九十瀬(コセ)入道と二位尼(大橋)
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※浮羽めぐり35
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まーだ庄ん前神社に九十瀬(コセ)入道が祭られん時の話ぢゃろうか。こん九十瀬入道は平の清盛の
霊で、ずーっとこの巨瀬(コセ)川ん神さんぢゃったが、嫁女ん二位尼が安徳天皇と一緒に久留米ん水
天宮さんに神様として祀らるるち知って、自分も一諸に収まろうち思うて、何んか良か方法は無かもん
かち思案した。初めに嫁女の二位尼に頼うで安徳天皇の許(ユルシ)ばもらおうでちしたが、安徳天皇
は「いかに祖父にあたるとは言え、一時、国を我が物(モン)の如(ゴツ)した罪は深い。国を乱した
者(モン)ぢゃけ許すわけにはいかん」ち剣もホロホロの御返辞。二位尼も強か天皇の御心ぢゃけ、こ
の上取持つこつも出来ず、と言うて清盛ば見っとムゾもある。そこで二位尼は天皇に「せめて一緒にゃ
居られんでも、時々逢うとは許して下さい」ち願うた。天皇も、他(ホカ)ん者もそんくれなら仕様ん
なか、昔ぁ夫婦ぢゃったけち許が出た。そりから夏になっと時々九十瀬入道と二位の尼が筑後川ん中ぐ
れで逢う瀬ば楽しむごつなった。そん時ぁきまって川は濁って大荒れに荒れち、どうかすっと堤の切れ
ち大水こき出すこつもある。こん荒(アル)っ時泳ぎどんすっと、二人ん仲ば邪魔するち言うこつで、
すぐ邪魔者(モン)な殺せち、ちゃーんと搦くれかして殺すち。そりばって水天宮さんの御守札ば持っ
とっと難ばのがるるこつもあるげな。
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庄ん前さん(大橋)
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※筑後地鑑7
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順徳天皇さんの頃ち言うけ七百五十年ばっかり前んこつ。こん九十瀬(コセ)川筋の庄ん前と、柳場
、それ猫田と下ん瀬の四ケ所で川ん水の紫色に変り、妙な姿ん神さんの波の上に見えつかくれつして
こりば見た者な目映ゆうして目眩(メグラミ)のして打倒し、馬でん牛でん病気になって、山本ぁ大騒
ぎなった。あんまり苦しみ困る者の出けち来るもんぢゃけ、見るに見かねち清松重行ち言う宮司さんが
九十瀬(コセ)川ん岸に祭壇ば作って一心に病魔悪疫の退散するお祈ばせらしゃった。三日四日ち祈り
続けて七日目の夜明け、疲労ん出てかついフラッとせらしゃったら見慣れん大きな神さんの現われて
「俺ぁ九十瀬(コセ)入道庄前大明神である。古いと言うても寿永、元暦の頃、安徳天皇を始めとして
平家の一門一族全部の者が壇の浦の海に沈んで、魚の餌食になってしもうたが、魂はこの世に残って人
間や牛馬の守り神になっとる。こりが嘘か実か、水の災難な勿論、火事、病気、その他、どげな災難で
ん払い除くる力のあるとこば見するけん疑わんな信心ばしっかりするごつ皆に知らせよ」ち言うてスー
ツと消えらしゃった。重行がいよいよ御祈願ばし続けたら、ほんなこて、其ん言葉通り、サーッと人間
も牛も馬も病気ぁこの山本から失(ノ)うなってしもうた。そげなこつのあって、いっ時してから草野
ん城中で、同じごつ人間も馬も流行病で困ってしもうた。そっで早速、宮司重行ば呼うで来て、庄の前
大明神に祈願してもろうたら、三日もせんで良うなった。殿様(トノサン)な喜うで矢作(ヤハギ)に
神社ば建てて庄前大明神ば祀って感謝せらしゃった。後で此ん神社は九十瀬(コセ)川ん岸の庄前に移
しゃった。
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安田の森(大橋)
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※媼、筑後七、七、15
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昔ぁ安田の森の鳥てん堀ん魚ば取ったり木ば折ょったりすっと崇りんあるち、やかましゅう言われよ
った。あん五輪の塔は、平家が安徳天皇さんば守って、こっちさん逃げて来よった時の侍大将んお墓げ
な。衣冠束帯の公家さんの姿ん石像も据えちゃったが、今どげんなっとっぢゃい。もう堀ぁ埋って失(
ノ)うなってしもとるし、村で年に二遍なお祭ばしよったがのー。
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一夜川、大城、勿体島
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※河童物語16
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千三百年ばっかり前、草野の殿様草野常門が豊後日田の串川山で巡り逢うた榧の大木の精霊に祈った
ところ、願の通り大雨となり一晩で大木は日田の里から神代(クマシロ)まで流れて来た。そりから筑
後川ば一夜川ち言うごつなった。(こん榧の木で、今観興寺に祀ってある国の重要文化財、榧の木観音
が彫らるるごつになる)。神代まで下り過ぎたけ、さて草野まで逆上らせるこつぁ、とてん人間の力ぢ
ゃ急にゃ出来かぬる。常門な又大木の霊に祈った。とてん人間ぢゃ逆上らするのは難しゅうございま
す、も一度上に運うで下さいち、そしたら一晩で又上流さん逆流れして行き、今ん大城んとこに着いた
け、そこば大城ち言うごつなった。流ついた大木ば斧でハツって、いよいよ素材造りにかかったら、ハ
ツったとこから血の流れ出た。「あゝ恐れ多いこつぢゃ、勿体ないこつぢゃ」ち皆言うて其ん木ば拝う
だ。そこで勿体島ち言うごつなった。
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