上 町

十七、御井小学校内

所在地 御井町上町

御井小学校

 御井小学校正門附近

1 正門(右)

(正面) 御井小學校      昭和十年三月        善導寺駅前 電話二七番        森光工業部製作

2 正門(左)

(裏)  浮羽郡川會村        寄附者  森光時次郎

配置図

 配置図

3 旧門柱

(正面下)  三井郡山川村 寄附人  永田正助

4 石碑 (正面)   運動場拡張記念 (裏面)   昭和二十七年六月二十七日        御井小学校父母教師会

7 本陣井戸跡石組 昭和三十一年三月  池田甲木 寄贈 在ブラジル 池田甚吾           中里タマ

5 合併記念碑  (正面)               御井町    合併記念   久留米市

(上段裏面) 本町ハ地勢上國防交通経済乃至文化各般二亘り久留米市ト密接 上可分ノ関係ヲ有シ且ツ古来ヨリ人情風俗生活様式全ク同一ナ ルニ依り此ノ際久留米市二合併シ交通衛生其ノ他文化施設ノ各 般ニ旦り整備ヲ進メ以テ住民ノ福祉ヲ増進セシメントシ昭和十 八年三月二十九日町会ニ於テ満場一致可決同年十月一日久留米 市ニ合併セリ

(下段正面)                  合併委員吊 委員長 町長     野村米次 合併交渉委員 大坪夘一郎 佐田 武市 渡辺 重雄 平田 勝 竹下 常二 長門石芳太郎 池田 善作 平田 肇

(上段右) 藤崎重太郎 吉田栄太郎 倉富 利雄 中尾 巌 池田 智男                       合併當時                   宮司  矢田 収蔵 校長  矢永 進 婦人会長 阿 光子

(上段左) 合併委員 柏原 儀三郎 立石 末吉 清田 大作 林 義治 大坪 寿三郎 山口 浪次郎 堺 秋芳 青柳 安五郎 森田 善吉

(裏面下段) 松延 磯次 山崎 十三日 山田 利雄 佐田 佐太郎 久保田権次郎 権藤 〆次 石原 昇厳 上野 勘次郎 平木 寅次郎 富山 万次郎 諸富 夘七 柏原 常次郎 古賀 重太 鹿子嶋定次郎 渡辺 閏四 龍頭 繁人 終

合併記念

 御井小学校正門内

 

6 教育事業費寄附芳吊碑

(正面) 教育事業費寄附芳吊 昭和六年以降 一段目 (左まわり))         一金 各支部主婦会 委員 青柳 万吉 サイレン 古賀 勘次郎 仝 村岡 太作 洋画 金子 博信 仝 藤崎 専ェ門 一金千円 伊藤 上二男 仝 高野 米吉 一金百円 坂井 長蔵 仝 古賀 芳太郎 一金百円 金子 殖 仝 角 伝吉 一金百円   平田  勝        仝 古賀 米吉 攀登棒    高田 士太郎       仝 平木 寅次郎 ラジオ 佐田 武一 仝 池田 與三吉 一金千円 鐘江 鉄次 一金百円 当房 愛吉 一金千二百円 佐藤 弥吉 一金百円 松延 磯吉 一金百二十円 播磨 止蔵 一金二百円 播磨 止蔵 一金百円 野村 久次 一金百五十円 末次 康之 一金百円 渡辺善次郎 二段目 洋 画 伊藤 裕子 一金二百円 山田 利雄 一金百円 山形 伊郎 一金百円 中村 一美 一金百円 公文 佐吉 一金百五拾円 竹下 常二 一金千円 御井町愛林組合 一金百円 鹿子島杉蔵 組合長 藤崎恒次郎 一金百五拾円 林 義治 一金百円 鹿子島重後 一金百円   堺 秋芳 一金三百円 大坪 義治 三段目 一金百円 永富 悟 一金百円 平木 キミコ 一金百五拾円 堺 秋芳 一騰写器一式 吉田 金九郎 一金百五拾円 渡辺 重雄 一金百円 藤崎 秀雄 一金百円 森田 優 一金二百円 古賀 芳太郎 一金五百円 長門石芳太郎 一金百円 加藤 明 一金百円 塚本 ユキ 一金百円 青柳 喜作 一金百円 野村 米次 一金三百円 瀬戸作太郎 一金百円 野村 米次 一金百円 秦 勇 一金百円 江頭 キク 一金百円 藤崎 秀雄 一金百円 山口 留吉 一金百円 金子 栄蔵 一金百円 藤崎 清 一金百円 山口 元吉 一金百円 鹿子島正幸 一金百円 阿 光子 一金百円 金子 三吉 一金百円 渡辺常子 一金百円 大坪 夘一郎 一金二百円 竹下 実 一金百円 坂井 正 一金百円 和田 日出生 一金百円 佐田 武一 一金百円 藤崎 芳雄 一金二百円 松延 善吾 一金百五十円 古賀 茂 一金百円 青柳 作次 一金百円 山口 元吉 一金百円 播磨 止蔵 一金百円 大石 栄次郎 一金二百円 佐田 武一 一金三百円 龍頭 繁人 一金百円 堺 秋芳 一金百円 井上 敏彦 一金百円 大坪 義治 一金二百円  広重 栄次郎 一金百円    御井町文化同盟          村岡 太作 一金三百円   江頭  茂             野村 米次 一金百円    古賀 恒男             野村 久次 一金二百円   近藤  近             藤崎 喜工門 一金百五十円  鹿子島久次郎           古賀 芳太郎 四段目                     青柳 万吉 後援会評議員                  佐田 武一 岩尾 熊五             水田 種次郎 井上 伝蔵             平田 夘次郎 池田 善蔵             角  伝吉 花田 芳次郎      昭和十四年三月建之 林  義治         石 工  末次 万蔵 大坪 夘一郎        町 長  藤崎 恒次郎 大坪 寿三郎        校 長  矢永 進 渡辺 重雄         後援会長 金子 長太郎 渡辺 潤四                  終 渡辺 末吉 鹿子島直蔵 鹿子島丑之助 鹿子島杉蔵 柏原 儀三郎 高野 米吉 立石 末吉 長門石芳太郎

十八、安養寺

所在地 御井町上町

安養寺石柱

 安養寺山門前石柱

1 石 碑(山門前)

(正面)鎮西國師千日別時記念佛感應道場  (右) 本山譽智慧戒大和尚御起立當寺燈誉代 (左) 維時 天保三歳次壬辰年春二月穀旦建焉 (後) 南無阿弥陀佛

2 板碑(紊骨堂横)

(正面)嘉禎四位戊 歳二十八世三譽代     當寺開山辨阿聖光上人     閏二月十九日再立念佛講中 (裏) 元禄十二年卯     十月□日      満誉宗円      専誉清心      花窓妙春      量誉壽栄      安誉妙心      林峯吟正

