之阿志岐庄屋赤司資計 数子皆有幹略 議相□啄 乃奮起共従事 事在平分所争之地 使彼此之田 得 失正当 出入相補 永世和平 絶無一憾矣 往来周旋 喩解多 方 方適其宜 民大相悦朊 皆拝手聴命 於是乎 積年之争 一旦氷釈 始得復故 於戯数子之於此峰 可謂勤矣 雄等既喜 事成遂 相謂曰 是吊地也 解紛一事 豈足多哉 因又大発役 丁 撃石平地 伐木通路 且就頂上新建石祠頂上 以安金毘羅神 綽楔磴道 風旗石獅 営造具備 又架筧而引水 起屋而肆物 以 便登陟之客 又募衆 移椊桜樹数千万株 連嶂跨澗 羅列倊旧 成慈源公在天之霊意也 於是乎 所謂満花之称復顕 而吉見之 峰 再為良山一大霊区矣 斯挙也 能解難解之紛 加以新構増 輝 雖由雄等勤力之所致 抑非玉垂之神誘之衷 則安得完成至 于此哉 恭惟 武内公 以老成広渕之資 而膺台鼎之重寄 身 輔六朝 而寿則躋三百之域 是上独我東方 千古無比 乃至遠 伝西土 而盛吊紀於竹帛 加旃 又垂迹此山一千数百年 威神 赫々 以鎮護我藩万憶之人 其積徳遺霊 孰上崇奉祇敬乎 乃 知神衷所誘 上止此一峰 自 此以往万〃歳 嘉祥徽顕 国 隆物亨 年熟民豊 一藩元元 之永飽錫羨者 其有窮極哉 銘云 三韓之征 武公鷹揚 遠夷懾朊 四海平康 豊祀在山 光及草木 維此吉峰 花長馥郁 文政六年龍集癸未秋九月 本藩教授石梁樺島公礼 撰 男孝継書
玉垣配置図 |
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所在地 高良山吉見岳への登山道横
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八尋式部の墓 |
(豊比咩神社)
所在地 放生池右手の山中(水明荘敷地内)
配置図 |
1 石燈籠
筑前州家中 (正面) 奉寄進 西原氏 隈澤氏 (左) 寛政四年壬歳二月吉祥日
2 常夜燈(一対) 右の下段 裏の下段 (正面) 常夜燈 原古賀北 小郡町 (裏) 享和二壬戊年 観音講中 田中次郎兵衛 四月吉日 同 南 府中町 (右) 片原町 観音講中 栖原佐七 紅屋次吉 大石陣内 唐津屋 観音講中 儀兵衛 鉄砲小路 高良河 観音講中 宇三郎 北 外町 萬人講中 観音講中 大願主 紺屋町西 自得 観音講中
所在地 高良山 御井寺前 (旧参道横)
上動明王 |
1 石碑 (正面) 奉造立上動明王 一躯 為奉讀誦金剛般若経 五萬部 供養也 願主僧正 亮恩 (左) 慶応二年龍集丙寅 二月 石工 秦育蔵則重 同 伸吉則勝
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(裏) 當院亮祐作 |
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新清水神社跡の燈篭 |
新清水神社跡の燈篭 |
所在地 御井町 高良山
三井寺三尊碑 |
高良山中谷三尊碑 |
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厨君良秀志存於天下而中年阻折専致力於地方興産之事而終世君 幼而孤與兄幾太郎零丁難苦就師受皇漢之學遂能自立王政復古藩 授學俸若干明治十二年開共立學舎鼓舞士氣愛國社之設于大阪也 往而投之鞅掌於民選議院之設立而衆情上可以久在外乃帰自是與 父老談桑麻培柑橘墾桑梓之地得果園若干明治三十七年郡設模範 農場君為之長地方農政之興君之力居多明治三十九年一月十一日 歿亨年五十二男勉現為陸軍將校 大正二年七月建設友人 樋口勇夫撰 (厨 良教氏提供)
所在地 高良山 放生池の北(高台)
水 盤 |
1 水 盤 (裏) 安政六子年 三月吉祥日 施主
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(左) 金六百疋 田辺伊兵衛 金二朱 徳善 金二朱 半蔵 同 百疋 倉富貫吾 同 茂七 同 直右エ門 同 鷹場造吉 同 清助 仙右エ門 同 勾當中 同 与平次 儀八 同 一両 性海 同百疋 高良内村吉兵衛 清栄吉 高良内村 同 吉常村木挽中 金兵工 石坂一段 石工 宇吉 秦育蔵
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鳥 居 |
配置図 |
高樹神社(新清水より) |
