御井町誌 刊行のことば

刊 行 の こ と ば

 久留米市立御井小学校
     父母教師会々長  山 田 雅 敬

山田

 御井小学校父母教師会は、学校創立百十周年の記念事業として『御井町誌』を編纂し、ここに刊行する。 この『町誌』の発刊は、ひとえに多くの方々のご指導とご協賛のお蔭であり、尽力の賜です。
 御井校区に脈打つ伝統は、本学開校の明治六年二月以来、時には町財政の半ばを児童教育費にあてるほど熱心であったところにあると思われます。『町誌』が、このような地域の教育力をいっそう高める一助となり、もって周年事業の意義を深めるならば、私たちの幸いとするところです。
 ここに掲載なったものは、御井小のまわりの隣人たちが生きて生き、業を営なんだ生活の記録であり、あるいは石碑などに刻まれた銘文の発掘により、この地域の文化や経済発展の径路を知り、あわせてこの地域の人々の風俗や慣行や魂といったものにまで理解が及ぶのです。
 このようにして、地域の生の記録は、昔をなつかしく思い起こすものとしてだけでなく、時間の重みでせまる知恵として現在を反省させる材料として十分でしょう。また、学問的資料にもたえ得るよう正確に記すことを心がけたため、示唆に富み未来への明るい展望を拓く力をももっているものと確信します。
 御井小学校の周年事業として企図され、刊行なった『町誌』は、次世代の主人公たちを育てる任を担う者の心からなる手づくりのメッセージです。
 『町誌』成るに及んでいささかの感慨とともに、ひろく愛読されることを祈念致します。

『御井町誌』 発 刊 に よ す

 御井小学校 校 長  浅 井 泰 則

浅井

 此の度、本校PTAの努力によりまして、町誌が刊行されましたことは、郷土御井町にとって画期的なことであり、誠に慶びにたえません。
 本校では、十年前、創立百周年を迎えるに当たリ、盛大なる記念行事が催されています。当初の計画にありました『御井町誌』編纂については、後の機会にということで、今回、百十年の節目を記念して発刊されるに至りました。
 本校区は、昔から、筑後一の宮である高良大社の門前町として栄えると共に、江戸時代の頃より、坊の津街道の宿場町としても発達を続け、近郊の中心的存在をなしてきました。由来する歴史的史跡も多く、古い由緒ある町と言えるのです。また、昭和十八年の久留米市との合併や、戦後における高度経済成長期を迎えるに至り、高良山を中心とした緑に包まれた絶好の環境からして、学園の街・住宅の街としても発展し続けてきました。
 高良山にまつわる古い歴史は、高良大社の歴史と共にあると言えるのですが、今日に至っても古い文化の香りを残してくれている反面、歴史的遺跡の荒廃が進んでいることや、史料の保存が疎かになっていることも見逃せない事実です。この機に当たり、史料の収集や、民話・伝説の掘り起こし、文化遺産としての遺跡等の調査の声が上がり、ptaの役員が活動の中心となって、『御井町誌』として後世に残すことになったわけです。家業の傍ら、日曜を返上し、夜の会合を重ねつつ取り組まれた情熱と郷土愛に対しまして、衷心より敬意を表するものです。
 車社会、情報化杜会が進展する中で、子ども達にとって教育力を持っていた地域が、その機能を日々失ないつつあるのが現状といえます。地域に根ざした学校づくり、地域の教材化が叫ばれている今日、pta即ち、児童達の親が、地域の歴史的遺産を掘り起こして町誌にまとめ上げたということには、大きな意義があるわけです。学校といたしましても『御井町誌』を大いに活用させていただき、郷土の良さに目を向け、親しみと誇りを持つ子、より豊かな感性を持った子を育てるべく、努力を続けたいと思います。

発 刊 に よ せて

 

