長門石町   目次に戻る

七木地蔵(長門石)

※市誌上328・翁・久留米めぐり7

 七木(ナナキ)地蔵さんな、初手は玉ノ井地蔵とか辰巳地蔵ち言よったが、地蔵さんの回りに大楠か 松の木ん七本あったげなけ七木(ナナキ)地蔵ち言うごつなったつげな。こん七木地蔵さんのあったと こん地字(ホノケ)ぁ道場ち言うて、昔、両同院ち言う大きなお寺さんのあったとこで四百年ばっかり 前んこつ、肥前の殿さん竜造寺が豊後ん大友と戦争すっとき、こん両同院にお参りして「今度(ダ)ん 戦は是非勝たせち下さい。勝つこつの出来たなら必ず御恩報じばいたします」ち願かけち、見事大友ば 負かすこつが出来たもんぢゃけ、凱旋の時お寺に寄ってお礼参りばして住職に「何か御恩報じをしゅう と思うが、御僧に望があるなら言うて下さい。希みどうりにしますから」ち言うた。住職は「はい、こ の寺ば向えん千栗(チクリ)に移してもらいたいもんです。こ処は大水がよう入りますので、その度苦 労して門徒も困っとりますから、大事(ウーゴツ)ばって、移して下さい」ち頼うだ。気安いこつちす ぐ竜造寺は、費用はばさろ要(イ)ったが千栗さん移したげな。そん寺が今ん大法寺ち言うこつです。 ところがお寺ば千粟(チクリ)さん移した明けん朝、こん七木地蔵さんな自分一人、元ん両同院さね帰 ちゃったげな。皆びっくりして、千栗さん直そかち思うたばってん「よう考ゆりゃ、どげん大水の入っ たっちゃ、長門石の者ば見捨ち自分だけ千栗に直るこつぁでけん、ち言う御慈悲からぢゃろうけん、長 門石で力合せちお祭しゅう」ちなってそりから皆前よか大切にしてお参りするごつなったげな。そりか らどげな願いでん一ちょならかならず叶えちやらっしゃるごつなって、遠か所からでん参り来るごつな った。選挙でん、試験でん、そりゃよう効かっしゃる。昭和になってからん話ばって、長門石にとてん 植木に熱心か百姓のおったげな。苗木ばいろいろ育てよったが、そのうち一ちょクロモチの木ば種から
、殖やす法はなかぢゃかち研究はじめた。ばってどうしてん思うごつ殖えん。とうと七木地蔵さんに御 願かけて、猶一所懸命研究しょったところ、ある晩夢のお告げんあってそん通りしてみたら、見事成功 したげな。こん地蔵さんな、高さ二尺五寸、幅一尺五寸ぐれん平石に彫っちゃるもんで、地蔵さんの右 んとこに応永三年十月道阿弥ち刻んである。

長門石の鎌切火(長門石)

※篠原稿

 昔、長門石に継(ママ)おっ母さんのおらした。我が子は目に入れたっちゃ痛なかごつムゾがっとに
、先(セン)の子は犬か虫けらんごつムゴこき使う。使うばっかりなら良かゞ食い物でんよう食わせん
。そりゃもう村の評判ぢゃった。見かねち親類の者が蔭で「あんまりしたこつぢゃけ、ちった嫁ごに文 句言え、長男がムゾすぎっぞ」ち言うばって、嫁ごにほれとる親父は何も言いきらん。言いきらんとば
、良かこつしていよいよ先(セン)の子と我が子と立へだてする。草刈に行く時の弁当でん先(セン) の子にゃネマッた飯ば、我が子にゃ炊き立てん飯は握って、菜にゃ先の子はコンコンニ切、我が子にゃ 油上げにコンニヤクば持たする。先の子は昼飯なって飯ば出してみっとネマッて臭のしよるけ弟に見え んごつすてちコンコンだけば喰う。弟はうまそうに腹一ペ喰う。十三、四の喰い盛の時よう辛抱したも んたい。そりばって昼飯食わんけ先(セン)の子は昼からん仕事ぁロクスッポ出来ん。弟は一ちょ違い ばって腹一ぺぢゃけよう仕事する。帰って来つと親父(オヤヂ)ん前で継(ママ)おっ母さんな弟ばべ たぼめして、先(セン)の子ばずろ者(モン)ち言うておごる。「おまいがごつあるズロモンにゃこん 家ん跡つぎゃさせられん」親父もまゝお母さんに調子合わする。毎日毎日まーこげな暮しぢゃった。そ りばって先の子は親ばうらみもせんな、たゞ心から「スミマッセン」ち言うてコトワリ言いよった。そ っで村ん者な先の子は「よう出ケた子供たい」ちほむる。ほむるもんぢゃけ、継おっ母さんな、なを憎 うなって「こりゃ相続するごつなっと、とてん我が子にお鉢ぁ回って来ん、殺さにゃなるめ」ち思い立 って、あっ時「岩見銀山猫いらず」ば飯の中に入れち、いつもんごつ草刈出した。昼なって飯食おうで ち弁当ば出して見っと、ムッとする嫌な臭さ、先の子は思わず「クサか」ち言うて弟が見よっとに飯ば 捨てた。弟はそりば見て「兄ちゃんな、勿体なか、そげん飯ぼ捨てち、又昼から仕事するめでち、しょ っとぢゃろ。ほんにおっ母さんな兄ちゃんば「ズロモンち良う言わしたこつ」ち悪たれば言い言い自分 な、うまか菜ば喰う飯ば喰う。そっでさすがに先(セン)の子も「こん飯が喰わるゝ喰われんか、おま いが喰うちみろ」ち捨た飯ば手でつこうで弟ん鼻ん先持って行た。そりから大ゲンカになって、とうと う草刈鎌で切合うた。憎さ無念さが一ペンに吹き出たっぢゃろ、土用ん日照の川原で切合うてどっちで ん死んでしもうた。我が子が死んだつぱ見て継(ママ)おっ母さんな気の狂うてそんまゝどこさんか行 てしもうた。この事件(コツ)のあってからが、シトシト雨ん降る夏の晩にゃ川ん土手にきまって二つ ん火の玉ん出て、上になり下になり、又離れたかち思うとパーッと突当り、死んだとこんにきでそりゃ すごか勢でいつまっでん斗う。こん火ば見っと村ん者な「ほんにムゾなげ」ち念仏となえち供養してや るごつなり「ほーら又鎌切火ん燃えよる、兄弟仲ようせにゃんばい」ち子供共に言うて間かするごつな った。

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