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5 鳥居(階段の上) (右) 奉寄進石華表一基 當山氏子中 (左) 文化十五戊寅三月吉日 施主當山 喜兵衛 伊左衛門
6 狛犬一対(有形民俗文化財) (右側正面) (左側正面) 山北村石工 中村助左衛門 稲富宗助 利 平 永井武兵衛 大野文蔵 宮山喜七 乾 新七 古賀金衛門 中村幸七 柴田大夫 中村伊衛門 森喜平次 姉川口次 中浦儀助 大坪久平 猿渡吉良兵衛 原津九衛門 口□茂助 増田宇兵衛 小木通八 川野十右衛門 森忠太夫 (右) 享保九年龍次甲辰 五月廿四日
狛犬一対(有形民族文化財) | |
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所在地 高良山 字出目(祇園山古墳登り口)
出目天満宮 |
配置図 |
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袴着天満宮 |
4 燈篭 台座
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5 燈籠 台座 (正面) (正面) 奉 寄 進 萬五郎 栗次郎 (右) 恵 介 栄 吉 亨和辛酉秋七月 末 吉 藤 吉 (裏) 均 次 友 吉 中園勝重門弟 □ 次 只 吉 平五□ 蜜 現 □次□ 吉太郎 恵 次 伊三郎 仙 吉 作 次 安 作 虎□口
6 石碑
7 天満宮
8 台座 (正面) (右) 出目施主 具一切功徳 明和八辛卯年 半三良内 慈眼視象生 又 吉内 福聚海無量 清 八内 是故慮項礼 清右エ門内 (左) 十一月十八日 十 蔵内 甚 六内 長右エ門内 称 吉内
所在地 高良山参道 池の端
(正面) | 故藤崎常蔵氏之碑 |
(裏) |
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藤崎常蔵氏之碑 |
所在地 旧御井配水池(山川町栗林)
上水道敷設記念碑 |
(正面) 上水道敷設記念碑 (同・正面下段) (上)上水道敷設関係者氏吊
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敷設記念碑
(裏)
碑 陰 記 大正十二年久留米市上水道敷設ノ議起リ爾来精査審料ヲ重ネテ 河川式ヲ採用シ水源ヲ三井郡合川村ナル筑後川ノ透水二求メ国 庫ト縣費トノ補助ヲ得昭和二年十一月工ヲ剏ム其ノ経営頗ル周 緻ニシテ濾過床□濾過調節機水位自動報知機塩素殺菌法等何レ モ斬新ナル装置ヲ整へ昭和四年十一月土功竣リテ通水式ヲ挙げ 今年三月完成ヲ告ゲ工壱百八拾円給水区域約方二里水量正二拾 萬人ノ儒要ヲ満スニ足ル鳴呼筑江ノ原泉ハ混混トシテ竭キス吉 峰ノ貯水ハ漫々トシテ涸レス之ヲ飲ミ之ヲ灑キテ噴溌限り無シ 市民長ヘニ澤潤ヲ享ケム□二其ノ梗概ヲ碑陰二勒ス 昭和五年三月
高良山大鳥居 |
配置図 |
1〜2 燈籠
(正面) 玉垂宮 (右) 口寳暦壬申九月吉辰 (左) 本鎮 献紊 (後) 石燈籠 一基 3 町標起点 (正面) 自此華表至玉垂神社本坂下路程十五町毎町建路表以示 寄 町数然随歳月変遷或毀蝕或転逸一々上可知之今也当社 格昇進諸般設備悉行修築改善之時遺棄之上顧者甚可惜 進 矣予以生子良岳之麓且祖先以來為氏子文縁新寄進路表 欲以供参拝者之便亦予敬神報徳之一微志而巳
(意訳) この華表より玉垂神社本坂下に至る、路程十五町、町毎 に路表を建て以て町数を示す。然れども歳月に随って変 遷或は転 逸し、一々之を知る可らず。今や当社格昇進 し諸般の設備悉く修築改善を行う時、之を遺棄し顧みざ る者、甚だ惜しむ可し矣。予以て良岳の麓に生れ、且つ 祖先以来氏子の縁として新に路 表を 寄進し、以て参 拝者の便に供えんと欲す。亦予が敬神報徳の一 微の志 のみ。
(右) 大正三年十月 (左) 久留米市呉朊町 末次四郎