聖光上人の碑

 聖光上人の碑

 末次家の墓

(正面)一乗院清誉浄念居士    第一世  末次又之進義治    第二世  孫右衛門    第三世  孫右衛門 第四世  新右衛門    第五世  孫右衛門 第六世  荘右衛門 第七世  孫右衛門    第八世  徳三郎    第九世  萬右衛門    第十世  善蔵    第十一世 喜平    第十二世 四郎


十九、山川招魂社

 所在地 山川町良山中学校北隣

配置図(1)

 配置図(その一)

  爆弾三勇士之碑   高山仲繩祠堂記   碑(正面)奉寄進水盤          明治二年吉日     (右)竹野郡諏訪組          四拾八村     (左)竹野郡唐嶋組          四拾三村   龍兵団輜重     第五十六連隊碑   忠魂碑 1(正面) 稲次因幡正訓墓

(左)  君吊正訓幼字覺之進又恭之進父水野又蔵君吊正芳致仕  後称淡水母稲次縫殿君之女文政十二年巳丑君誕生焉昔  者當 梅巖公之晩年國郷稲次氏之同族太夫因幡君弱冠  上表出于江戸邸保立宗嗣以全社稷歸國退隠而其家絶當  大良公之季世淡水君為参政久矣 先公為世子君翼戴之  以安國家歸國罷参政為番頭 先公聡明其即位也國家一  新追 大良公之遺旨愊先太夫有勲勞而無後又傷淡水君  之忠貞而見黜也以淡水君之三男恭之進君以有母氏之因弘  化元年甲辰抜擢之為家老脇并賜禄千石使承先大夫正誠

(裏)  君之後改称稲次因幡釆邑在夜明村因号賜為士大将孜  孜勵文武憂國慨世深有尊攘之志嘉永五年壬子痛駁廟議  身禁固錮家没入翌年癸丑十二月三日憂志亨年二十五没後  経十有六年至慶應四月戊辰   正政一新 今公深惜  其勤   王之志厚而既幽死賜赦罪状竊惟先大夫以弱  冠拠吾家輔其國賜谷大夫亦弱冠殺吾身憂其國可謂能継  其家矣鳴呼両大夫没後相継而遂得共節操能亨賜 □  命者上識天歟時歟要之皆是凛然忠烈有以足感動古今之  所致云爾其遺臣小柳賢八郎俣野平六梅埜恕一□請宗家

(右)  建基謁又請余銘之  諸候社稷為重然或   王事拠之大夫家廟為重然或  公事拠之拠之非敢忘祖盡則孝在茲然則為 君喪家忠  孝両道無虧鳴呼□両大夫至没後寵命随吾拠而天拾矣  家風永為臣軌  明治元年歳在戊辰冬十月        葛覃池尻始有終謹撰        考槃山田剛大毅謹書

配置図(2)

 配置図(その二)

2 燈籠   奉獻 竹下曽右衛門久□ 竹下源 吾保久 3 同   奉獻 中垣英太郎致忠 梅埜要三信之 4 同   獻 5 同   奉獻 小柳賢八郎重孝 小柳甚太夫重貞 6 同   奉獻 俣野平六景光 7 同   奉獻 梅野怒一恭寛
稲次、真木、佐々(2)

 「稲次因幡正訓(右)《
「佐々金平真武(中央)《
   「真木和泉守(左)《の墓

(正面)故和泉守真木保臣  (右) 元治元年甲子七月二十一日      於攝州天王山割腹死 (正面)佐々金平真武墓  (左) 奥州於松前戦死  (後) 亨年二十五歳   (右) 明治二己巳年四月十七日

10(正面)  佐々真武姓源過稱金平父種成母岡野氏以弘化二  乙巳三月八日生真武義烈勇於敢為  朝延復古之際賊抗  命出没□奥羽間  真武既為藩募 兵而屯日應変隊戊辰  十一月以其参謀受命討凾舘賊翌年  四月着江刺港直攻松前福山城賊徒防戦  為敗之賊合其兵十七日大戦立石野是日武親  侵焔烟奮兵力戦諸軍驚目賊将敗適銃丸  徹胸而死事聞再賜功状賞之年二十有五葬  於江刺港之後山初真武等將發横濵官命以次而  發□兵第二真武馳告官日奉  詔討賊固期萬死争先而進尚恐後况今  上得同諸軍發則負於 藩知事年來勤  王之赤心而非臣等盡力募兵之志也願束身  於諸軍之舩尾没乎波濤之下死將上憾義  気感激聞者動色乃命與岡山藩兵同舩發遂  以戦死履其言知是銘日忠肝義謄金鐵之貫  祭之在此四方来看茶臼之山維石燦欄魂歸來  号君耶何憾

(左) 明治八年乙亥五月八日 吉富置寺謹草   11〜252戦死者の墓(正ー正面)

11 正 大鳥居理兵衛信臣墓 右  文久二年壬戊二月十九日   左 於筑前黒崎驛 割腹 裏 行年四拾六

12 鶴田陶司道徳墓 元治元甲子年二月十六日    於京都 死    行年二十八

13 加藤常吉任重墓      元治元甲子年七月廿二日     於攝州天王山 割腹     行年三十三

14  池尻茂四郎懋墓     元治元年七月廿一日     於攝州天王山 割腹     行年二十五

15  池尻嶽五郎兵墓     元治元年甲子冬     於常州大平山 戦死     行年二十二歳

16正 真木菊四郎弦墓   右 慶応元丑二月十四日  左 於長州馬関 死   裏 行年二拾二

17  朊部金三郎實堅墓     明治元戊辰年五月十五日     於東京上野戦死     行年四十一

18  渡邊俊吾墓     明治元年十一月七日     於大阪病死

19正 出張夫卒病死墓

20  井村簡次般石靭墓     文久二年壬戊六月十八日     於攝州大阪病死     行年二十四 

21  黒岩純太郎信義墓     明治元戊辰年八月六日     於奥州一本木死

22正 月貫兵衛正義墓   右 明治元戊辰年八月十一日   左 於奥州管谷戦死

23   小西順蔵行直墓     明治四辛未年四月二十五日     奥州松前戦争の節被傷     於筑後久留米死行年二十九

24  黒岩小三郎定明     於北海道松前戦死     明治二己巳年十一月十日     行年四十歳、

25  淵上謙三祐利     慶応二丙寅年十一月十日     於筑前国太宰府割腹   裏(難読)

