高良内町   目次に戻る

温石湯(高良内)

※篠原稿

 天保年間ち言うけ今から百五十年ばっかり前んこつ、久留米藩の武術指南番ぢゃったが、体が弱かけ 浪人して安武に引込うだ板垣信次郎ち言う人が、体が強うなって又元んごつ指南役の勤りますようにち
、玉垂宮さんに願かけち参りよったところ満願の日、スーッち見知らぬ白髪の老人が出て来て「おまえ の信仰の厚さに感じて願をかなえてやる。この宮から東の方一里のとこにある谷間に霊泉が湧き出てい る。この泉で斉戒沐浴すれば必ず元気になる、疑わずに早(ハヨ)う行け」ち言うたかと見たらもう老 人の姿は消えてしもとった。板垣は喜うで、さっそく高良内のこつば良う知っとる一の瀬谷の行武平六 ち言う石工の親方に、わけば話してその日から案内役ばしてもらい二人でずーつと探し廻ったが、なか なか霊泉が見つからん。来る日も来る日も山ん中、谷の奥ば探し廻ってん見っからん。ちょうど十月の 二十一日の夕方、くたびれ切って、谷かげにボャーッと二人腰下しとったら、きれいか水の音ん聞えち 来た。チョロチョロチョロ。二人ぁ急に元気ん出て来て、そん水音んする谷ば急いで登って行った、と 大きな平岩ん下から澄んだ水の湧き出て来よっとん見えた。二人ぁ飛び上って喜うだ。すぐ麓ん百姓家 から桶かって又登って来て二人共そん霊泉ば汲んで下り、風呂ばたいてもろて入浴したところ、たちま ち元気になった。こりが評判になって温石湯が出けた。

マンダラさん石(高良内)

※媼・続市誌上、568

 むかし高良山にお寺ん多かった時、朝鮮からか、中国からか知らんばってマンダラさん織りの女工ば 高良山の南に何人か連れち来て、マンダラやら衣やら、仏壇に使う敷物ば織らせよったらしか。親里離 れち知りもせんこげん遠かとこに若っか身空で連れちこられち、どげん淋しかったやら、悲しかったや ら高良内ち、病気どんすりゃ猫んごつ捨てらるる。そっで皆んなで小(コ)んか石ば立てち、いろいろ ん願いばしょったろうち言うこつたい。今はそん石ばマンダラさんち言うて、女ごんいろいろん願いば すっと、かならずきかっしゃるち言うこつで、立派な御堂ん中に祀ってある。

織姫塚の木(高良内)

※媼

高良内の織姫塚に生えとる木に登ったり折しょったりすと、かならず崇のあるち初手から言よったが、 いつかこげなこつのあったたい。あすこん柿の木に登って遊びよった隣のヨッちゃんが、ひっかとこか らぢゃったばってあえち大外傷(ウーケガ)した。あげん低かとっからあえたぐれで、あげん大怪我す っとはまちかいのうあん塚ん崇りぢゃろち言うてそれから回りに七五三繩ばはって、子供ん遊びに入ら んごつしてしまはしゃつた。今はもうせーもなって七五三繩もはっちゃなかゞの。

糸織塚(高良内)

※媼・続市誌上568

 むかし高良山なお宮さんよりお寺ん方が多うして天台の九州本山のごたる時がありました。そっで坊 さん達の衣やら諸飾り布やらがばさろいるもんぢゃけ大和ん方からか、朝鮮からかようわかりまっせん が、織りもんの上手か女ごシ達ば呼うで来て高良山の南据んにきで糸ば紡がせたり、織らせたりしょり ました。知らん他国で若っか女ごんこつぢゃけ、どげん淋しゅうがって泣きょったこつぢゃれ。逃げた っちゃ、とてん女子ん足で逃げきる話しぢゃなかし、月見ちゃ泣き、花の咲きゃ泣きして遠か生れ在所 ば思い出しょったろち言うもんですたい。月日のたつうちにゃちょいとした病気がもとで死んだり、さ びっせ狂い死したもんもありましたろ。そげな者ば仕事場近くに塚ば造って葬ってやったつが糸織塚で す。ほんに、ムゾか話ですたい。そこでこげん遠うかとこで死んだウラミぢゃろか、今でんこん塚ん上 で遊うだり生えとる木にさわっと怪我するち言われとります。こん塚は古墳かもしれまっせんがの。

蝉丸社塚(高良内岩竹)

※篠原稿

 戦国時代ぢゃけ、今から四百三十年ぐれ昔のこつたい。こん高良山に城ば造って原田親種ち言う大将 が坊さん達と仲よう筑紫ば治めよった。ところが、豊後ん総大将大友義鎮が米ん一番良う取るるもんぢ ゃけ、ここん欲しゅうなって筑前臼杵新介に筑後ぱ攻めちおっ取れち命令した。「はい」ち臼杵新介が 高良山ば攻めたが、とても攻らるゝもんぢゃなか、山坂が急ぢゃあるし、原田親種が頭ん良かもんぢゃ け戦のたんびにつん負くる。豊後ん大友からはまーだ取らんとか、何しよるか、ちおごらるる、困っと つとき家来の中からまーだ十八にしかならんばって頭ん良かち評判の吉野八郎ち言う良か男が臼杵新介 の前に出て、「私によか考えのありますけ、いっ時暇ば下さい。そして私が帰って来るまぢ、戦はせん なおって下さい、しゃっち高良山ば取るごつして来ますけ」ち願うて、何処さんか出て行ってしもうた 。吉野八郎は姿ば変えちすぐ高良山に参って原田親種の家来達と仲良うなった。そうして原田親種の小 姓で、いっ時前まじゃ一番ムゾがられよったが今は捨てられたごつなっとる染川十郎と知りようた。十 郎はビヤの上手ぢゃったけ蝉丸ち呼ばれとったげな「小姓ば次から次に変えち、入の真心ばふんたくる ごたる浮気者の原田親種ぱ殺して、二人で仲良うこん城主になろう」ち吉野八郎か染川十郎ば焚きつけ た。そん口車に乗って、正直者の染川ぁ本なこて原田親種ば殺してしもうた。とすぐ臼杵新介が高良山 ば攻めち来て、あっさりのっ取った。二人で城主になろうてんなんて夢(アブ)でんなか。高良山から ホタリ出されち染川十郎は主殺の祟か気狂なって、原田ば怨み八郎ば怨み世間ば怨うぢとうとう狂い死 したげな。祟りどんすっと大ごっ、又ムゾゥなげち皆が塚ば造って供養してやったげな。そりが蝉丸塚 げな。

  註 下から二行目の「祟」の文字は原文には有りませんが、想定して挿入しています。

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