追分与八の逐電 (安武町)

※石原家記下 179

 昔ぁ大川の風浪さんのお祭にゃ海の神様祭ち言うこつで久留米からも殿様ん御名代参りのありよった 。そりが久留米さん帰り着く時ぁ夜中ぢゃもんぢゃけ御名代の御供ん奴てん、ついて参った百姓町人ど んが松明つけちガヤガヤ、ワイワイ騒動して街道筋の家にゃ悪さして乱暴狼籍御構(カマイ)なしち言 う無茶ば毎年しよった。そっで目安町の者な大迷惑ばしよったが御咎(トガメ)ん無かもんぢゃけ年々 悪(ワル)さんひどなって打壊(コワシ)んごつなっとった。ちょうど享保元年頃ち言うけ、今から二 百五、六十年ぐれ前、足軽上りの与八ち言う若者が目安の追分に住みついた。与八ぁ近所から風浪さん の晩のこつぁ聞いとったもんぢゃけ、その日は朝から家の外にある物な、そりこそ肥桶(コエタゴ)ま で家に入れ、何一ちょ外にゃなかごつして代参帰リの通り過ぎっとば待っとった。いよいよ帰りの始っ たら、打くずすもんの無かけんかこともあろうに軒(ノキ)の庇(ヒサシ)柱ば何人もして打(ウ)っ 放(パ)ずして鬨(トキ)の声ば上ぐる。柱ん無かごつなって軒(ノキ)の瓦んガラガラ落つる音に、 又ワーッち声あぐる。とうと堪忍袋ん緒の切れち、与八ぁ表通りさん走っ出て、柱打っ放ずした奴どん ばひっつかまえち、力一ペこっくらせた。さーそっで御名代一行ん者が与八にしかかって来た。ところ が与八の相手ぢゃなか。どん奴(ヤツ)でんこき投げち、しまえにゃ侍のごつぁっとまで放投(ホンナ ゲ)ち、顔に疵のつくごつ叩きしゃいだ。名代一行は帰って行ったごたったけまーそっで済んだち思う とったら、迫分の庄屋どんの所(トコ)さん逆(サカ)ねぢ言うて大事(ゴツ)なった。そりば知らん 与八ぁ寝床にゃ入ったもんの眠(ネ)たごつ眠(ネ)らんごつ、ウツラウツラしとると、枕上(カミ) に白衣の老人が立って「此処に居っと大事になる。明日になると命ば取らるるぞ一刻も早(ハヨ)う立 退いたが良か。どんどん行きよっと浜にちゃぁんと舟ん待っとるけ、それ乗ってしまや後は心配いらん 。早(ハヨ)う行け」ち言うて消えた。与八ぁハッと思うて、そりから急に旅仕度して真暗闇の中ば無 茶苦茶に走った。とボヤーッと夜空に大山ん形の見えて浜さん出た。浜づたいに行きよったら舟が一隻 停っとる。心んせくまま「舟に乗せち下さい」ち頼うだら「どうぞ」ち言うけ行先もわからんまま乗り 込うで、そりからどんくれたったか、朝飯時分にゃもう長崎の港に着いとった。目安町の方ぢゃ何処さ ん行ったか詮議のきびしゅうなったが誰もほんなこて知らんもんぢゃけお構いなしになった。そしてこ りがきっかけで風浪さん御代参帰りの打崩しゃ御法度ち言う目安町にゃ嬉しかこつになった。又長崎さ ん渡っとった与八ぁ十年ばっかりしてブラーッとこん目安の追分さん帰って未た。ち言う話。

上野ん観音さん(安武)

※翁・筑後二、一 20

 大正ん頃ん話たい。上野にほんに親孝行もんの馬車曳(ヒキ)しょる青年が居ったもんの。ある年の 夏の朝、いつもんごつまーだ朝露ん下りとる土手で青草ばサクサク気持よう刈りよったところが、カチ ーンち固かもんの鎌ん先き当った。見て見っと石の観音さんぢゃけビックリして、勿体なかこげんとこ に捨てちゃるとはち抱えち自分家さん持って帰って祀った。ところが観音さんば見た隣の女ごしの、「
あたしお守させちくれんの、決して粗末にゃせんけん」ち一所懸命言わす。こん女ごしゃ元から信心家 ぢゃけ粗末せんなら良かろちやった。女ごしゃ喜うでそりから一心に信心するもんぢゃけ、人ん病気で ん女ごしが、こん観音さんに祈っとすぐ良うなるごつなった。さーそっで上野ん観音さんな御利益のあ るち評判うって遠かとっからでんどんどんお参りこらっしゃるごつなった。初め観音さんば捨うた馬車 曳の息子も不思儀なごつマングリの良うなって金持ちなってしもうた。どうしてそげんこの観音さんな 御利益のあっとかち言うと、普通ん観音さんな十七願までの観音さんばって、こん観音さんな十八願の 観音さんげなけんげな。