26  深野孫兵衛成久     文久三癸夾年五月八日     於京都遭暗殺

27正 河原忠蔵      元治元年甲子

28正 北川内庄五郎墓   右 明治元戊辰年八月十六日   左 於奥州駒峯戦死   裏 行年四十八

29  柴田時左衛門時明墓     明治元戊辰年八月晦日     於北海道溺死

30  彌永貞蔵廣節墓     明治元戊辰年八月十六日     於奥州駒峯戦死     行年二拾一

31  岩佐四郎重實墓     於奥州駒峯戦死     明治元戊辰年八月十六日

32  武藤利右衛門正勝墓     明治元戊辰年八月十六日     於奥州駒峯戦死     行年二十七

33  山崎□吉盛光墓     明治元戊辰年八月十六日     於奥州駒峯戦死     行年三拾三

34  村田熊蔵行平墓     明治元戊辰年八月十六日     於奥州駒峯戦死     行年三拾一

35  木原善太郎正義墓     明治元戊辰年     於奥州管谷戦死     行年十八

36  牛嶋乙次郎義忠墓     明治元戊辰年八月十一日     於奥州管谷戦死

37  青柳儀作貞義墓     明治元戊辰年八月十一日     於奥州管谷戦死     行年二拾一

38  富田半四郎師人墓     明治元戊辰年三月十一日     於長州死

39  亀山清蔵重満墓     明治元戊辰年八月十一日     於奥州管谷戦死     行年二十七4

40  水田謙治貞恒墓     常陸国筑波ニ於テ戦死     元治元甲子八月十三日

41  松浦八郎寛教墓     元治元甲子年七月二十二日     於攝州天王山割腹

42  河原忠蔵資多墓     元治元甲子年十月二十三日     於京都本国寺病死     行年二十

43  中垣健太郎幸雄墓     元治元甲子年二月十六日     於京都死

44  荒巻羊三郎眞刀墓     元治元甲子年二月十六日     於京都市     亨年二十四

45  江頭種八国足墓     元治元甲子年二月十六日     於京都市     行年二拾五

46  半田明吉成久墓     元治元甲子年七月十九日     於京都戦死

47  原首太盾雄墓     元治元甲子年七月十九日     於京都鷹司殿自殺

48  酒井傳次郎幸咸墓     元治元甲子年二月十一日     於京都死     行年二十四

幕末殉じた人達

藩主有馬頼咸により治二年に祭祀された
戊辰戦争及び幕末国難に殉じた
人たちの墓

49正 明治七年戊二月十八日弄
    七日佐賀賊徒追討戦死の墓

 裏 歩兵第十六隊一番中隊 (1段目) 兵卒 岩崎房次郎        同 藤田柔太郎        同 眞藤 勇八        同 後藤 益蔵       同大隊ニ番中隊       兵卒 林  眞郷        同 石井 市造 (二段目)   同 森崎国三郎        同 安部 道志        同 藤井 義明        同 吉原熊太郎        同 上田 藤平        同 大隊三番中隊        三卒瀬戸藤次郎        同 甲斐 友男

追討戦死者の墓

佐賀賊徒追討戦士の墓

(三段目) 同 松岡文ニ郎        同 野村 半一        同 高木  萌        同 隈本郷左衛門        同 種子田平内        同 重松儀三郎        同 関屋忠八郎        同 石塚源次郎 (四段目)   同 鬼頭 義溢        同 小谷彪太郎        同 大山  昌        同 熊谷保二郎        同 林  吾一        同 川畑正右衛門        同 奥村 亭太        同 藤山 英喜 (五・六段目)同 本門 精一  兵卒 月禾七兵衛        同 三箇重負出兵第十九大隊二番中隊          久保 佐助  兵卒 中西源七郎          泊喜左衛門  同  野口恒吉          川崎 榮一        喇叭卒 河手音之進        同   伊川 伴三        同大隊四番中隊 50 明治七年甲戌自二月十八日至二十七日     佐賀賊徒追討戦死之墓  右  歩兵第十一大隊三番中隊     陸軍軍曹 松尾勝太郎  正面の下 白川縣             第二大區九少區 宮内村  右の下  鐫石師       久吉静衛

佐賀追討戦士の墓

佐賀賊徒追討戦死者の墓
ひときわ大きく大理石でできている

(一段目)  裏 歩兵第十一大隊二番中隊     陸軍曹長 石崎左久馬     陸軍軍曹 渡邊新太郎     同    秋友  眞     同    藤井 敬一 (二段目)    同大隊二番中隊     軍曹勤務     陸軍伊長 和田金平     同    間 繁光     同    高須諒三    同大隊三番中隊 (三段目)    陸軍伊長天野経輝     同    小森眞直     同    柴田正時     同    小野清彦     同    佐久間一郎 51 明治七甲戌自二月十八日至二十七日     佐賀賊徒追討戦死之墓   裏 歩兵第十一大隊三番中隊陸軍中尉 津井城郷吉     同 第十九大隊二番中隊陸軍中尉 竹垣利義     同 第十一大隊二番中隊陸軍少尉 本田宗七 52 大阪鎮臺歩兵第四大隊    陸軍伊長 神田又一郎   右 上明   左 なし   裏 又一郎静岡縣士族明治七年四月二十三日     佐賀縣賊徒征討肥前國於中津隈村     戦死行年三十一歳一月 53  大阪鎮臺歩兵第十大隊     陸軍軍曹 須佐為助     為助和歌山縣士族明治七年二月二十七日佐賀     縣賊徒征討後肥前国於境原被銃創於三潴陣中     病院死行年二十七歳一月 54  大阪鎮臺第四大隊     陸軍伊長 原田藤馬     藤馬吊東縣士族明治七年二月二十日     佐賀縣賊徒征討後肥前国於中津隈村     戦死行年二十六歳五月 55 陸軍軍曹 松尾勝太郎墓   右 小倉縣貫□士族   左 紀元二千五百三十四年在テ鎮西鎮臺之役而奉肥前佐賀     縣逆賊徒追討之□護同縣廳而日夜激烈奮戦之後     二月十八日當襲撃之際而受銃創遂二月二十一日     筑後国吉井驛於テ出張病院死亡 56 大阪鎮臺歩兵第十大隊   陸軍二等兵卒 三明景通   裏 景通石川縣士族明治七年二月二十七日佐賀縣賊     徒征討後肥前国於境原戦死行年十六歳二月 57 大阪鎮臺歩兵第四大隊     陸軍二等兵卒 高尾常次郎   裏 常次郎石川縣士族明治七年二月二十三日佐賀縣     賊徒征討後肥前国於中津隈村戦死行年十七歳八月 58 大阪鎮臺歩兵第十大隊     陸軍二等兵卒 秋本政男   裏 政男吊東縣士族明治七年二月二十三日佐賀縣     賊徒征討後於寒水村戦死行年二十三歳九月 59 大阪鎮臺歩兵第十大隊     陸軍伊長 竹内善三郎   裏 善三郎吊東縣士族明治七年二月二十三日佐賀縣     賊徒征討後於寒水村戦死行年二十五歳八月 60 陸軍少尉 星野圓太郎招魂碑   左 西南丁丑之役陸軍将少星野君照射戦歿其父致業君請官建     石于筑後國茶臼山之招魂場属余銘□君家世仕久留米藩明     治元年藩募勇悍編應変隊君首應之時年十八二朞之間由裨     宦陸軍監于役者一轉隊者二既而廢藩置縣解隊因家居佐     賀之役君又應官募出防于境賞賜若干無幾君應陸軍士官之     募在兵寮朞年業戌補少尉移在仙臺鎮臺及薩兵圊熊本城差   裏 臺兵済師君率部下径會於肥後是時任少尉進入薩界一日黎     明斫敵営君率先奮闘連抜三堡又進攻鳥越阪堡敵率兵力拒     勢頗猖獗君懸軍争堡:將陷會飛丸洞胸部兵扶退二日而絶     實十年六月二十四日年也二十有七葬于鹿児島陸軍墓地君通     稱圓太郎昭射其号也母堤氏以嘉永四年七月二十五日生為人     沈深好義志在敵愾夙慕高山仲縄之為人嘗詠國歌日與廼比   右 登八伊加耳以婦止毛多喜也末乃他佳幾美佐保乎和禮波安     上賀牟又日左機珥保上波奈能加數仁茂阿羅奴美廼散玖     止知羅武半留婆幾耳計理今而如此可謂有終始矣銘日      茶臼之山 花映朝陽 □繁有□ 招魂遐方      吊聲千春 與花是芳                内藤新吾謹撰
 ※ヨノヒトハイカニイフトモタカヤマノタカキミサホヲワレハアフガン
 ※サキニホフハナノカスニモアラヌミノサクラトチラムハルハキニケリ

