代 | 西 暦 | 年 号 | 郷 土 の で き ご と | 国 の で き ご と |
縄 文 |
前三五〇 | ・稲作りが伝来する。織物が製作され、木製農具が使用される。 | ||
弥 生 |
前三〇〇 | ・この頃の炭化米が(八女市長峰)から出土した。 ・この頃の水田跡と「米痕」の土器が板付より出土した。 | ||
前 一世紀頃 |
・北部九州の甕棺埋葬ムシロが福岡県吉ケ浦遺跡より出土した。鉄戈に付着していたムシロが福岡県道場一地点遺跡より出土した。 | |||
七一 | 景行 元 | ・水沼別の始祖、国乳別皇子が三瀦地方を治めた。 | ||
八八 | 一八 | ・水沼県主猿大海がいた。 | ||
一八八 | ・この頃卑弥呼、邪馬台国の女王となった。 | |||
一九二 | 仲哀 元 | ・神功皇后征韓の帰途三瀦に立ち寄った。 ・風浪神社が建立された。 ・十間橋遺跡より弥生時代の住居跡出土品が出た。 |
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二三九 | 仁徳一七 | ・卑弥呼、魏より親魏倭王の稀号を賜った。 | ||
大 和 |
三〇〇 | |||
五二七 | 継体二一 | ・筑紫国造磐井新羅征伐救援を阻み反乱した。 | ||
五三八 | 宣化 三 | ・仏教が日本に伝わった。 | ||
六〇四 | 推古一二 | ・十七条の憲法が制定された。 | ||
六四五 | 大化 元 | ・初めて年号を大化と呼び大化の改新の詔を発布した。 | ||
六四六 | 大化 二 | ・国・郡・里の制を置いた。 | ||
六五〇 | 白雉 元 | ・この頃神籠石が築かれた。(女山、高良山) | ||
六五二 | 白雉 三 | ・班田収授の法を定めた。 | ||
六六二 | 天智 元 | ・天智天皇のころ初めて学校が興こされた。 | ||
六七一 | 天智一〇 | ・水時計をはじめて使い時を報らせた。 | ||
六七三 | 天武 元 | ・天武天皇の時代帝都に大学地方に国学がおかれた。 | ||
七〇一 | 大宝 元 | ・大宝律令を天下に頒布した。 | ||
七〇七 | 慶雲 四 | ・筑紫の国が筑前と筑後の国とに別れた。 | ||
七〇八 | 和銅 元 | ・はじめて和銅開称が鋳造された。 | ||
奈 良 時 代 |
七一〇 | 和銅 三 | ・平城京を奈良に設けた。 | |
七一二 | 和銅 五 | ・古事記ができた。 ・「古事記」に菅畳、皮畳の記載がある。 | ||
七一三 | 和銅 六 | ・筑後地方は和銅六年の頃条理制が行われたと思われる。大薮地区にその遺構がある。 | ||
七一五 | 霊亀 元 | ・道君首名筑後守となった。 | ||
七二〇 | 養老 四 | ・日本書記ができた。 | ||
七四一 | 天平一二 | ・国ごとに国分寺を建てさせた。 | ||
七五二 | 天平二四 | ・東大寺大仏開眼供養が行われた。 | ||
七八〇 | 宝亀一一 | ・この頃万葉集ができた。 | ||
平 安 |
七九四 | 延暦一三 | ・続日本紀ができた。 ・桓武天皇、京都に平安京を定めた。 | |
八〇五 | 延暦二四 | ・この頃江上大安寺建立された。 | ・最澄天台宗を開いた。 | |
八〇六 | 延暦二五 | ・空海真言宗を開いた。 | ||
八五七 | 貞観 九 | ・道君首名従四位を賜る。印鑰神社に祀られる。 | ||
八七八 | 元慶 二 | ・横溝本村、広門神社、郡司境伊賀によって摂津国住吉神社より勧請される。 | ||
八八〇 | 元慶 四 | ・筑後守朝臣御酉は三〇年放置された班田の制を整備する。 ・この頃壮園制おこる。 |
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九〇五 | 延喜 五 | ・古今和歌集ができた。 | ||
九一二 | 延喜一二 | ・古代史に筑前筑後の藺製品を租税として物納した記録がある。 | ||
九二七 | 廷長 五 | ・廷喜式ができて筑後の国は一〇郡となる。 | ||
九三九 | 天慶 二 | ・藤原純乗が蒲池城を築く。 | ||