薬師さんの血(安武住吉)

※筑後二、一 20

 昔のこつ。大水の引いた住吉の岸に太か木の根の流れついとったげな、「こりゃ良かもん見つけた。 薪(タキモン)にしゅう」ち百姓が家さん持って帰って、すぐ中斧(チューノ)振上げち割りかかった げなりゃ、割ったとこから血のふき出て来たげな。びっくりしてもう割っどころか、祈祷師さんに飛う で行って聞いたら「薬師如来様(サマ)ん化体ぢゃけ祀らにゃ大事なる」ち教えたげなけ、罰の当っど んすりゃち「薬師さん」にしてお祀したげな。初手は合原窓南先生んお墓んにきあったが今はどげんぢ ゃか。

諏訪の森の火(安武)

※筑紫野民譚集 414

 昔、安武ん諏訪の森に宮の木長者ち言う人ん墓があったげな。長者どんの墓ぢゃけそりゃ金器銀器宝 物ば一緒に埋(ウズメ)ちやっとはあたりまえたいの。そりばある晩盗人が掘って庄島ん白角折(シラ トリ)さんのにきまで逃げち来たげな。お宮さんの藪かげでかるうとる風呂敷包ば下(オ)ろして見ろ でしたところが、いつのめにツイて来とったか長者どんの火の玉で盗人は焼き殺されっしもうたげな。 宮の木長者ちゃ津福の池青寺さんのにきの大金持ぢゃった、人んこつたい。宮の木長者ちゃ一人娘ば隣 村の長者どん方に嫁にやっていざ息の切るるちゆうとき、死に目に一見も会えんな娘ん名ば言いながら 死なしゃったかわいそうな長者どんで、持っとった財産な娘にやろと思うて、墓所に一緒に埋けちゃた つぢゃけ、思いのかかっとるそりゃ宝物ぢゃったったい。ところが盗人ば取り殺しゃしたもんの、そん 宝物な見つけたもんが拾うち我が家さん持って行て、墓所さんな戻らんぢゃったっぢゃろ、そん後も夏 の晩な安武から白角折さんさね、長者どんの火の玉ん飛んで来よったげなもん。そっで安武の神主さん の長者どんば神さんに祀って諏訪神社ち言うごつせらしゃったち。そりばってまーだ時々ゃ火の玉ん白 角折まで飛うでくるげな。

竜頭が池(安武)

※筑後二、一 20

 大昔から安武ん龍頭が池にゃ鐘ん沈んどって、早魃の時ぁ、池んふちから、こん鐘に雨乞すっと、間 違わんごつ雨ん降る。そりゃほんに有難かこつぢゃが、そん鐘ば守って池の主の大蛇が住んどって、夏 の夕方、女に化けて土居に出て来て時々通る者ば嬲けーて池さん引込うでしまう、ち言われとる。

御崎さん(安武)

※筑後二、一 20

 今は立派な土居の出けとるが、まーだ土居ののーして、こん住吉んにき寄って筑後川ん流れよった頃 ん話たい。あっ時、大水の入って、水の引いた住吉の浜に見なれん御神体の打上げられとる。よーと見 りゃ泥まみれになっとるばって、イワクのあるごたる姿ぢゃけ、土手に上げときゃ御神体の流れたち言 うて上の方ん何処ん村からか尋ねてくうち思うて茂作どんな浜から持上げち土居据えとった。ところが
、水あび来た子供どんがこりば見つけち、良か遊びもんのあっちゅうて、突ころげーち川さねほーり込 み、乗ったり、投げたりして遊びもんにしょった。帰り路、こりば見た茂作どんなびっくりして「そり ゃ神さんぢゃけ、そげなこつしよっと罰の当っぞ、止めんか止めんか」ち大声あげちおごって、子供ど んに元んごつ岸さん戻させち据えさせた。「今ん子供だんどんこんならん」ち言いながら茂作どんな帰 りよったところが途中から大熱のさして来て、家に着いたら、もうむつかしかろごたる。わけんわから ん浮言(ウワゴツ)言うち震いの止まらん。ようよ医者どんに来てもろてちーった治まった。そん晩、 白装束の老人が茂作どんの夢枕に立って、「おまや今日、おりが面白う子供どんと遊びよったら、いら ん世話ばやいたね、久しぶりの遊びぢゃったけまーだ遊ぼでっしょったつに口惜しゅうしてならん、そ っでこげんおまいば苦しめたつぞ、ええかこりからおりが子供と遊びよったっちゃ文句言わんごつ村ん 者によーと言うとけ」ち、言うて消えらっしやった。朝んなったら茂作どんの病気や不思議とようなっ とった。そりからこん御神体ば「ミサキサン」ち言うて、どげん子供どんが無茶しゅうと遊んもんにし ゅうと誰でんとがめんごつなった。

