津福本町   目次に戻る

新茶屋(津福本町)

※翁・筑後三、二・21

 宝暦の百姓一揆で困ってしもうて、百姓にゃ空手形の約束ば出し、一揆の治ったらスパーッと三七人 も死刑にしてしもた、七代目の有馬ん殿様(トノサン)のムゴさに、産みの親のお隼の方もやりきれん な、名目ぁ夫ぢゃった六代目の殿様ん菩提ば弔うち言うて造っとった庵寺ば、池青寺に建て替え、ニッ 橋の刑場ば通って来る者に参ってもらおちしたが、刑場の惨(ムゴ)さに参るどころか、スタスタいそ いで通って行ってしまうもんぢゃけ、お寺ん横に新しゅう一軒お茶屋ば出させち、草餅でん、お菓子で ん、他所より倍も太う安うして売らせた。その新しうお茶屋ば造ったつがもとで、あすこんとこば新茶 屋ち言うごつなった。

木実霊神(津福本町)

※篠原稿

 昔、ここんにき、酒ち言うたなら何んも彼んもあったもんぢゃなかごつ飲む男がおったげな。もう朝 から酒酒酒で、嫁御が患うたっちゃ養生させんな飲むこつばっかりぢゃったけ、嫁御は、ムゾなげ子二 人残して死んだげな、嫁御が死んだっちゃ飲むとは止めんな、家屋敷は勿論もう酒代ん足らんいきにゃ とうとう二人の子まで売ってしもたげな。近所ん者な「嫁御は打殺した上子まで飲うで、よう罰の当ら んこつ。ほんに鬼か蛇の生れ替りぢゃろ。人間ちゃ言われん「子含み」ばい」ち言いよったげな。とこ ろがやっぱこりが罰ぢゃろ、大患して寝ついたばってん誰も寄っつかん。酒も飲まれん、もう死んとば 待つばっかりなったげな。ある日ウツラウツラしょったら枕元に神様ん出て来られち「鬼でん我が子は 可愛かつに、畜生にも劣った奴ぢゃ。八裂にして殺してやりたかが、神の慈悲。今生で造った罪は今生 で償うて、死んだ嫁御、売られた子達に供養ばさせちやる。心入かえち働け、世の為に尽せ」ち言われ たげな。男はハッとして「今までの悪業は、どげんしてん消えますめが、こりから命のある限り世の為 め働きます」ち神様に誓うたげな。男はそりからウス紙はぐごつ薬も飲まんとようなって、ほんなこて 見違ゆるごつ良か人間になり、子供が一番苦しむ歯痛み止めの術ば覚えち、夜中になろうと夜明ぢゃろ うと、歯痛で泣く子ばなおして回ったげな。そりもんぢゃけこの男ば、もう悪言う者なおらんごつなっ て死んでから神さんに祀ったげな。そりばって悪か時のシコ名ん「子飲み」ば、うっかり神の名にした もんぢゃけ木実様ち書替えて敬うたげな。あたしどんが小まか時まぢゃ、歯の痛みゃすぐ酒ば一合持っ て木実様にお願い祖母さんの連れていきござった。持って行った酒は木実神(サン)にかけよった。

立会(タチエ)地蔵(津福本町和楽園)

※翁

 明治の御一新で侍ば止めた正直者が初手から持っとる松山ば開墾しよった。広かばっかりで松山ち言 うてん笹原もありゃ雑木林もあって、ちよいとんこつで畠になる見込みゃ立たんごつあった。ばって武 士ば止めたけ別仕事のあっぢゃなし、雨ん降らんなら毎日出ていてちーつとずつ開きよった。処が欲の 深か何処ん者かが「俺げん土地ば、黙って何しょるか、止めんなら足ばタタキおしょっぞ」ち、とつけ むねーこつば言うて来た。世が世ならち腹ん立ったばって、じっと耐(コラ)えち、「こりからこりま ぢ俺が先祖からん土地ぢゃ」ち言いかえたが、相手は御一新のどさくさで横言うたが勝ちと思うて、応 変隊のごたる奴ぢゃったろ、裁判所に持ち出えた。今んごつ土地台帳んはっきりなか時ぢゃけ裁判所も 困った。そってどんくれ、土地について知っとるか、上地に証拠になる物のあるとは知っとるかち、言 うこつなった。こつちは小まか時からナバん生ゆりゃ松茸がりでんしょったし、去年が去年まで薪取り 男ば入れよったけ、そげん言うたら向うも、真似してそげん言う。いよいよ裁判官も困ってしもうて、 山ん近くの者に問合せたら正直者の言うとが本なこつちわかったが、物的証拠んなかといかんもんぢゃ け、何かま一ちょ確に証拠になるもんば言うてみろち命じらっしゃった。横着者なそげな証拠になる物 な残っとらんち言い切ったげなけ、正直者な始めち、石の地蔵さんがどこそこん松の下んとこにこまか ばって祭ってあって、この地蔵さんな今から何十年前土地から顔出してあったつば父親と掘り上げち毎 年の供養ばしよる」ち言うたげなけ、裁判官も確めち間違いなかった。そりで正直者の所有ちはっきり 判決したげな。そりから、こん地蔵さんば立会(タチエ)地蔵ち言うて、土地の争の起きた時お願いす っとちゃーんと間違いのなか判決ばもらはるゝち信仰する者が多うなったち言う。