九四四 | 天慶 七 | ・筑後神名帳が出来る。三瀦郡五三社とある。 | ||
一〇〇一 | 長保 三 | ・枕草子ができた。 | ||
一〇一一 | 寛弘 八 | ・源氏物語ができた。 | ||
一〇七四 | 承保 元 | ・この頃蒲池氏が蒲池地方に居住した。後蒲池五代の孫蒲池久弘が横溝本村に居住した。 | ||
一一五九 | 平治 元 | ・下古賀高良玉垂神社建立される。 ・東寺宝荘厳院を本所とする三潴庄の記録がある。 |
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一一七五 | 安元 元 | ・法然浄土宗を唱えた。 | ||
一一八二 | 寿永 元 | ・上木佐木に三島宮を勧請する。 | ||
一一八六 | 文治 二 | ・草野次郎大夫永平が筑後国の在国司・押領使に任ぜられる。 | ||
一一八九 | 文治 五 | ・和田義盛が三瀦庄地頭職をやめさせられる。 | ||
一一九一 | 建久 二 | ・栄西臨済宗を広めた。 | ||
鎌 倉 |
一一九二 | 建久 三 | ・源頼朝、征痍大将軍となり鎌倉に幕府を開く。 | |
一二〇一 | 建仁 元 | ・筏溝三島神社勧請される。寛文記によれば蒲池村より勧請されたとある。 ・吉祥三島神社蒲池より勧請される。 |
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一二〇四 | 元久 元 | ・八町牟田木本神社が勧請される。寛延記によれば(承久元年)一二一九年八町牟田村民部の開元建立と言う申伝えがある。 | ||
一二〇五 | 元久 二 | ・野口三島神社、蒲池村より勧請する。 ・中野八幡神社、寛文記によれば山城国より勧請する。 |
・新古今和歌集ができた。 | |
一二〇六 | 建永 元 | ・源忠宗が蒲池の領主となる。 | ||
一二二〇 | 承久 二 | ・八町牟田天満神社、野口道覚が勧請する。 寛延記によれば天満大自在天神絵体を承久二年野口道覚が筑前宰府より勧請するとある。 |
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一二二四 | 元仁 元 | ・親鸞浄土真宗を開いた。 | ||
一二二七 | 安貞 元 | ・道元曹洞宗を開いた。 | ||
一二三五 | 嘉禎 元 | ・藤原家綱入道行西、三瀦郡西牟田村の地頭職となる。 | ||
一二三六 | 嘉禎 二 | ・前牟田、志賀神社、中村伊豆守が勧請する。 ・笹渕高良玉垂神社、江上備後種冬が勧請する。 (寛文記には攝津国住吉より勧請したとある) |
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一二三六 | 嘉禎 元 | ・土甲呂住吉大明神を江土種冬が勧請する。 | ||
一二三九 | 延応 元 | ・西牟田村地頭職に西牟田弥次郎家綱が補せられ、伊豆国から下向した。 | ||
一二四二 | 仁治 三 | ・平家物語ができた。 | ||
一二四三 | 寛元 元 | ・この頃慶雲寺創建される(蛭池)後廃寺となる。 | ||
一二四四 | 寛元 二 | ・蛭池の三島神社が勧請される。 | ||
一二五三 | 建長 五 | ・日蓮法華宗を布教した。 | ||
一二七四 | 文永一一 | ・元軍九州に来襲(文永の役) | ||
一二七六 | 建治 二 | ・一遍時宗を唱えた。 | ||
一二八一 | 弘安 四 | ・大薮の地頭として高橋丹藤衛藤原基氏がこの地に居住した。 ・西牟田弥次郎永家松浦湾にある鷹島で戦功があり肥前国神埼郡の中数ケ所を受領する。 |
・元軍、再度来襲(弘安の役) | |
一二八六 | 弘安 九 | ・皇統が南朝と北朝とに対立する。 | ||
一二九七 | 永仁 五 | ・幕府が「徳政令」を出す。 | ||
一三〇一 | 正安 三 | ・大薮、三島神社高橋丹藤衛藤原基氏が伊豆国より勧請した。 | ||
一三〇四 | 嘉元 二 | ・小入、三島神社、冨安蔵人が伊豆より勧請する。 | ||
一三三〇 | 元徳 二 | ・徒然草ができた。 | ||
一三三二 | 正慶 元 | ・高橋、今松権現は高橋三河が大薮村三島神社より勧請した。 | ||