オサヨが渕(安武)

※翁・柳河三瀦めぐり 25

 昔、こん下ん方にほんに親孝行ん娘が居ったげな。名はオサヨち言うて美しゅうもあるがやさしかも んぢゃけ誰が嫁ゴになっぢゃろか、もらうかち評判うっとったげな。ところが、ちょいとした風邪から
、お母さんのローガイち言う永患いなって、いや応なし貧乏しはじめたげな。親子二人暮しぢゃけ、娘 んオサヨは、自分が働いておっ母さんば養うちいかにゃんけ、なりふりかまわんなそりゃよう働いたげ な。ばって薬ば買うち飲まするこつぁ出来ん。話によっとカメん生き血が一番良かち言うこつ。男なら カメぐれ獲りきろばって、おっ母さんの病気なってからは男どんも寄っつかんごつなり、今は頼む男も おらん。オサヨはほんに女ごん自分ば悲みよったげな。夏祭りの日、他所ん娘だん新しかユカタで喜う でお宮に参り、芝居見物ち楽しゅうどったが、オサヨはカメん獲たせ、一人村はづれん淵さね来てまわ りばジーッと見てまわりよったげな。そしたらフの良う浅かとこん砂地でカメん一匹動かんな居るげな 。もう喜うでつかまえたげな。岸上ったら、見知らん公郷(クゲ)さんのごつ良か男が前に立っとる。 「カメん欲かなら明日も獲りに此処さん一人で来ると良か。けっして人に見られんごつ、又お母さんに でん言わんごつして来っなら、今日んごつカメば用意しとってやる」ち言うてオサヨばしげしげ見るげ な。オサヨは嬉しゅうもあるが恥しゅなって「ありがとうございます」ち頭ば下ぐっと走るごつして家 さん帰って「こっでおっ母さんの病気も良うなる良うなる」ち、はずーで生血ばお母さんに飲ませたげ な。明けん日も行ったらちゃーんとカメん居るげな、そして又男ん立っとったげな。三日目もやっぱカ メん居るげな、おっ母さんな、たった三、四日でほんに元気になって来たごつあるけ、オサヨは嬉しゅ うしてなん。そげんしてちょうど六日目んこつ、カメとり行きよっとば田の水まはりしよった村ん者が 見つけち、後ばつけち行て一部始終ば見てびっり迎天、腰ぬかした。オサヨがお礼言うて頭下げよっと は河童。ガタガタ震うち声も出らんぢゃったが、さすが河童は村ん者が見よっとば知ったっぢゃろ、こ っちばギロッち睨(ニラ)みつけち、オサヨが手ばとって何か言いながら、淵の中さん引込うで消えっ しもたげな。村ん者なチューヤクリクリ村さん戻って大騒動になって、淵さんオサヨば探し来た時ぁや っぱオサヨは見えんで、岸にゾーリの残っとるだけぢゃったげな。おっ母さんの病気がよっぽど気にか かるとぢゃろ、そりから夕方になっと、そん淵にオサヨん泣きながら立っとる姿んうつるごつなって、 誰でんオサヨが淵ち、その淵ば言うごつなったげな。

力士と河童(安武)

