瀬ノ下町   目次に戻る

猿の高良山参リ(瀬ノ下)

※媼

 高良さんちゃえらか神さんぢゃけ、佐賀領のお猿さんどんてちゃ信仰しょったげな。ある年のこつ神 埼の一匹の猿が、俺も六(ムウ)つになったけ兵児かき祭り参らぢゃこてち豆津まで来たが、大川渡っ とに困ってしもたげな、人間な良か着物きて舟でどんどん渡るげなもんぢゃい、猿もよーし渡し舟に乗 ってち思うて、頬包(フーヅツミ)して人間の振して乗ろでちしたら船頭に見つかって棒で嫌ち言うご つ打ったゝかれたげな。岸さん逃げ上って、高良山に行きたか、参りたか、高良山の賑いよっとば見た か、ち思うち、猿ぁ東の方ん高良山ば眺めよった。そけ「おいおい猿どん猿どんなしそげんしょぼくれ とっとか」ちカワッパが声かけち来た。「実ぁ高良山参りしゅうでちしたが、こげな風ぢゃったたい」 「高良山の賑いよか、まーだ良かとけ連ち行こた。元気出せ元気出せ、竜宮ち言うてそりゃ高良山どこ ぢゃなかごつ美しゅして賑うとるとこさん連れち行くけ、俺が後ばついて来(ケ)ー」ち言うて猿ば連 れち行たげな。竜宮城ん見えち来たげな、ほんなこつ絵よりか美しかお城てん町げな。美しかねー、美 しかねーち猿ぁ美しさにたまがって行きよったら、「猿どん、ようと見とかさい、かわいそなこつばっ てこりが此の世の見納めぢゃけ」ちカワッパん奴が言うたげな。利こ者(モン)の猿ぁ「あ、しもた肝 ば木にかけち干して来とった、雨どん降っと腐るる、早よ取り込まぢゃこて」ちカワッパに言うて、く るっとひっくりかえって走りだしたもんぢゃい、カワッパも後ばついて走って来たげな。陸さん上って 日のカンカン照りん中ばどんどん来て−本のそりゃ天まで届くごたる高っか枯れた杉の木ん下に止まっ て猿ぁカワッパに言うたげな「ほーらあんてっぺんに肝ば干しとる、おまや欲しかなら登って取ってく れ、俺ぁもう水ん中ばあげん走ったけ、きつしなん」カワッパは木登りゃ上手ぢゃなかばって乙姫様の ため登り始めた。猿ぁそん後に登って尖った竹ん先でカワッパん尻ばチクチクさして、「早よ登らんか
、まーだ上ぞ、まーだ登らにゃ」ち突くもんぢゃけ、始めち木に登るカワッパは下見っと恐しゆうして 止むごたるが尻ばツカるるもんぢゃい、ソロソロぢゃあるばって登って行った。もう家でん人でん豆粒 よりも小もして筑後川でん糸んごつ見ゆる、頭ん皿ん水ぁカラカラにお天道さんで干上ってしもた。「
もう登りきらん、下ろしてくれんか」ち泣声でカワッパが頼うだが、「まーちっと先ぢゃけ、ガマダシ て登れ」猿ぁそげん言うて、枯れ枝ばこきおしょって下ぢる時ぁおじられんごつして自分だけスルスル 下(オ)ぢって、今度(ダ)助ったつも高良山のおかげち高良山ば拝うだげな。カワッパは「助けちく れ」ち上でおらぶばっかりで下(オ)ぢりきらんな、とうとそんまんま日干しなってしもうたげな。

河童ん崇(瀬ノ下町)

※石原家記上435

 水天宮さんばまーだ尼御前社ち言いよった寛文十二年のこつ。「尼御前社は水の神様ぢゃけ、いっち ょ瀬ノ下町中で御祭礼ばしゅう」ち言うごつなったげな、そっで分に応じて何処ん家でん喜うで寄附ば したげなたい。ところが小郡から屋移りして来とった上町の安左ェ門ち言う変屈者だけが、どげん頼み 行てん寄附ぁしまっせんの一点張りげなもんぢゃけ、世話人どんが腹けーて「おまいげん子供が河童に ひかれたっちゃ知らんぞ、罰の当って泣き面してん遅かぞ」ち言うたげな。「神さんが人に災するてん なんてん、そげな神様なら私ぁなをしまっせん」ち安左ェ門も売り言葉に買い言葉、とうと一文もせん な四月朔日からん御祭札や始ったげな。尼御前杜の出来ちから初めちの御祭札ぢゃけ、そうにゃ賑よう たげなたい。安左ェ門な強がり言うたもんの我が子んむぞかつぁ誰が親とでん変らん。そっで「どげん 暑かったっちゃ、けっして川に水浴(アビ)行っちゃでけんぞ」ち毎日(メーニチ)子に注意しよった げな。ばって子供んこつぢゃけ、川はすぐそばにあるし、他所ん子だんワァワァ言うち泳ぎよるもんぢ ゃけ、たまったもんぢゃなか。土用ん暑か最中、幸い親の居らんとば見て、ちょいと川さん泳ぎ行った 。そしてほんなこて河童にひかち死んでしもうたげな。さー死んだ子ば前にして、安左ェ門の泣き悔む こつ。そん姿ば見て、今まで憎うどった町内の者も「ムゾなげ、ムゾなげ」ち同情して「罰当り」てん なん悪口言う者な一人も居らんぢゃったげな。こん事(コツ)のあってから安左ェ門な尼御前社の氏子 に入れちもろて、神さんのこつば一生懸命世話するごつなり、お祭の時ぁいの一番に我がから世話して 廻ったち言う。あんたどんもそっでどげん腹ん立ったっちゃ神さんの悪口言うもんぢゃなかばい。

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