一三三三 | 元弘 三 | ・鎌倉幕府亡びる。 | ||
南 北 朝 |
一三三四 | 建武 元 | ・建武中興 | |
一三三八 | 延元 三 | ・足利尊氏征痍大将軍となる。尊氏室町幕府を開く。 | ||
一三三九 | 延元 四 | ・神皇正統記ができた。 | ||
一三四九 | 貞和 五 | ・筑後国守護職に詫麿別当宗直が補任される。 | ||
一三六四 | 正平一九 | ・大友氏時筑後国守護職を兼ねる。 | ||
一三七〇 | ・太平記ができた。 | |||
一三七五 | 永和 元 | ・侍島、玉垂神社は領主大膳が高良山より勧請した。 ・奥牟田高良大名神は池上蔵舎が高良山より勧請した。 |
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一三七六 | 永和 二 | ・三八松、老松神社は太宰府より勧請した。 | ||
室 町 |
一三九二 | 明徳 三 | ・後小松天皇が即位して南北朝が統合した。 | |
一四三九 | 永享 九 | ・上杉憲実、足利学校を復興した。 | ||
一四六七 | 応仁 元 | ・応仁の乱が始まる。 | ||
一四六九 | 文明年中 | ・西牟田重家の弟で家老の牟田越前守家村が蛭池村に住む。 | ||
一四七七 | 応仁 九 | ・応仁の乱終わる。 | ||
一四八四 | 文明一六 | ・西牟田城が落成。家村の末子家種蛭池村に住む。 | ||
一五〇六 | 永正 三 | ・福間、大雷神社勧請される。寛文記によれば永正二年津根田又左衛門が建立したとある。 | ||
一五三一 | 享禄 四 | ・福間、神福寺、福土住人田中出雲守、僧名願乗上人が開基する。 | ||
一五三三 | 天文 二 | ・侍島板碑建立される。 | ||
一五四三 | 天文一二 | ・鉄砲が伝来した。 | ||
一五五一 | 天文二〇 | ・上木佐木板碑建立される。 | ||
一五六〇 | 永禄 三 | ・蒲池鑑盛風浪神社を再建する。 | ||
一五六七 | 永禄一〇 | ・前牟田清浄院豊饒美作が創建し、感誉了道上人が開基する。 | ||
一五七二 | 元亀 三 | ・三八松明楽寺菅原対馬、僧名善西上人が創建した。 | ||
一五七三 | 天正 元 | ・高良山座主良寛、弟の麟圭を笹原城(篠山城)主とする。 ・蛭池、二尊寺、伝誉住意上人が開基する。 ・三八松正念寺、鳥取正吾僧名良心如正法師が開基する。 ・大薮、円照寺、犬塚刑部、僧名浄清上人が創建した。 |
・信長将軍義昭を追う(室町幕府滅亡) | |
安 土 桃 山 |
一五七五 | 天正 三 | ・上八院宝福寺、開基の諸庵彭序大和尚の入寂した年からして開創は天正三年以前とかんがえられる。 ・聖塚 (侍島) 石塔建てられる。 ・筏溝、西向寺は存太和尚の創建である。 |
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一五七七 | 天正 五 | ・八町牟田、西元寺、木本右京之進、僧名了念が創建した。 | ||
一五七八 | 天正 六 | ・耳川の合戦で大友に属して出陣した蒲池鑑盛戦死した。 | ||
一五八〇 | 天正 八 | ・蒲池鎮並は龍造寺に反抗して柳川に籠城した。蒲池鑑広も反抗した。 | ||
一五八一 | 天正 九 | ・龍造寺隆信が蒲池鎮並を謀殺した。 ・鍋島信生柳河城主となった。 |
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一五八二 | 天正一〇 | ・黒木益種(家永の弟蒲船津城主(三橋町)佐嘉軍と戦い戦死した。城中の者全滅した。 | ・織田信長、明智光秀のため本能寺で刹された。 | |
一五八三 | 天正一一 | ・大薮刑部輔大薮村長福寺薬師仏厨子に銘文がある。 | ||
一五八四 | 天正一二 | ・蒲池鑑広、大薮村に砦を構えて龍造寺と戦った。 ・隈右京等福間村に砦を構え龍造寺と戦った。 ・龍造寺隆信沖田畷(島原)の合戦で戦死した。 |
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一五八六 | 天正一四 | ・高橋紹雲(立花宗茂の実父)島津の大軍と戦い岩屋城で玉砕した。 ・立花宗茂高鳥居城を攻め星野一族を滅した。 |