御井校区公民館 館 長  長門石 芳 康

長門石

 御井小学校創立百十周年の記念事業として、父母教師会で、『御井町誌』の発刊が企画され、編纂委員の方々の、二ヶ年に亘る資料の蒐集、調査によって、このたび見事な町誌が発刊されましたことは、近年にない快挙であります。
 戦後四十年、その間どこの町を見ても、大なり小なりの変化があっています。
 ふるさと御井町を見ても、人口一万人の町に成長し、昔の町の面影を一変した町内が多く、将来バイパスでも貫通すれば、更に大きく変わってゆくだろうと思われます。
 このようなことを思う時、ここでふるさとの記録を記しておかなければ、かつての門前町、宿場町として栄えた昔からの御井町の歴史や、我々の父祖が残した生活文化の歴史が、顧りみられることなく忘れ去られ、子や孫に語りつぐことも出未ぬことになることを憂いて、我々の手でやろうという、ふるさとを愛する気持から、発刊を思いたたれたことと思います。
 しかしこの仕事に取り組まれた編纂委員の方々は、自分の仕事の余暇や、家事の余暇をつくり、足を運び、古老の方々の話に耳を傾け、ある時は、資料提供者を探し求めて尋ね歩き、資料を蒐集されるなど、長い間大変なご苦労があったこととお察し致します。
 その苦労があっただけに、内容が充実した、価値ある町誌が完成し、時として学校教育の資料に、時として社会教育の資料に活用されて、後世の人々のためにも、貴重な遺産になることと思います。 この素晴らしい町誌の発刊を心からお慶び申し上げますと共に、編纂にあたられました方々のご苦労を察し、その情熱と努力に、敬意と感謝を表する次第であります。

『御井町誌』 発 刊 を祝して

久留米市長  近 見 敏 之

近見

 御井小学校創立百十周年を記念し、このたび『御井町誌』が発刊されるにあたり、二十二万久留米市民を代表して心から、お祝いの言葉を申し上げます。
 自然と人間こそ価値、歴史と文化こそ価値―これは地域杜会づくりの基本であります。私は水と緑花と人間都市、花と技術の街づくリを久留米の都市づくりの合言葉とし、これまで愛郷の心篤き全市民、就中、御井校区の方々とともに、美しの古里づくりに邁進してきました。具体的にはテクノポリス(高度技術集積都市)、フラワーポリス(緑花都市)、スタディポリス(学習都市)建設を久留米市の進むべき道として、国の政策と地域の政策をオーバーラップさせながら、水と緑の人間都市づくりを目指しております。
 テクノポリスは技術革新、情報杜会の衝撃に対応するため技術の地域定着を進め、それによって新しい産業、新しい生活様式をつくり出していく地域開発の手法であり、地域の自立化、活性化を目指すものであります。フラワーポリスはこのテクノポリスを受け入れる基盤となる潤いとゆとりある街づくりであり、いわばハイテックに対するハイタッチであるといえましよう。
 更に、久留米市は自然的、文化的、歴史的条件など抜群の教育環境に恵まれていますが、今日の急激な杜会変化に誤りなく対応するためには、人間の生き方と社会のあり方を根源的に問い直し、物事の本質に迫ることが肝要であると思います。その根源的課題は、人間としての完成と人材育成であります。そしてこの課題の追求は、学習社会の形成と地域社会の活性化の同時実現を図るものでありましよう。その理論と実践がスタディポリスの建設にほかなりません。テクノポリスもフラワーポリスも総てその基礎はここに置くものであります。
 今後定住圏の母都市、久留米は九州の要、日本の代表的中堅都市として成長するとともに、国際化へ向って挑戦しなければなりません。その実現のためには豊かな情操と国際的視野をもち、また高度技術時代に対応しうる人材を育成することが必要であります。私は市制百年を期し、このような希望を担う青少年に、テクノポリスでは青少年科学館、フラワーポリスでは世界つつじ博、スタディポリスでは筑後川博物館というビッグイベントをプレゼントしたいと思います。
 御井町は久留米の原点・高良山の懐に抱かれた歴史と伝統に根ざした町であります。豊かな自然の中に、古い歴史と伝統を秘めた高良山、その美しい山容は水と緑の人間都市・久留米のシンボルであり、郷土の人々の心の古里と言えましょう。「温故知新」という言葉がありますが、これを機会に歴史の蓄積に学び、明日への古里づくリの大きな推進力となりますよう期待いたします。
 また本誌の発刊に御尽力をいただいた方々の、地域への深い愛情に深甚なる敬意を表するものであります。
 最後に、御井町の皆様方が未来を担う子供達へ限りない愛情を寄せられ、御井小学校と地域の発展に一層の御尽力を賜わりますようお願いして祝辞といたします。