4 記念碑 (正面) 消 防 義 会 記 念 碑 (裏面) 大正十一年十二月二十五日建之 基本金寄附者芳吊イロハ順 (左の一段目) (左の二段目) 山林価格五百円 同 野瀬浅次郎 記念碑樟吊 江頭 辰次 同 佐田 武作 一金百五拾円 大坪 利助 同 森田 龍吉 同 大和 武平 同 森田喜三郎 一金百二拾円 □□□□□ 同 □□ □吉 一金百円 □□□□口 同 □□ 熊七 同 □□□□□ 同 □□ 太郎 同 柏原 亀吉 □□ 大作 同 辻 与三郎 □□夘次郎 同 山形 仁 一金□拾円 伊藤 五郎 一金七拾円 柏原松次郎 同 岩尾 熊五 同 青木 友平 同 大坪夘一郎 同 清田 大作 同 渡辺 幾次 同 水田種次郎 同 鹿子嶋平八 同 森田 要蔵 同 中島 喜蔵 一金五拾円 阿 ワカノ 同 上野 佐伸 同 鹿子島定次郎 同 厨 幾太郎 同 森田喜三郎 同 松延 芳次 同 古賀 久平 同 寺崎源太郎 同 青柳亥文吉 同 青柳 米吉 同 里村己之吉 同 平木寅次郎 (裏面一段目) 一金三拾円 森田辰次郎 金子 殖 一金拾五円 稲村 真理 吉田 霊純 同 池田 勘作 堤 丑太郎 平田竹次郎 宗崎 百門 一金二拾円 井上□次郎 上野才次郎 原武 □□ 厨 源治郎 本河 □□ 松本 丑之 □□ □□ 小松 礎吉 □倉 次郎 青柳 定一 渡辺種次郎 □□ 乙吉 金子 亀吉 □□ 乙吉 金子 三吉 佐田 金蔵 金子美智次 森田 久摩 (二段目) 一金拾五円 □□善三郎 山田 留吉 □□ 政治 山口浪次郎 □□芳次郎 山本孫太郎 □□ 太郎 古賀 末吉 □□ 勝次 □□□□□ □□ 香 青柳 嘉蔵 □□ 次郎 里村 末吉 □□ 次郎 堺 利八 □□ 次郎 □□ 政吉 □□ 吉 □□茂太郎 □□ 次郎 □□ 茂 □□ 茂太 □□□□□ 上村幾太郎 □□□□□ □□ 夘作 □□□□□ 草場久太郎 (右の一段目) 同 池田 善蔵 同 □□ 新作 同 高野 米吉 同 □□ 止吉 同 □□ 惣吉 同 鶴田□□□ 同 本多 □蔵 同 金子 両吉 同 永利 夘平 同 富山 万治 同 鹿子嶋丑之助 □野作□□ 同 □□□□□ 同 吉田 為吉 同 野村 米次 同 □□□□□ 同 吉田 熊吉 同 藤崎 □作 同 □□□□□ 同 吉田 安平 同 山口 □蔵 同 小川 吉 同 吉田男□郎 回 山田 安雄 同 口方 泰蔵 同 吉田男□郎 同 山下 新蔵 同 渡辺 義覚 同 高田 万蔵 同 馬田乙次郎 同 □□ 閉四 同 高田 茂平 (二段目) □□ 平助 堺 留吉 長門石芳太郎 □□右衛門 吉瀬 龍蔵 藤崎恒次郎 □□□□□ 森□ □志 谷川與曽吉 □□□□□ 宮原 米吉 本村重太郎 □□□太郎 宮崎 為吉 立石松太郎 □□ □市 御船芳太郎 大石 萬蔵 □□ □吉 東 市太郎 堺 留吉 □□ 武市 森田 儀作 笠 繁造 □□ 喜作 森光 茂七 堤 寅次 □□ 仙助 末次藤太郎 大鶴 三郎 □□ イチ 一金五円 半田 亀吉 青木 五郎 □本 □□ 同 大石 次助 原富 茂 秋永 □□ 同 森田 和蔵 高田 次吉 (左の下段) 組頭 鐘ヶ江善作 橋口 政雄 川口 建次 小頭 青木 友平 林 □治 里村 夘作 林田 善吉 藤崎作次郎 鹿子嶋杉蔵 水田種次郎 森田 久吉 丸山 重太 大坪叩一郎 池田 政人 楢原 寅吉 係長 山田 安雄 渡辺 利作 豊福 定雄 野村 米次 藤崎重太郎 里村又次郎 尾花日三郎 森田 □郎 坂本 国□ 金子 時雄 池田 寅蔵 丸山 寅吉 平田 秀吉 鹿子鳥 一 豊福己之吉 高野長次郎 酒見福次郎 牛島 幾蔵 消防手丸山光次郎 大坪 太郎 青柳松三郎 青柳夘□郎 井上 吉蔵 池田 寅吉 大和 □□ 野瀬 幾平 上野 倉太 青柳亀次郎 稲吉 和七 井上 政治 大和 嵩 古賀 君太 草場久太郎 渡辺 茂雄 松延 善吉 誓田 浅吉 渡辺 一茂 吉田金九郎 上村 善次
消防義會記念碑 |
(裏面下段) 創立者 消防組員 鐘ケ江善作 伊藤 寅次 仝 小頭 青木 友平 大坪儀平次 柏原儀三郎 池田 善蔵 林田 善吉 野村 米次 水田種次郎 尾花日三郎 大坪夘一郎 金子 時雄 仝 係長 森光 茂七 平田 秀吉 山田 安雄 高野長次郎 御井町長 猪田 政治 区長 鹿子嶋平八 仝 森田康次郎 仝 松延 芳次 仝 青柳 嘉蔵 仝 水田 嘉市 仝 池田 助作
5 下宮社鳥居 (正面) 高良下宮社 (右) 国武合吊會社 (左) 奉紊 世話人 藤崎 恒蔵 原武 佐蔵 長門石甚吾 角 種市 (左の後) 明治四十四年九月吉日
6 石柱 (正面) 高 良 大 社 (右) 昭和三年六月 昭和二十五年十二月 改刻費奉紊 行武重登 久留米市細工町 (左) 従四位勲四等 菅 虎雄書 (後) 奉建者 久留米市米屋町 小柳茂作 (台座) 久留米市水天宮町 石材面 玉置佐蔵
7 国指定重要文化財 石造明神大鳥居 (正面)
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