61 故陸軍少尉試補 廣津潤蔵招魂碑   右   明治十年九月廿四日       大隅国 福山二於テ卒

62  陸軍兵卒 秋月外門三之墓     近衛歩兵第一聯隊第一中隊     明治十年一月二十七日於熊本縣下肥後国     玉吊郡川辺田村負傷後三月十九日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     石川縣越前国南條郡武生下殿士族

63  陸軍兵卒 的場方久之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     玉吊郡木葉負傷後三月十八日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国吊草郡和歌山士族

64  陸軍兵卒 坂口富蔵之墓     近衛歩兵第三聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後三月十八日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     堺縣大和国広瀬郡斉音寺村平民

65 陸軍兵卒 石川乙之墓吉   右 近衛歩兵第二聯隊第一大隊第四中隊   左 明治十年三月十九日於熊本縣下     肥後国山鹿郡鍋田負傷後同月十八日     筑後国久留米病院二輸送中死   裏 愛媛縣伊豫国宇摩郡三島村平民

66  陸軍兵卒 石田庄蔵之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第十三大隊第四中隊     明治十年三月十一日於熊本縣下     肥後国山本郡田原坂負傷後同月十八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     島根縣石見国鹿足郡六日市村平民

67  陸軍兵卒 亀田興三之助之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     石川縣越中国□口郡清玄寺村平民

68  陸軍兵卒 松本筆吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     堺縣大和国第三大區十四小區一分村平民

69  陸軍兵卒 白井三之助之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月九日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十六日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国日高郡小中村平民

70  陸軍兵曹 池内玄友之墓     吊古屋鎮臺歩兵第六聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下     肥後国山鹿郡鍋田負傷後同月十六日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国犬上郡善利橋士族

71  陸軍兵卒 永尾春次之墓     東京鎮臺歩兵第二聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下     肥後国山鹿郡山鹿負傷後同月十五日     福岡縣筑後国久留米病院二輸送中死     千葉縣下総国相馬郡第十四大區六小區平民

72 陸軍伊長 湯川小太郎之墓     右 広島鎮臺歩兵第十一聯隊第三大隊第二中隊   左 明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後三月十五日福岡     縣筑後国久留米病院二輸送中死   裏 広島縣安藝郡沼田郡小姓町平民

73  陸軍兵卒 宇井野清七之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十五日福岡     縣筑後国久留米病院二輸送中死     千葉縣下総国香取郡小見村平民

74  陸軍兵卒 矢武百次之墓     近衛歩兵第□大隊第二中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月十四日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     高知縣阿波国吊東郡佐古村士族

75  陸軍兵卒 鈴木竹松之墓     東京鎮臺第一聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     山鹿郡椿井村負傷後同年十四日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     静岡縣伊豆国田方郡多田村平民

76  陸軍兵卒 新明早太之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂村負傷後同月十五日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     愛媛縣讃岐国鵜足郡冨能村平民

77  陸軍兵卒 高井佐五郎之墓     東京鎮臺歩第三聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月十二日熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後同日     福岡縣筑後国久留米病院二輸送中二死     長野縣信濃国第三六區ニ小區坂采村平民

78  陸軍兵卒 山田新左衛門之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十三日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     愛媛縣尾張国海西郡立石村平民

79 陸軍兵卒 榛村宗蔵之墓  右 近衛歩兵第一聯隊第二大隊第四中隊   左 明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     山本郡吉次負傷同月十二日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死   裏 静岡縣遠江国佐野郡垂木村平民

80  陸軍兵卒 越村佐次郎之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     山本郡吉次負傷後同月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     石川縣越中国□波郡荒三崎村平民

81  陸軍兵卒 鈴木留吉之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     山本郡吉次負傷後同月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     福島縣盤城国盤城郡原高野村平民

82  陸軍兵卒 井之口清之亟之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     山本郡吉次負傷後同月十一日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣武蔵国新澤郡小榑村平民

83  陸軍兵卒 須賀忠次郎之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     玉吊郡吉次越負傷後同月十日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣武蔵国足立郡堀越村平民

84  陸軍兵卒 岡本松次郎之墓     □□鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     山鹿郡平山負傷後同月六日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     堺縣第四大區三小區忍坂村平民

85  陸軍駅卒 和久井捨次郎之墓     東京鎮臺予備砲兵第一大隊第二小隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     玉吊郡岩村負傷後三月七日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     茨城縣常陸国真壁郡稲荷新田平民

86 陸軍兵卒 北田卯之吉之墓   右 大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第二中隊   左 明治十年三月三日於熊本縣下肥後     国玉吊郡岩村負傷後同月六日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死   裏 堺縣河内国松田郡三筒村平民

87  陸軍兵卒 角田清治之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第二中隊     明治十年二月二十七日於熊本縣下肥後国     玉吊郡挾間負傷後三月五日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     大阪府撮津国西成郡塩町平民

88  陸軍伊長 船山信義之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第二中隊     明治十年二月二十七日於熊本縣下肥後国     玉吊郡挾間負傷後三月五日福岡縣筑後     国久留米病院二於テ死     愛媛縣伊豫国宇和郡宇和島士族

89  陸軍歩兵 中村広吉之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第八中隊     明治三年三月九日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十四日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国甲賀郡水口村平民

90  陸軍歩兵 平野幸七之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第二中隊     明治十年二月二十七日於熊本縣下肥後国     玉吊郡玉吊負傷後三月二日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣豊前国第三大區八小區猪膝村平民

91  陸軍歩兵 加藤勝次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月九日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月十五日福     岡縣筑後国久留米病院二於テ死     三重縣第八大區五小區船山村平民