※筑紫野 民潭集 412

 久留米ん殿様(サン)な角力好きぢゃったけ、こん領内も角力んはやって宮角力ち言うてんなかなか 強か者の多かった。そん中ん一人、ずばぬけち強かつの一人居った。あっ時筑後川ん土手ば日の暮れ通 りよったら、見なれん小僧どんが三人出て来て、角力とろうちいどむげな。頭ば見たら皿んある、はは ぁん河童ばいの、話にゃ角力好きち聞いとったが、こりゃ良か幸い、どんくれ強かゝ試してみろ、そっ で浴衣んまんま、「さーこい」ちシコふんでかまえて、飛びかかって来っとば、ポーンち突撥ねたら、 ストンち転で話にもならん。ばって何べん負けてん突転がされてん替るがわる仕掛って来る。面倒にな って来たけ、とうともう足腰の立たんくれ、地デに投げつけた。三匹とも、そっでギュッち言うて、腰 さすりどこさんか帰えていた。宮角力取ゃ、河童にとことん勝ったけ良か気色なった。ばって手に河童 んノロノロんひっついて臭うしてなんもんぢゃけ、トロトロち土居ば下って川で手は洗うでちしたとこ ば水の中さんさっきん河童どんから引込まれち、川流れになってしもた。なんでん水ん中ぢゃ河童は千 人力ち言うけ、どげな宮角力取りでんそりゃ勝ちゃせん。

諏訪明神と河童(安武)

※筑紫野民譚集  412

 昔、安武小島ん若け者が田ん中仕事で昼になったけ柳の木影で昼飯食うて、ちょいと横になって昼寝 した。こりば淵から見た河童が角力とってやりまっしょち、のこのこ上って来て、若け者ば起しかゝっ た。そうしたらスーッと安武で祀っとる白衣姿ん諏訪明神の出てこらしゃって、「おまや角力にかこつ けち引込もち言う算段じゃが、この男はその手に乗るごたる男ぢゃなか。とっとと消えたが良かろう、 今からこん男だけぢゃなか、神ば信ずる小島ん者ば取ったりすりゃ、いくら河童ち言うてん、罪の重む うなって、恐しか報いば受くるぞ」ち言うて聞かせらっしゃった。河童はゴクンち頭下げち淵さん戻っ て行った。そりからこん深か淵ば河童が淵ち言うごつなって、小島ん者な引かるるごつぁるこつぁなか ごつなった。

竜頭ケ池ん河童(安武)

※篠原稿

 昔ぁ竜頭ケ池んにきば夏の日暮時ぁ通るもんぢゃ無かち言よった。若っか男ん通りよっと、よか女御 がどっからか出てきて、もうそりゃ魂ん抜くるごつぁる色気ぱ見せち、ちょいと手招きして草ん中に腰 降れち、もうそりゃたい、そりから池ん中に引込うで血子(ヂゴ)抜くけ明け朝プカーンち池ん最中に 浮いとるげな。ある夏、そげなこつば知らん旅の者が、あんまりの暑せ、土居、腰降れてキラキラ光っ て流るる川と、葦のそよぐ向うにお天道さんの下に続く背振の山波ば眺めち筑後川から吹上ぐる風で涼 うどった。そけ、とても上品か色気んある女御が浴衣にスゴキして通りかかった。風で裾んめくるっと ばお体裁だけ押えち、膝ん上んモモどん白かこつ。男は、見るめと思うばってやっぱ男たい、女御は男 んそばまできて、いよいよもてんごつぁるシナば造って話すけ、もう話どころぢゃなかごつなった。そ こんとけ、馬んカッパカッパ逃げて来てちょうどそこんにきで草喰い始めた。そん後ば百姓が二人で追 かけて来た。そして女御ば見てびっくり「河童」ち一口言うて後は出らんな百姓二人ぁ立すくうだ。そ うすっと女御はスーツと立ってあっち言う間におらんごつなった。男は妙な気のした。ばって村ん者か ら話ば聞かされち色うしのうちしもた。旅の男は危ねとこぢゃったち、なんべんもお礼言うて久留米ん 方さね行ったち言う。

目安(安武本)

※筑後二、一 21

 今から三百七十年ばっかり前、久留米ん殿様ぢゃった田中忠政が、領民のお上に対する苦情ば知ろう ち思うて一里塚んとこに投書箱ば置いて、不平のある者(モン)なぁ、この箱にそりば書いて入れろち 言うた。昔ぁ投書箱ば目安箱ち言よったけ、そん箱ば置いとるとこち言う意味で目安ち言うごつなった 。

しょうけ田(安武) 

※筑後二、一 23

 しょうけ田ち言うと誰でん、水もちの悪か田ぐれ思うばって、此処は昔、荘園時代その庄司が持っと った田、庄家田ち言うとで大分昔からあった処 (トコ)げな。

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