南の北向観音 (原古賀)
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※翁・筑後二、六、15
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三百年ばっかり前に砧円法師ち言う坊さんが夢のお告げで原古賀の南の大榎の下に行基菩薩の作ち言
われとる聖観音ば本尊にして御堂ば建てらしゃった。そりから百三十年ばっかりたった寛政十一年の秋
、住職の慈音和尚が夜の勤行ばしござったら風も無かつに大榎のじわぁと根本から御堂に倒れち来て御
堂ば押潰してしもうた。近所ん者なびっくりして、中の和尚さんば助けぢゃこてち、屋根ば除けよった
ら、そん下から御本尊さんば抱いて和尚さんの出て来らしゃったもんぢゃけ、あんまりの奇跡に声も出
らんぢゃったげな。そりから観音さんの北向きなって祭っちゃったけ北向の観音ち言うて、病気てん、
運の向くごつてん願ばかけち参るごつなった。
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狸の怪 (原古賀)
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※筑紫野民譚集435
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原古賀ぁ今は何処にでん家ん建っとるが、昔ぁ家もパラーパラで櫨の木林やら大榎のとてん多うして
、昼でん一人ぁ通りきらんごつぁる処ばっかりぢゃった。一ちょん榎の下ば晩どん通りょっと狸ん奴が
砂降らせち、びっくりさするし、又真夜中に別の道の大榎の下ば通りょっと、一丈ぐれある馬ん足のプ
ラさがってとてんエスカとこん多か村ぢゃった。馬ん足も狸ん奴が化けよったたい。そりゃほんに狸の
多うかとこぢゃった。
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原ん古賀 (原古賀)
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※市誌上313
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ずーつと昔、荒野ぢゃった処ば開墾して荘園にしたとこぢゃろち言われとる。地名の古賀ちゃ古閑ち
も書くが、そん古閑ん訛りぢゃろ。原っぱで荒地ち言う意味たい。
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