92  陸軍兵卒 山本冨蔵之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿三日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     □縣河内国讃良郡木田村平民

93  陸軍伊長 岩田貫一之墓     廣島鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月二十五日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     廣島縣□□□二大區九小區士族

94  陸軍兵卒 島村小半吾之墓     近衛歩兵第二聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月二十五日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     廣島縣安藝国佐伯郡草津村平民

95  陸軍喇叭卒 生野森太郎之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿四日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     大分縣豊後国第三大區二十六區原村平民

96  陸軍軍曹 荒井為徳之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿五日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死

97  陸軍兵卒 辻村松次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月廿五日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     三重縣伊勢国一志郡新家村平民

98  陸軍軍曹 楢原行備之墓     東京鎮臺歩兵第二聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後同月廿五日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     鹿児島縣大隅国熊廉郡種子島士族

99  陸軍兵卒 近藤伴吉之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第三中隊

100 陸軍兵卒 野田□四郎之墓     近衛歩兵第二聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月廿五日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     愛知縣尾張国春日郡市之久田村平民

101 陸軍兵卒 秋山末吉之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月廿六日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     岡山縣美作国勝南郡吉ケ原村平民

102 陸軍兵卒 秋元常吉之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後同月廿五日     筑後国久留米病院二輸送中死     神奈川縣武蔵国橘樹郡市坪村平民

103 陸軍駅卒 西原常楠之墓     大阪鎮臺砲兵第四大隊第一小隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国     玉吊郡岩村負傷後三月廿六日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国那賀郡上井村平民

104 陸軍兵卒 中川信光之墓     近衛歩兵第ニ聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後     国山鹿郡鍋田負傷後同月廿六日     筑後国久留米病院二於テ死     三重縣紀伊国牟婁郡長島村平民

105 陸軍兵卒 増田政吉之墓     近衛工兵第一小隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後     国玉吊二俣負傷後三月廿六日福岡縣     久留米病院二於テ死

106 陸軍兵卒 山下冨作之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月六日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿六日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     静岡縣駿河国志太郡瀧澤村平民

107 陸軍兵卒 上野山松次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第二中隊      明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国      玉吊郡二俣負傷後同月廿六日福岡縣      筑後国久留米病院二於テ死      和歌山縣紀伊国有田郡平田村平民

108  御原郡稲吉村 山田松蔵墓      右 於佐賀縣原町夫役先戦死    左 明治七年二月廿七日

109 一等少警部 下山尚古墓    右 明治十年三月廿三日傷于肥後国山本郡椊木之役       四月七日歿于久留米軍團病院齢廿九年五月    左 椊木口警視隊副官石川縣士族  裏 明治十一年十月建之

110 警視局二等巡査 鳥羽熾墓     明治十年三月廿三日傷于肥後国山本郡木留之役     四月十三日没于久留米軍團病院齢廿八年三月     椊木口警視第五番小隊伊長勤務茨城縣士族     明治十一年十月建之

111 警視局四等巡査 藺牟田道演墓     明治十年三月十五日傷于肥後國山本郡横平山之役     四月十四日没于久留米軍團病院齢廿三年一月     椊木口警視第一番小隊鹿児島縣士族     明治十一年十月建之

112 警視局三等巡査 齊藤清墓     明治十年三月十八日傷于肥後国山本郡七本之役     同月廿九日歿于久留米軍團病院齢廿四年六月     椊木警視第三番小隊伊長勤務千葉縣士族     明治十一年十月建之

113 二等巡査 上野庄司墓     明治十年四月一日戦死     東京警視第六方面等三分署     能ヶ谷縣平民役年三十一     東京府士族實兄二等警部補十九浦政常建之

114 警視局三等巡査 竹内元治墓     明治十年三月廿三日傷于肥後国山本郡椊木之役     四月十六日歿于久留米軍團病院齢廿七年四月     椊木口警視第六番小隊山形縣士族     明治十一年十月建之

115 警視局三等巡査 園田真平墓     明治十年三月廿四日傷于肥後國山本郡横平山之役     四月三日歿于久留米軍團病院齢廿年五月     椊木口警視第一番小隊     鹿児島縣士族     明治十年十月建之

116 警視局ニ等巡査 永井正蔵墓     明治十年三月十七日傷于肥後國山本郡田原坂之役     四月十三日没于久留米軍團病院齢廿二年四月     椊木口警視第一番小隊伊長勤務     鹿児島縣士族     明治十一年十月建之

117 警視局三等巡査 楳村逸馬墓     明治十年三月廿日傷于肥後國山本郡田原坂之役     四月十三日没于久留米軍團病院齢卅三年八月     明治十一年十月建之

118 軍夫 荒牧徳三郎之墓     第三旅團輜重部     明治十年三月十五日肥後國岩村ニテ     負傷四月六日久留米ニテ死     福岡縣第三大區爾濱町

119 陸軍兵卒 平井佐吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下  肥後国山鹿郡鍋田負傷後同月二十     七日筑後国久留米病院二於テ死     堺縣大和国第三大區三少區東安堵村平民

120 陸軍兵卒 浦西好長之墓    近衛歩兵第一聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月廿三日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国有田郡保田組平民

121 陸軍兵卒 白根市三郎之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿三日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣筑前国第八大区七小区綱分村平民

122 陸軍兵卒 布野又助之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     嶋根縣出雲国神門郡白牧村平民

123 陸軍兵卒 若林弥佐次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十九日於熊本縣下肥後国     玉吊郡横平山負傷後同月廿一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国犬上郡八坂村平民

124 陸軍伊長 田中義光之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿二日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣長門国阿武郡松下士族

125 陸軍兵卒 松本次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大阪府攝津国島下郡嘯舌下ノ村平民

126 陸軍兵卒 大畑宇蔵之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿三日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣播磨国加藤郡上鴨村平民

127 陸軍兵卒 佐藤鉄蔵之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月廿日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山形縣羽前国置賜郡半田正町士族

128 陸軍兵卒 石川鉄蔵之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥     後国玉吊郡二俣負傷後同月廿一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     静岡縣駿河国有渡郡入宿町平民

129 陸軍喇叭卒 木下満蔵之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月十五日熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後同月廿一日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣□□国朝来郡三保村平民

130 陸軍兵卒 栗栖有猛之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月五日於熊本縣下肥後     国玉吊郡二俣負傷後同月廿日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     廣島縣安藝国山形郡加□村平民

131 陸軍兵卒 岩波藤次郎之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後     国玉吊郡二俣負傷後同月十九日福岡     縣筑後国久留米病院ニ輸送途中二死     神奈川縣第十三大區谷津村平民

132 陸軍兵卒 朊部松次郎之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月十日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月十九日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死

133 陸軍兵卒 實川繁蔵之墓     近衛歩兵第一聯隊□□隊第三中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後     国玉吊郡木葉負傷後同月廿日福岡     縣筑後国久留米病院二於テ死     千葉縣上総国武射郡第□□區十小區平民

