一 学校教育
(一)古代・中世の教育
古代の学校は特権階級のために組織化されたものであって、わが国では、大化の改新(六四五)の後、天智天皇(六六二〜六七一)のころに初めて学校が興こされた。百濟の帰化人、鬼室斯がその学職頭に任じられた。
天武天皇(六七三〜六八六)の時代、養老律令の規程によれば、帝都には大学、地方には国学の二種 類がおかれることになった。延喜式(九〇一)には新に太宰府の学校制度が加わるので三種となる。
国学は各国に一箇所を設け、官人の子弟を入学させた。
太宰府には儒学を主とした学業院が天平勝宝六年(七三四)吉備真備により創設されたといわれる。
平安時代になり空海は、綜芸種智院を興こし庶民に学問を授けた。平安末期となって、教育制度は全く影を没した。
鎌倉時代、学問は主として僧侶や公家の教育の具としてその姿を保った。
室町時代、天正一五年(一五八七)以来、筑前・筑後・肥前の一部を領するようになった、小早川隆景は、居城名島に学校を設けた。室町時代、足利学校が再興され貴賎を問わず学才のある者の入学を許 した。足利学校は兵乱の間でも学問の灯を絶やさなかった。寺院は僧侶の子弟を教育する重要な教育機関であったが、室町末期から庶民の教育機関として、寺小屋に形態を変えはじめた。
(二)近世の教育
徳川幕府が寛永元年(一六ニ四)江戸忍ケ岡に学舎を設け(後に昌平坂に移す−昌平黌と称する)林羅山に儒学(朱子学)を講じさせると、地方の諸大名もそれにならい、藩学を開いて子弟の教育をはかるようになった。城下以外の地方には士民のため郷学が延宝年間(一六七三−)より創設されたが、大部分は天明年間(一七八一−)以降のものが多い。
塾や学問所が栄え、寺小屋か普及したのもこの時代である。
1.藩 黌
久留米藩の藩黌は、天明八年(一七八八)設立した講談所(修道館)を寛政八年(一七九六)に改称したもので、当初左右田尉九郎(朱子学)、樺島石梁(折衷派)などを教授とした。
柳河藩の伝習館は当藩学の草創者、安束省奄(朱子学)の曽孫安東間庵の邸内に聖堂とともに設けた 講堂を基として、文政七年(一八二四)に創立したものである。
2.塾の教育
熊本原仲の墓(横溝町) |
宮崎信敦屋敷(蛭池) |
所在地 | 開塾期間 | 開塾年 | 学科 | 塾 主 | 塾主の先師 | 備 考 |
三潴郡横溝村 | 文化年間 | 文化年間 | 漢学 | 熊本原仲 | 高山畏斉 西依成斉 |
横溝町共同墓地内に 石碑現存する |
木佐木村 | 文政年間 天保年間 |
文政 七年 |
国学 歌道 |
宮崎信敦 | 香川景樹 |
塾名 | 住 所 | 開 設 時 期 | 学科 | 塾 主 | 塾主の先師 | その他 |
泡来舎 | 青木村 | 明治四−明治一二 | 国学 | 武田巌雄 | 船曳鉄門 | |
三潴吟社 | 城島町 | 明治二〇−大正三 | 漢学 | 星野一郎 |
武田巌雄 広瀬林外 |
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大溝村 | 漢学 国学 |
井上速見 | 柴山文平 糸山貞幹 船曳鉄門 |
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大莞村 | 明治二五年頃 | 漢学 | 永田正樹 | 船曳鉄門 | 明治後半より大正初期に かけ子弟の教育に当たる。 明楽寺境内に記念碑が あるが碑面が荒れ判別し 難い。 |
入 門 年 月 日 | 本 籍 | 本人氏名 | 入門当時の年齢 |
文政一一年二月二四日 | 荒牟田正念寺 | 釋龍音 | |
天保五年三月一四日 | 蛭池 | 宮崎桃枝 | 一八 |
弘化四年二月一五日 | 荒牟田正念寺 | 浄栄 | 一九 |
萬延元年四月一六日 | 大角 | 田中重仲 | 二〇 |
3.寺小屋
一七世紀の後半から各地に庶民教育が勃興した。八代将軍吉宗は経済財政難打開には知識の啓蒙が必要であり、また子弟の不良化を防ぐ上にも教育が必要なことを痛感し、室鳩巣に命じて「六諭衍義大志」 を作らせ、これを寺小屋における訓育の基本とした。寛政年間(一七八八〜一七九三)老中松平定信は 文武の奨励をし、庶民教育にも大きな影響を与えた。天保(一八三四〜一八四三)に入り水野忠邦の庶 民教育奨励で寺小屋が発達し、慶応(一八六五〜一八六八)まで続いた。寺小屋の師匠は都会では浪人、農村では僧侶、神宮・医師が多く、読み書きだけを教えるのが最多で、算術を加えたものがこれに次い だ。寺小屋は天保年間から慶応年間にかけてが最盛期で、全国各地、大字程度の地域に一軒位の割りで 寺小屋が開かれていたと思われる。寺小屋に入る子供の年齢は八〜九歳からが最も多く、一応全体の課 程をすませるには四〜五年以上かかるので、全課程を受ける者はごく少数に限られた。
旧三潴郡誌による本町関係の寺小屋は左の表の通りであるが、ここに掲載する以外にも開設されてい たものがあったと思われる。
所在地 | 学科 | 継続期間 | 師匠名 | 課 目 | 備 考 |
大溝 | 書 | 井上千尋 | 読書算 | 大角三島神社境内の西隣に門弟が明治23年 建立した記念碑がある。 |
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大溝 | 中島次助 | 右同 | |||
木佐木 | 宮崎浪穂 | 右同 | |||
木佐木 | 吉武常磐 | 右同 | |||
木佐木 | 野田素一 | 右同 | |||
木佐木 | 馬場伴作 | 右同 | |||
木佐木 | 熊本俊夫 | 右同 | |||
木佐木 | 籠護仰山 | 右同 | |||
木佐木 | 田中霊巌 | 右同 | |||
木佐木 | 鶴岡嘉三郎 | 右同 | |||
木佐木 | 鶴岡為八郎 | 右同 | |||
木佐木 | 田中次平 | 右同 | |||
木佐木 | 富松卯助 | 右同 |
(三)以下省略