序  文

古きをたずねて新しきものを生み出すことは現代人にとって前進への態度でなくてはならない。思想、経済、文化 すべて現在を形づくるには由って来るものがある。
我々は祖先より現代を享けつぎ、この身体を遺されて居る。
大城小学校教諭野口治七郎先生は多年、教鞭をとる餘暇をさいて郷土の史実、伝説に関し、神社佛閣、旧家、古老、 図書館を訪ね、熱情を傾けて探求蒐録し、郷土解剖をなし、これを日本歴史に照合して系統づけ、今日まで人の企て 得なかった特殊な資料を提供された。

当教育委員会は「村づくり」に孜々と励む三井郡町村民諸氏に又何等かの示唆と啓蒙を與え、耕地の交換分合・町 村合併等幾多の行政上の難問題にも亦参考の資料たることを信じ、野口先生の研究を後援して今日に至ったものであ る。

今小冊子上梓さるヽに当り改めて野口先生の労を多とし、愛郷の情熱に敬意を棒ぐる。
大方の諸賢、幸いに郷土人の意慾を高め、将来へのよき指針の一端たらば我等また望外の喜びとする次第である。       

昭和二十九年陽春             大 城 村 教 育 委 員 会      識


はしがき

農地改革が日本の農村にあたえた大きな衝撃は、いま農村に生きている人々の記憶から終生消えることはないでし よう。絶対に侵しえないと信じていた土地所有権が、突如として地主の手からもぎとられ、地主の支配権が根こそぎ くつがえされ農村の秩序も経済も生活も敗戦のもたらしたこの渦のなかにまきこまれ、数年間のうちに夢想だにしな かった大変貌を呈しました。

明治以来の土地制度、いや古い封建時代からの血脈をつたえた土地制度の一大変革は日本の農村にいかなるものをもたらし、その将来をどう運命づけることでしょうか。世界の先進諸民族はその歴史的 発展の過程に、かたちこそ変れそれぞれ土地制度の改革を経ています。 日本の農地問題についてはすでに明治識者 の憂うるところでしたが、実質的に根本的な解決の道を辿ることができませんでした。農地問題は敗戦を期として、 その解決を迫られるに至り、「農地改革に関する覚書」(農地解放の指令)によって第一次、第二次の農地改革が断行 されました。ここに農地改革の特殊性がみられます。

改革後すでに八年を経過し、農村もすでに変貌を呈しつつあります。この現実にぶつかって農村民はだじろがず、真摯に現実を見つめつつ、われわれの辿った過去のあゆみをじっ くりと顧み、将来への運命打開の道を樹立することこそ肝要ではないでしょうか。 今こそ私たちは過去の歴史を謙虚にしかも眞剱に検討すべき機に立っています。こうした意味から郷土大城村の歴史の探求をとりあげました。

もとよりこの書は郷土大城村の歩みを読本風にまとめてみた試みであって、大城村の発展を課題をする郷土の人々 に何らかの示唆と啓蒙が期待できたら、この未熟な書の果たす役目は遂げられたものといってよいと信じています。 また諸賢の郷土研究のために一つの礎石ともなれば幸甚のことであり、そういった意味でこの試みに諸賢のきびしい 御批判と御教示をお願いする次第であります。

村内各位の絶大な御支援のもとにこの書の成ったことを深く感謝しつつ。      

昭和二十八年十一月一日                                      野 口 治 七 郎     識す

                

序  章

郷土大城村が今日みるように行政村として構成されたのは、明治二十二年以来のことでありますから、六十有余年の歴史をもっています。すなわち明治政府が地方自治の目的をもって市町村制の実施をなしてから、行政の一単位として大城村のあゆみがはじまったわけです。

しかし大城村を構成する各村落の歴史ははるかに古く、各村落それぞれの歴史的・地理的条件を持って村落として形成されています。これらの村落を自然村と言いますが、封建時代にはこれらの村落が独立した村でした。

しかもこれらの村落はそれぞれ独自の開発の歴史と地理的条件をもっていますので、明治以後の行政的諸変革によってまた経済的な面によって、解体をへてきたにもかヽわらず、現在に於ても依然として多かれ少かれ社会的統一をもっています。私たちが村と呼ぶ言葉のなかにこの村落の意識がひそんでいるのは、長い過去の歴史の集積をになっているからです。

大城村の歴史を探求するにあたっては、どうしても自然村である各村落の歴史をぬきにしては考えられません。したがってこれらの村落の歴史をもとにして、ひろく大城村近傍一帯さらにひろくは三井郡というものを視野に入れて探求の筆をすすめて生きたいと思います。


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