不倒地蔵(津福本町)

※筑後三、二.22

 明治の終え頃、池青寺さんに誰ぢゃったか石の地蔵さんば寄進せらっしゃるごつなって、町から車力 乗せち、芋扱川出町の鉄道踏切ば渡りかゝらっしゃった。ところが運悪う輪の敷石はまりこうで、しっ つもっつしよっとけ汽車ん来て、車ぐるめはね飛ばされっしもた。車力ゃこっぱになって、あっちこっ ち飛び散って、乗せとった地蔵さんも麦畑さんうっ飛ばしゃったが、不思議なこつ。倒れちやっとが普 通んこつにちゃーんと傷もつかんな立ってござった。こりば見て誰でんびっくりしてそりから不倒地蔵 さんち言うたり運気地蔵さんち言うごつなったち言う。

お姫さん松(津福本町)

※篠原稿

 妙見さんに太か松の生えとった。こん松ば息せんな三遍廻って止まって、松に耳ば打っつけち聞く と、お姫さんの機織りござる筬ん音ん聞えよったち言う揖取神社ば妙見さんち言いよった。

ゆだれくリ観音(津福本町)

※筑後国里人談20話

 津福に恵心僧都の作ち言われとる十一面観音さんのあるが、昔、とてん天気は良かつに全身濡れちゃ っるこつの何日でん続いとった。子供どんがそりば見て「あっぢゃ観音さんのユダレくっちゃる、ヨダ レくり観音さん」ち囃し立てよった。そん頃金丸川にかけとる杢左エ門橋の腐れたもんぢゃけ、余所ん 村からも公役(クヤク)ん出て橋の架け替えばして、崩した上手ん泥ば橋の上に敷きょった。ところが 土取りの土手んガバーち崩れち、土取しよった野屋敷の茂平さんの生き埋めんなって死なしゃった。そ りからいっ時して夏になったら又観音さんのビッショリ全身に汗かゝしゃたけん、津福ん者な、こりゃ 又何か悪かこつの起りゃせんぢゃか、この前ん時ぁ茂平さんの災難に遭はしゃったが」ちエスがりよっ たところ、ほんなこて、悪か病気の流行って死ぬ者のばさらかった。そっでこりゃ観音さんに災難除け ん祈願ばいっちょせにゃーち言うこつなって、夜渡(ヨド)ばするやら百万遍ばなんべんでんしょった ら、病気も自然と下火になってしもうたげな。

ニツ橋の六地蔵(津福本町)

※翁

 今から二百二十年ばっかり前、こん久留米藩に宝暦の一揆ち言うて、そりゃー大きな農民騒動ん起っ た。浮羽が火つけ役で久留米藩全部ぢゃ十万人からん百姓がノロシば上げた。無茶な税金ば止めちくれ 。悪か村役人なやめさせちくれ。天災地変でまーだ何でんなをっとらんけ現金ぢゃのーして今までんご つ品物で税金な受取ってくれ。納めきらん者な日延べして納むるけ日延ば認めちくれ。まーこげなこつ ば殿様に頼うだが、そん時の久留米ん殿様は算術ぁ出来ち本まで書くくれん頭ぁ持っとったが、「百姓 はシボっだけシボれ、シボりゃ椿実(カタイシ)よかよけ油だす」ち思うとるし、百姓だん人間ぢゃ無 かち考えとったけ、ムゴチョコ家来どんに言わせち、追分んにきまで押かけち来とった百姓どんば帰ら せちしもうた。一揆ん責人者は罰せん、願いは叶えちやる、ち言うた舌先のかわかんうち一揆ば起した 張本人な誰か、目論だつぁ誰か、こんくれん税金ば納めきらんてんなんてん、ゼイタク言うな。納めん 奴ぁローヤに入るっぞ。張本人ば知らせたなら褒美やっぞち、こげなこつば触れ書して村々に言い渡(
ワテ)た。自分が徳川将軍の前行て、米つきバッタんごつお辞儀して御キゲン取りにカンタンに百姓か ら搾り取った何千両ち言う金ば差し出すごつ、百姓どんも地から金ば搾り取るとち思うとったじゃろ。 又家来どんも論語てん、禅宗ばやっとったばって殿様ん言うこつ聞いて、血も涙もなか仕打ば百姓どん にして苦め上げ、こりが忠義ちエバっとった。そっでとうとう始んうちゃ張本人なわからんじゃったが
、一人出てくっと次から次芋蔓(イモズル)式になって三十七人も張本人が出て来た。そん三十七人ば 後の見せしめち言うて二ッ橋の仕置場でバサバサ打首して、そん前ん柳河街道ん櫨の木ん下にずらっと 晒し首した。打首された者(モン)な、ムゴチョコだまされたっじゃけ怨んで死んだこっじゃろ。そん 三十七人の打首のムゴさに仕置場の前に並んどった石の地蔵さんな目潰らしゃったげな。そしてさらし 首の又ムゴさにとうと六体とも後向いてしまわしゃったげな。そっで今でんニツ橋の六地蔵さんな、皆 、後向いてまーだ目ばつぶっちゃる。