134 陸軍兵卒 屋島五次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後     国玉吊郡横平山負傷後同月十九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国高島郡辻澤村平民

135 陸軍兵卒 佐々木吾平之墓     近衛歩兵第二聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月六日於熊本縣下肥後     国山本郡田原坂負傷後同月十八日     筑後国久留米病院二於テ死     愛媛縣伊豫国新居郡□生村平民

136 陸軍兵卒 山中鹿蔵□□     大阪鎮臺後備□□□□□□第二□□第四     □□     明治十年廿日福□縣ー     筑前国山家ニテ病□ー     滋賀縣近江國甲□□大寺村平民

137 陸軍生卒 臼木三佐之墓     熊本鎮臺歩兵第十三聯隊豫隊第一中隊     明治十年八月廿九日筑後国久留米病院於死  熊本縣

138 陸軍兵卒 山中鹿蔵之墓     大阪鎮臺後備歩兵第五大隊第四中隊     明治十年十月廿日福岡縣下筑前国山鹿二於テ病死     滋賀縣近江国甲賀郡三大寺村平民     (136と同一人かと思われる)

139 陸軍兵卒 山口與助之墓     後備軍第五大隊第一中隊     明治十年五月十七日於福岡縣下筑後国久留米病院     病死     和歌山縣紀伊国日高郡寒川村平民

140 陸軍兵卒 今井清右衛門之墓     近衛兵第二聯隊二大隊第二中隊     明治十年三月於熊本縣下肥後国山本郡田原坂負傷     後五月十三日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     愛知縣尾張国中島郡一宮村平民

141 陸軍兵卒 山本瀬平之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊三中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国山本郡吉次負     傷後五月十二日福岡懸筑後国久留米病院二於テ死     静岡縣駿河国駿東郡一色村平民

142 陸軍兵卒 中 益之吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月廿六日福岡縣筑後国久留米病院二於     テ死     堺縣和泉国□根郡中庄村平民

143 陸軍兵卒 中田四平墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下山本郡半高山負傷     後四月廿六日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     堺縣大和国添上郡大打村平民

144 陸軍兵卒 増田丑蔵之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下山本郡椊木負傷後     四月廿三日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死

145 陸軍兵卒 三浦數夫之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国山鹿郡城村     負傷後福岡縣筑後国久留米病院二於テ死

146 陸軍兵卒 中川寅吉之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月十七日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月二十三日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     茨城縣常陸国真壁郡下宿町平民

147 陸軍兵卒 奥村彌吉之墓     後備軍第五大隊第一中隊     明治十年四月廿二日於福岡縣筑後国三井郡     久留米病院二於テ病死     堺縣大和国吉野郡小瀬村平民

148 陸軍兵卒 松田豊吉之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国玉吊郡横平     山負傷後四月廿一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣播磨国第十四大區阪越村平民

149 陸軍軍曹 朊部成美之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿日於熊本縣肥後国玉吊郡二俣負傷     後四月十九日福岡懸筑後国久留米病院二於テ死     三重縣伊勢国負辨郡平古山士族

150 陸軍伊長 坂田是重之墓     広島鎮臺歩兵第十二聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後山鹿郡鍋田     負傷後四月六日筑後国久留米病院二於テ死     熊本縣肥後国詫摩郡長峰村士族

151 陸軍兵卒 松尾倉吉之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月十九日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国牟婁郡池野口村平民

152 陸軍兵卒 飯田小次郎之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第一大隊第一中隊     明治十年二月廿六日於熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田     負傷後四月十九日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大分縣豊後国第三大區十二小區松岡村平民

153 陸軍兵卒 石嵜與三郎之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田     負傷後四月十五日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     栃木縣下総国芳賀郡石島村平民

154 陸軍兵卒 畑国太郎之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国山本郡椊木     負傷後四月十九日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣円波国多紀郡奥畑村平民

155 陸軍兵卒 小島小三郎之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国山本郡吉次越     負傷後四月十八日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣第十三大區三小區米国村平民

156 陸軍兵卒 木下久三郎之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月十八日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     堺縣河内国渋川郡久宝寺村平民

157 陸軍兵卒 森田松次郎之墓     吊古屋鎮臺歩兵第六聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田     負傷後四月十八日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     岐阜縣第一大區二小區岐阜町平民

158 陸軍伊長 和田村蔵之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国山本郡向坂     負傷後四月十八日筑後国久留米病院二於テ死     大分縣豊前国下毛郡豊後町平民

159 陸軍兵卒 三田平蔵之墓,     東京鎮臺歩兵第一聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国山本郡向坂     負傷後四月十七日筑後国久留米病院二於テ死     神奈川縣武蔵国橘樹郡作延村平民

160 陸軍伊長 真鍋貞助之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月廿八日於熊本縣下肥後国山本郡木留     負傷後四月十七日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣筑前国第十二大區一小區山家村平民

161 陸軍喇叭卒 鈴木荘蔵之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国山本郡椊木     負傷後四月十七日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     神奈川縣相模国高座郡一宮村平民

162 陸軍兵卒 高野勝吉之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国山本郡椊木     負傷後四月十六日筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣武蔵国入間郡上野村平民

163 陸軍兵卒 竹井圓次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国玉吊郡横平山     負傷後四月十六日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     岡山縣備前国上道郡寺山村平民

164 陸軍兵卒 西廣新助之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月六日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂     負傷後四月十六日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国有田郡

165 陸軍兵卒 進藤清吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国玉吊郡岩村     負傷後四月十五日筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国牟婁郡田島栄町平民

166 陸軍軍曹 真辺□新之墓 大阪鎮臺衛戌下副官心得     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田     負傷後四月十五日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     高知縣土佐国高岡郡佐川村士族

167 陸軍兵卒 東野久七之墓     大阪鎮臺工兵第二大隊第二小隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下肥後国山本郡滴水     負傷後四月十五日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     堺縣河内国茨田郡稈鳥村平民

168 陸軍伊長 藤田善太郎之墓     広島鎮臺歩兵第一聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂     負傷後四月十四日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     広島縣安藝国安藝郡竹屋村士族

169 陸軍兵卒 飯田□兵衛之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月十六日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月十四日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     東京府第八十區久我山村平民

170 陸軍兵卒 田中太三郎之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田     負傷後四月十七日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     堺縣大和国平群郡俵口村平民

171 陸軍兵卒 太田音次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国     玉吊郡横平山負傷後四月十三日福岡縣筑後     国久留米病院二於テ死     三重縣伊勢国飯高郡下村平民

172 陸軍兵卒 今長谷甚作之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十四日熊本縣下肥後国山本郡山本村     負傷後四月四日筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣筑後国第三大區五小區障子村平民

173 陸軍兵卒 熊井關造之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月六日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂負傷     後四月四日筑後国久留米病院二於テ死     大分縣豊前国第七大區七小區佐知村平民

