太る石(大石)

※筑後志151

 むかし、まーだ此処ンにきゃ原っぱぢゃったり木の茂ったりして、家ちゃポツンポツンちしかなかっ た頃、どっからか年のいた尼さんが一人来らしゃって、小まか祠ば建てち、小まか石ば祀らっしゃった 。明ん年尼さんな一軒の家に「この神さんな尊か神さんぢゃけ、粗末に思わんな毎日祭って下さい。そ うすっと必ずこの御神体が太らっしゃるごつ、あんた家(ゲ)も繁盛して良かこつの続きます」ち言う て、よれよれん衣ば着たまんま何処さんか行ってしまわしゃった。近所ん者な真(マサ)かち思うて参 らんぢゃったが、或る日祠ん前ば通って魂(タマ)がってしもうた。参りよる人は毎日のこつぢゃけ気 のつかんぢゃったが、石の太うなって祠からはみ出とる。そりから大評判になって、初代の殿様豊氏公 も、広か御堂ば寄附せらしゃったち言う。ところが石ぁだんだん太うなるもんじゃけ、次々社殿ば建替 えにゃんで、とうとう今んごたる立派な建物になってしもうた。こりゃぁ今から三百年ばっかり前ん記 録ぢゃが、村ん年老(トシヨリ)の話として「子供ん頃は直径五、六尺ぐれぢゃったつに、七、八十年 ばっかりの間にこげん一丈以上になってしもうとるが、ほんに不思議でたまらん」ち書ちゃる。こん神 社は今ん伊勢天照御祖神社ち言う。

(二)  

※豊国筑紫路の伝説72

 大石神社ん太うなる御神石ぁ、昔、大石越前守ち言う侍が、伊勢ん大神宮さんにお詣り行かしゃって 、お土産か記念にか知らんが、五十鈴川ん処の玉石ば拾うて、此処に持って来て祀らっしゃったつが 始めちも言いよる。

(三)

※篠原稿

 昔、此処んにきで誰(ダリ)も泊めちくれんけ、森の大か木の下で石ば枕にして寝た沙門が居らした げな。一ト晩でそん沙門な何処さんか行たげなが枕にした石ぁその後どんどん太なって今んごつなった ち言う。大石神社ん話たい。

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