『御井町誌』 の刊行によせて

 久留米市 教育長  光 山 利 雄

光山

 御井小学校ptaが、学校創立百十周年記念事業として、郷土に古くから語り伝えられてきた民話、伝説などを、子孫のために残そうと『御井町誌』を刊行されますことは大変有意義なことと思います。
 戦後四十年を経た今日、社会の変化、地域の変貌は著しく、住民の生活も、意識も大きく変化し、代々受け継がれてきた風俗、慣習も次第に失なわれ、昔の面影を偲ぶこともむつかしくなってきております。また、それら先人の生活なり業績を語リ伝える人も少なくなリ、私たちの生活の場である身近な地域についての愛着や、近隣の人とのつながりなどが稀薄になりつつあるのではないかと思われます。
 しかも、このような地域社会の変貌は、子どもたちの教育環境としての地域の教育力の低下を招き、教育的な活力を失ないつつあるのではないかと考えられます。こうした今日的状況の中で、御井小のptaの方々が、身近な郷土の歴史に目を向け考え失なわれつつある説話を残して、子どもに語り伝えると共に、親と子との対話、共通の話題の素材としても生かそうと考えられたことは、誠に時宜を得たものであると思います。
 今日、日本の地域杜会は、いろいろな意味で潜在的な教育力を失なっているといえます。臨時教育審議会も、社会の変化に対応する「社会の教育機能の活性化」に視点をあてた論議が進められています。とくに、核家族化の進展、女性の社会的進出等家庭の質的変化が進んでいること、また、急速な都市化の中で従来の地域協同体が崩れつつあることから、これからの学校と地域・家庭の教育機能の在り方、新しい教育システムの再構築などについての提言が考えられています。
 申すまでもなく、地域社会は子どもたちにとって、多面的な生活体験の場であります。しかしながら、最近の子どもたちは日常生活をその中で営んでいるにもかかわらず、地域の自然にふれながら遊ぶことも、地域社会の大人や異年令の仲間と人間関係を結ぶこともなく、地域社会の伝統的な、あるいは独自の文化に接する機会も少なくなっています。
 このような現状は、青少年の健全育成の立場からは誠に憂慮すべきことで、何とかして青少年の日常生活の中に地域を復権させなければなりません。そして、青少年と地域の自然や社会や文化とが、日常の生活行動を通して結びつけうるような生き方を、子どもたちに十分に体得させることが必要であると考えます。そのような意味において、今度出版されます『御井町誌』が広く活用され、地域の連帯の絆となり、地域の教育力の活性化につながるよう期待してやみません。

小  序

 『御井町誌』編纂委員長  鹿子島 慶 正

 昭和五十年、創立百周年を迎えた母校が、これを記念して『御井小学校創立百周年記念誌』を刊行して、はや十年の歳月がたちました。さらに今回は百十周年に際して『御井町誌』発刊の計画をいたしましたところ、多くの方々の多大なるご協力をいただき今日の上梓にいたりました。これは『町誌』に対する皆様のご理解の賜物と感謝いたしております。
 御井町は古くは府中という坊の津街道の筑後三宿場のひとつで、南に羽犬塚、北に松崎の中間に位置し、また、高良神杜の門前町でもありました。今回の町誌は、府中時代から今日までの御井町の歴史を辿り、庶民史的にまとめたものです。町の歴史を調べていく中で、幾つかの新しい発見があったことは望外のことでした。

 本書は内容を三章に分け、第一章「現代の語部」は、忘れられようとしている町の姿や形、埋れていた話等が新しく息を吹きかえし、第二章「府中・街道とその周辺」では、街道と古い歴史を誇る高良神社を軸に、当時の府中町を再現し、第三章は町に点在する石碑にスポットをあてて、まさしく石に歴史を語ってもらいました。
 本書の執筆にあたりましては乏しい資料と、慣れない仕事で、遺漏誤脱も多くあるかと思いますが、それらの不備はご指摘いただいて、皆様のご叱正を仰ぎたい所存です。その上で、この『御井町誌』が学校と地域杜会との相互関係を深めることに一役かってくれれば、編纂委員一同、この上ないよろこびとするものであります。
 末尾になりましたが、本書の史料の面では、郷土史家で県内屈指の資料収集家鶴久二郎氏、九州大学名誉教授桧垣元吉氏、その他大勢の方々からのご協力、ご援助をいただいたことに厚くお礼申し上げます。

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