名剣さん(荒木)

※媼・筑後一・三、4

 壇の浦から九州に下られて、お家再興ば考えとられた平家の面々も、あんまり源氏の力ん強かもんで
、とうとう筑後まで落ちて来られ、せめて安徳天皇だけはお守りしようち久留米の松田何とかち言う地 頭の別荘、荒木の白口におかくし申し上げたが、天皇は思うにまかせん世の中ば悲しゅうで二十八才の 時此処でお亡(ナ)くなりになった。残っとった僅かな家来の衆と村の者(モン)で手厚う御亡体(オ ンナキガラ)ば篠山に葬った。そして天皇が肌身離さずお持ちになっとった剣ば御住いの跡に埋めち、 名剣大明神ち彫った石碑ばその上に建ててお祀りした。そりから此ん境内で、小鳥ば獲ったり、木ば折 しょったりすっと、きまって崇りば受くるごつなった。あっ時椿の咲して目白んようけ来るけ、小供が 目白ばとったところが目んつぶれた。又落葉ば腐らかすとは勿体なかち、焚くとにかき集めち持ってい った婆さんが、わけんわからん大患いばしたりしたもんぢゃけ。そりからは誰でんそげな二つばせんご つなり、境内や何時も落葉ん積(ツモ)ってジメジメしよった。境内や五百坪ぐれあったが、終戦後ん 食糧増産のためとか言うて田んなかになってしもうたけ、もう今はどこぢゃいわからんごつなってしも うた。ばって荒木駅から二、三丁大善寺さんさね行く道のとこに昔ぁ、ちゃんとあって爺ちゃん達の祭 ばしござった。

力 石(荒木)

※媼

 力石ち言うて荒木の白口地蔵さんの処に丸か石のあるが、こりゃ男ん子が十五か十六になって若ケ者  (ワケモン)入りすっ時抱えち力自慢ばしよったらしか。ヨドになっと若ケ者(モン)どんが皆集っ て、こん力石ばさし上げたり、抱えち走ったりして賑やいよったげな。又こん石ばさし上(アグ)っと 其ん年ぁ豊年万作になっちも言うとったげな。白口のこん石ぁ百五十斤ぐれあろけ、今時の者なとてん 抱えきりゃするめ。

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