旧東林寺の鬼火 (藤光)

※翁

 明治になるちよっと前頃ぢゃったげな.久留米から羽犬塚に、どうしてんいかにゃん急用ん出けたけ 夜中ばって、牟田山ん藪原ば通って男が一人スコスコ真黒暗の道ば急ぎ、ようよ高良台の登り口ん櫨(
ハゼ)畑ん横ば通りかかったげな。と右の東林寺ん方ん櫨畑ち思はるっとこにポロン、ポロン小まか赤 か火の上さん出よるげな、ビクっとして、走ろでちしたばって足のスクーでよう動かん、と墓どこん方 から赤子ん泣声んしてきたげな。ポロンポロン出よった火は櫨の木の上ぐれでぐるぐると舞うて、太か 一つ火になって風もなかつにスーッと久留米ん方さん飛うで行たげな。こりゃ早よ逃げにゃち思うばっ て、もう足の言うこつ聞かん。そうたいこげん時ぁ這うて行きゃ良かち聞いとった話ば思(オ)め出し てジーッと這うたげな。赤子ん泣声はどんどんひどなるげな。もう腰の抜けたっぢゃろ、手も動(イゴ
)かんな、頭ん毛は総立ちげなたい。どんくれたったか後ん方の赤うなったけ、ジーッと首ば回して見 たら、先(サッ)きん火の玉が戻って来て、消えたとこんにきでキリリッち舞うてパッと消えたげな、 又ゾーッちして、もう震の止まらんげな。火の玉ん消えち、ちよいとして、あげん聞えよった赤子ん泣 声はピタッと止うで、いよいよエズしてエズして、ようよ這うち藤田ん一軒屋に助けもとめち、戸ばた たいた時ぁ、もう夜のあけかかっとる時ぢゃつたち言う話、こりゃ子育て幽霊ち言うとぢゃろ、男はそ りから半年ぐれ熱の引かんな寝ついたげな。

坂の上の菅公像 (藤光)

※筑後二、五、19

 藤光のとこに東林寺のあった頃、ここの玄鏡ち言う和尚さんが年とったせいか、ちーつと体ん調子ん 悪かもんぢゃけ、「筑前の武蔵温泉がよかけん、いっ時養生して来なさらんの」ち言う門徒たちのすす めで、武蔵温泉に湯治に来なさった。日にちのたつにつれちほんに元気にならしゃった。いくら湯治に 来とっち言うてもお坊さん。朝夕の御勤めは欠かさんごつしござった。或る夜、寝る前のお勤ばされと っと、いかめしか衣冠束帯の人が目の前に現われて「我は菅原道眞也今武蔵寺に同体分身の像あり、よ ろしく東林寺に持帰り、信仰せよ。いかなる願もかなえるであろう」ち言うて消えられた。和尚さんな 不思議なこつもあるもんち思うて床につかれたが、そん晩夜の勤行の時見た菅公の像ば温泉の西にある 武蔵寺から自分が戴いて東林寺に持って帰る夢を見らしやった。和尚さんな夜の明くっとも待ちきらん ごつして武蔵寺ば尋ねち、住職の定応法印さんに昨夜ん夢ば話しなさった。ところが定応住職も又同じ 夢ば見とられとったけん、「私も同じ告げを受けました。たしかに武蔵寺には昔から伝わっておる天神 様の木像がありますが、この御像は菅公御自身がお彫りになったものち言われとります。こげな片田舎 のお寺にお祀りしておきますより、藩公の直願寺である、あなたの東林寺様で祭っていただいた方が菅 公様も御本望でしょう、どうぞおゆづり申しますけ昨夜の夢んごつ待ってお帰り下さい」ち武蔵寺さん ぢゃ心ようゆずられたけんで、玄鏡和尚は喜うで東林寺に持って帰って天満宮に祭らっしゃった。

Copyright SNK, All Rights Reserved.