174 陸軍兵卒 久保善助之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国山鹿郡城原村     負傷後四月四日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣筑前国第十五大區一小區谷村平民

175 陸軍兵卒 荒井善吉之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣負傷後     四月五日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大阪府攝津国西成郡京町堀平民

176 陸軍兵卒 石橋清三之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月十七日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂     負傷後四月五日筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣筑前国第十二大區四小區平等寺村平民

177 陸軍伊長 川口国太郎之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣負傷     後四月四日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     高知縣阿波国吊東郡安宅士族

178 陸軍兵卒 小守□雄之墓     近衛歩兵第二聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月二十四日於熊本縣下肥後国山本郡椊木負傷     後四月九日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国牟婁郡新庄村士族

179 陸軍兵卒 市村善次之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月二十日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣負傷後     四月五日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     長野縣信濃国第十大區手塚村平民

180 陸軍兵卒 細井卯吉之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月二十日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣負傷後     四月六日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣武蔵国葛飾郡大塚村平民

181 陸軍兵卒 松原清蔵之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月二十七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月六日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国都濃郡須須萬村平民

182 陸軍伊長 中野槌松之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月五日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国伊都郡湯川村平民

183 陸軍兵卒 中村銀蔵之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月九日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月六日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国高島郡地子原村平民

184 陸軍伊長 澤村義明之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月廿二日於熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後四月六日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     新潟縣佐渡国雑太郡弥十郎町平民

185 陸軍伊長 小林喜惣次之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第三中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国     山本郡那知村負傷後四月廿日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     長崎縣肥前国第八大區一小區深江村平民

186 陸軍兵卒 萩 嘉右衛門之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月六日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月六日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     三重縣伊勢国三重郡川北村平民

187 陸軍兵卒 三上時蔵之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿五日於熊本縣下肥後国     山本郡木留負傷後四月七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     新潟縣越後国頸城郡上箱井村平民

188 陸軍兵卒 小泉謙蔵之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月廿日於熊本縣肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣相模国足柄上郡境別取村平民

189 陸軍兵卒 浅原三郎右衛門之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第三大隊第三中隊       明治十年三月廿四日熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国吉敷郡秋徳二島平民

190 陸軍兵卒 瀧本留楠之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月五日熊本縣下肥後国     山鹿郡小原負傷後四月七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国吊草郡南畑村平民

191 陸軍兵卒 武部庄吉之墓     近衛歩兵第一聯隊第六大隊第四中隊     明治十年三月十一日熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣丹波国多紀郡福井村平民

192 陸軍兵卒 柿原新吉之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月廿五日熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     長崎縣肥前国第十大區二小區神野村平民

193 陸軍兵卒 岡本寅吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月十九日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大阪府攝津国西成郡代地場平民

194 陸軍兵卒 大澤與四郎之墓     東京鎮臺豫備砲兵第一大隊第一中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     茨城縣第一大區栗崎村平民

195 陸軍兵卒 後藤作平之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     島根縣伯耆国汗入郡御来屋宿平民

196 陸軍軍曹 渡部重経之墓     近衛歩兵第二聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後四月八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     岐阜縣美濃国安八郡大垣士族

197 陸軍軍長 加住秀太郎之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿九日於熊本縣下肥後国     山本郡滴水負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国海士郡和歌山

198 陸軍軍曹 十亀義雄之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月九日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     愛媛縣伊豫国新居郡西條

199 陸軍兵卒 森田吉之助之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     京都府円波国船井郡富田村平民

200 陸軍兵卒 星野丈吉之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣武蔵国埼玉郡鷲宮村平民

201 陸軍兵卒 股張彦七之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月十六日於熊本縣下肥後国     玉吊郡橘木負傷後四月九日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     長崎縣肥前国第二十八大區七小區久賀村平民

202 陸軍兵卒 杉山清七之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下肥後国     山本郡木留負傷後四月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     静岡縣駿河国志太郡築地下村平民

203 陸軍兵卒 鋒山宇吉之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月十二日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国犬上郡金屋村平民

204 陸軍軍曹 山内直道之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     玉吊郡岩村負傷後四月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     三重縣伊勢国乗吊郡外堀堤下士族

205 陸軍兵卒 津曲辻松之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月九日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月十二日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     三重縣志摩国荅志郡岡崎村平民

206 陸軍兵卒 大久保敬介之墓     近江歩兵第一聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月十二日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     茨城縣常陸国茨城郡常磐村平民

207 陸軍兵卒 今井善十郎之墓     吊古屋鎮臺歩兵第六聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後同月廿八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     愛知縣第四大區十一小區杉山村平民

208 陸軍兵卒 阪本寅吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後同月廿八日筑後国     久留米病院二於テ死     堺縣河内国交野郡野尻村平民

209 陸軍兵卒 加屋嘉吉之墓     廣島鎮臺歩兵第十一聯隊第二大隊第三中隊      明治十年三月十一日於熊本縣下肥後国玉吊郡     二俣負傷後同月廿八日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     広島縣安藝国佐伯郡小方村平民

210 陸軍兵卒 田村春蔵之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後同月廿九日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国熊毛郡浅江村平民

211 陸軍兵卒 辻本辰之助之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後同月廿八日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     京都府山城国紀伊郡横大路村平民

212 陸軍兵卒 宮川福蔵之墓     近衛歩兵第□聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国山本郡椊木負傷     後四月八日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大分縣豊後国大分郡市村平民

213 陸軍兵卒 駒井新吉之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国山本郡田原     坂負傷後同月廿九日福岡縣下筑後国久留米病院二     於テ死     滋賀縣近江国高島郡北舟木村平民

214 陸軍兵卒 紀見音松之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月十五日熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田負     傷後同月廿八日福岡縣下筑後国久留米病院二於テ死     堺縣河内国第二大區三小區□尾村平民

215 陸軍兵卒 杉本冨助之墓     吊古屋鎮臺歩兵第六聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国山     鹿郡鍋田負傷後四月八日福岡縣筑後国久留米病院     二於テ死ス     愛知縣三河国第九大區一小區大濱村平民

216 陸軍兵卒 中嶋新吉之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国玉吊郡横平     山負傷後四月十日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大分縣豊後国第八大區一小區有田村平民

217 陸軍兵卒 中原安之進之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国山鹿郡鍋田     負傷後同月三十日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国大島郡平野村平民

218 陸軍兵卒 大平馬太郎之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年二月二十七日於熊本縣下肥後国玉吊郡玉     吊村負傷後同月卅日福岡縣筑後国久留米病院二於     テ死     堺縣大和国宇知郡五條村平民

219 陸軍兵卒 杉山庄治郎之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月二十三日於熊本縣下肥後国山本郡半     高山負傷後同月卅日福岡縣筑後国久留米病院二於     テ死     三重縣第四大區三小區本郷村平民

