一本杉(太郎原)
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※久留米碑誌253
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今から六百二十年ばっかり前、足利尊氏の横車で天皇さんのお家騒動んもちあがり、九州ぢゃ本家の
懐良親王も、菊池武光の四万の軍勢ば引きつれち、尊氏方の六万の軍勢と大保原一帯で戦して引分けら
れ、こん高良山に引上げち来られたが、そん戦で死んだ者ばこん地元ん者な手厚う弔ろうて、塚ばつく
り、塚の前にゃ一本杉ば植え、親王さんに可愛がってもろうた恩返しばした。そん杉が昭和三十一年八
月の十七日の大暴風でこき倒るるまで残っとったけ、太郎原の一本杉ち言うてとてん有名ぢゃった。
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鶴橋(太郎原)
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※続市誌345
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むかしゃ、こん筑後川んへりにも寒なっと鶴のばさろ飛うで来よりましたげな。ある時太郎原の小川
んとこにも一群(ムレ)ん鶴どんが下(オヂ)って餌とりよりましたげなが、夕方近うなったけ鶴(ツ
ル)の群(ムレ)ぁ高良山の山ん中ん巣に飛うで行てしもうたげな。見つとどうしたこつか子鶴が一羽
だけ小川に立ったまゝで時にゃバタバタするばってん飛び上りきらんな残っとるげな。村ん者が近かよ
ったばって飛び上りきらん。たゞ羽根ばバタバタするだけげな、ようと鶴ん足許ば見たら、クーズン奴
が一方ん足にかぶついて離さんもんぢゃけ飛びきらんなおったつげな。すぐクーズばたたっ殺して離し
てやったばって力ん無うなったっぢゃろ飛びきらんけ村でそん鶴の傷ば手当してやって、後で殿様にあ
げたげな。殿様(トノサン)な喜うで普通なら橋ばかけちゃ出来けんとこばって、鶴の立っとったとけ
橋ばかけてん良かち許さっしゃったげな、そりからこん橋ば鶴橋ち村ぢゃ言うごつなったち言う話。
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