小八鳥(津福本町)

※筑後国里人談7話

 明和ち言うけ今から二百年くれ前んこつたい。津福に小八ち言う百姓が居ったげな。年頃になったけ ん人ん世話で柳河ん沖の端ち言うところからオカンち言う嫁ごばもろうたげな。ところがこん嫁ゴがと てんヤキモチ焼で小八が田ん中にいくとならまーま何んも言わんが、村役で余所にどん行くなら、そり ゃ聞いちやおられんごつある事ば並べたてちヤクげなもん。小八や隣近辺にも恥しかけそん度、なだめ すかしてそげなこつぁなかち、言うて聞かするばってん効目んなか。しまえにゃうったてーたりしたつ ちゃ止まんげな。そっで村評判になり村ん者も小八に同情しとったげなたい。働き出らにゃ小使銭にも 不自由するし、ヤキモチャ止まんし、とうとう都合良う言うち沖の端ん親元に帰したげな。里ん親にゃ 有態なこつ言うとったけ親もしよんなかち引取った。ばっておかんな暇出されとっちゃ知らんぢゃつた もようたい。すぐ小八ぁ余所から嫁ゴばもらいなえち楽しゅう暮しよったところが、誰が言うたちゃ無 かばって、沖の端でおかんな暇ん出とっとげなちう話の広かって、そりがおかんの耳に入ったげな。さ ーそりもんぢゃけ夜叉んごつなって、親にも言わんな小八が家ん前さん来て柿の木首つって死んだげな 。そうして死んだ明けん日から、鳩ぐれん鼠色した妙な鳥の飛うぢ来て、小八げん家ん回りば「小八、 小八」ち鳴(ネ)ーち、朝でん晩でん切りなし飛び回るげな。小八ぁ迷惑なもんたい。村ん者まぢカセ して追うたっちゃ逃んな飛び回る、つかまゆでちしたっちゃつかまらん。そっで小八も困りはてち、と うとう村ば出ていて、遠かとこさん行てしもうたげな。ばってん、そん鳥ぁ近辺ば鳴ぇち飛び回って小 八ば探しょる風ぢゃったげな。ほんにヤキモチもてーげにしとかんと身を亡すごつなるもんばい。

瘤取リ石塔(津福本町新茶屋)

※筑後三、二・21

池青寺開山の円察和尚さんな、額ん真中に大きな瘤のあったげな。そっで修行中は化物(モン)の如 つ、知らんとこに行くと言われち苦労せらしゃったもんぢゃけ、死なっしゃる時、瘤で苦しむ者のあっ 時ぁ、信じてくれりゃ、かならず瘤ば取っちゃろ、ち言わしゃったげな。不思議なこつ和尚さんの墓石 の裏側に穴ん出けちそこに溜る水ば載いて瘤につくっとほんなこて瘤の無うなるげな。

火炙山(ヒアブリヤマ)(津福今、本町)

※久留米路の旅情141

 昔、盗人ん親父が、我が子に付火(ツケビ)させち、火事場騒ぎば利用して盗みよったもんぢゃけム ゾなげ子はヒッ捕まって、ハリツケ火炙にされた。そこば火炙山ち言うて、おどんどんが小まか時ぁ、 エズがりよったが、もうどこんにきぢゃったかわからんごつ道の出来たり家ん建ったりで、小高かかっ たとこも平とうなってしもうとる。

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