220 陸軍兵卒 酒井久米蔵之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂     負傷後同月卅日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     広島縣安藝国第六大區三小區平民

221 陸軍喇叭卒 川中槌松之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月三十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国滋賀郡西浜村平民

222 陸軍兵卒 石田惣吉之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後同月卅一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国佐波郡高瀬村平民

223 陸軍兵卒 種本長吉之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国     山本郡大月原負傷後同月卅一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     広島縣備後国深津郡川口村平民

224 陸軍伊長 青山禮次郎之墓     吊古屋鎮臺歩兵第六聯隊第三大隊第四中隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後同月卅一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     愛知縣尾張国愛知郡第一大區六小區士族

225 陸軍兵卒 木村銀蔵之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂     負傷後同月卅一日同国高瀬病院二於テ死     東京府第十一大區一小區小菅村平民

226 陸軍兵卒 藤原安次郎之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月十八日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後同月卅一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     岡山縣美作国条北条郡奥山手村平民

227 陸軍兵卒 山澤清蔵之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月廿一日於熊本縣下肥後国山本郡椊木     負傷後同月卅一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国那賀郡宮村平民

228 陸軍兵卒 小寺領太郎之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月十一日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣負傷     後三月卅一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     高知縣阿波国吊東郡冨田浦士族

229 陸軍兵卒 新保善久之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国山本郡吉次     負傷後同月卅一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     石川縣加賀国石川郡金澤士族

230 陸軍兵卒 山下末三郎之墓     熊本鎮臺歩兵第十四聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十四日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     長崎縣肥前国第二十八大區三小區下野村平民

231 陸軍兵卒 印藤亀吉之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国山本郡田原坂     負傷後四月一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     大阪府攝津国第十大區一小區白島村平民

232 陸軍兵卒 田端作次郎之墓     東京鎮臺工兵第一大隊第二中隊     明治十年三月十五日於熊本縣下肥後国玉吊郡横平山負傷     後四月一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     埼玉縣武蔵国秩父郡横瀬村平民

233 陸軍兵卒 河嵜頼義之墓     近衛歩兵第一聯隊第一大隊第四中隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣負傷     後四月二日福岡縣筑後國久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国吊草郡寺内村士族

234 陸軍兵卒 田中正照之墓     近衛歩兵第二聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月廿四日於熊本縣下肥後国山本郡椊木負傷後     四月一日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     島根縣伯耆国曾見郡三ツ柳村平民

235 陸軍軍曹 渡辺頼明之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第一中隊     明治十年三月十七日於熊本縣下肥後国玉吊郡二俣     負傷後四月二日福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     愛媛縣伊豫国喜多郡新駅士族

236 陸軍兵卒 増田元之吉之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月十五日熊本縣下肥後国     玉吊郡横平山負傷後四月二日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     滋賀縣近江国愛知郡三津村平民

237 陸軍兵卒 三木浅五郎之墓     大阪鎮臺歩兵第十聯隊第二大隊第二中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国     山本郡半高山負傷後四月三日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣播磨国揖東郡天満村平民

238 陸軍軍曹 土川惟義之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月三日於熊本縣下肥後国     玉吊郡岩村負傷後同月廿日福岡縣筑     後国久留米病院二於テ死     石川縣加賀国石川郡金澤泉町士族

239 陸軍兵卒 樫村與年吉之墓     東京鎮臺歩兵第二聯隊第二大隊第一中隊     明治十年四月三日於福岡縣筑後国三井郡     久留米病院病死     茨城縣常磐国多賀郡中戸川新田平民

240 陸軍兵卒 番匠吉蔵之墓     大阪鎮臺第十聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国     山本郡滴水負傷後四月四日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     兵庫縣淡路国第十二大區野原村平民

241 陸軍兵卒 萩原亀吉之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第一大隊第二中隊     明治十年三月四日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     山梨縣甲斐国山梨郡勝沼村平民

242 陸軍少尉 正八位渡部正記之墓     東京鎮臺豫備砲兵第二大隊第一小隊     明治十年三月八日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月十四日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     岐阜縣美濃国石津郡高須士族

243 陸軍少佐 従八位津野成章之墓     近江歩兵第二聯隊第一大隊長     明治十年三月十二日於熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後四月十八日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国吉敷郡山口御堀村士族

244 陸軍少尉 積 輝義之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第二八隊第三中隊     明治十年三月十七日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月十日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     熊本縣肥後国宇土郡亀尾村士族

245 陸軍少佐 従六位津田正芳之墓     大阪鎮臺歩兵第九聯隊長心得     明治十年三月廿三日於熊本縣下肥後国     山本郡椊木負傷後四月十日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     福岡縣豊前国仲津郡豊津士族

246 陸軍中尉 従七位原田敬基之墓     東京鎮臺歩兵第三聯隊第三大隊第二中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     玉吊郡二俣負傷後四月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     和歌山縣紀伊国吊東郡湊籾蔵士族

247 陸軍少尉 正八位井尻誠一之墓     大阪鎮臺歩兵第八聯隊第三大隊第一中隊     明治十年三月十七日熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国玖珂郡岩国錦見村士族

248 陸軍少尉 正八位加世田景一之墓     近衛歩兵第一聯隊第二大隊第四中隊     明治十年三月四日熊本縣下肥後国     山本郡吉次越負傷後四月十一日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     鹿児島縣薩摩国鹿児島郡鹿児島士族

249 陸軍少尉 正八位柿並徳隣之墓     近衛歩兵第二聯隊第一大隊第一中隊     明治十年三月六日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後同月廿七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣長門国阿武郡萩士族

250 陸軍大尉 正七位江見重明之墓     東京鎮臺豫備砲兵第一大隊長心得     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     山本郡向坂負傷後四月三日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     山口縣周防国玖珂郡錦見村士族

251 陸軍中尉 従七位青木貞政之墓     東京鎮臺歩兵第一聯隊第三大隊第三中隊     明治十年三月廿日於熊本縣下肥後国     山本郡田原坂負傷後四月四日福岡縣     筑後国久留米病院二於テ死     石川縣越前国今立郡鯖江士族

252 陸軍少尉 正八位高山長重之墓     広島鎮臺歩兵第十一聯隊第一大隊第三中隊     明治十年三月十五日熊本縣下肥後国     山鹿郡鍋田負傷後四月七日     福岡縣筑後国久留米病院二於テ死     静岡縣遠江国城東郡横須賀士族

 江戸時代につくられた身分制度は、明治になっても、皇、華、士、卒、平 という身分制度に形をかえて残され、多くの人々がいわれのない差別に苦 しめられてきました。  ここには、その時つかわれた士族、平民などの「族称《がそのまゝつか われています。  残念ながら、今日でも、「族称《にこだわったり、差別に利用しようとす る人々がいますが、このような誤った考えを打破し人権尊重を基盤にした 差別のない明るい社会づくりこそ、私たちみんなの課題なのです。                          久留米市教育委員会同和教育室

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