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一五八七 | 天正一五 | ・秀吉九州に入り、島津を征討する。 ・立花宗茂柳河城主となり入国した。 |
・大友宗麟が死去した。 | |
一五八九 | 天正一七 | ・天正検地を行う(山口玄藩、長崎伊豆守) | ||
一五九一 | 天正一九 | ・豊臣秀吉が検地を実施貢租の基準を決めた。 | ||
一五九五 | 文禄 四 | ・文禄検地または太閤検地で石高表示となる。 | ||
一五九六 | 慶長 元 | ・上牟田口、妙行寺、田中三郎僧名釈行心上人が創建した。 | ||
一六〇〇 | 慶長 五 | ・佐賀鍋島氏と立花氏八院の地を中心に戦った。 ・十時新五郎、八院合戦で戦死した。五反田に墓碑がある。 |
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一六〇〇 | 慶長 五 | ・立花右衛門大夫親子、八院の合戦で戦死した。横溝深野に墓碑がある。 ・円通庵〈横溝深野)廃寺となった。大安寺の末寺 ・田中吉政筑後に封ぜられた。 |
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一六〇〇 〜〇九 | 慶長年間 | ・田中吉政は久留米柳川街道を新設した。 | ||
一六〇二 | 慶長 七 | ・福島正則が幕府に畳表三千枚を献上した。 | ||
江 戸 時 代 |
一六〇三 | 慶長 八 | ・江戸幕府が成立した。 | |
一六〇四 | 慶長 九 | ・この頃田中吉政、一里塚を築いた。 | ||
一六〇九 | 慶長一四 | ・田中吉政卒去し吉政の子忠攻襲封した。 | ||
一六一四 | 慶長一九 | ・大阪城冬の陣 | ||
一六一五 | 元和 元 | ・大阪城夏の陣 ・豊臣氏滅ぶ | ||
一六二〇 | 元和 六 | ・田中忠政死去して、仕置奉行下向した。 | ||
一六二一 | 元和 七 | ・有馬豊氏久留米城主になり、当地域は久留米領となった。 ・立花宗茂再び柳川城主となった。 |
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一六三八 | 寛永一五 | ・鎖国令が出された。 | ||
一六四六 | 正保 三 | ・領内の本願寺西派を東派に転派させた。 | ||
一六五三 | 承応 二 | ・承応の検地 | ||
一六五四 | ・隠元、黄檗宗を伝えた。 | |||
一六六五 | 寛文 五 | ・宗門改めを実施し、人別帳をつくり、切支丹を弾圧した。 | ||
一六八二 | 天和 二 | ・西以三、筑後地鑑を著し、その中に茣蓙に関する記事がある。 | ||
一七一二 | 正徳 二 | ・正徳の検地 (久留米藩) | ||
一七一六 | 享保 元 | ・藩は大庄屋に苗字帯刀を許した。 | ||
一七二八 | 享保一三 | ・上三郡(三井浮羽地方)に百姓一揆があった。 | ||
一七三一 | 享保一六 | ・福光組大庄屋、内田重昌死去、だるまやま (笹渕)に祀った。 | ||
一七三二 | 亨保一七 | ・ウンカ大発生し、享保の大飢饉となった。 ・大飢饉のため久留米藩は幕府より金一万五千両を借りた。 |
||
一七四一 | 元文 六 | ・清浄院(前牟田)東方、御堂地蔵尊が建立された。 | ||
一七五二 | 宝暦 元 | ・下見役吉武助左ヱ門近郷の百姓に田川野、西牟田野などを開拓させた。 | ||
一七六三 | 宝暦二三 | ・前牟田清浄院内、宝篋印塔建立された。 | ||
一七六四 | 明和 元 | ・大角東、六地蔵建立された。 | ||
一七七七 | 安永 六 | ・猪口萬右衛門が水車を発明した。 | ||
一七九七 | 寛永 九 | ・昌平坂学問所を官学校とした。 | ||
一八〇四 | 文化 元 | ・上八院宝福寺内、宝篋印塔建立された。 | ||
一八一八 〜一八二九 | 文政年間 | ・文政年間熊本原仲が横溝村に漢学塾を開いた。 ・文政年間、神官、宮崎信教が旧木佐木村に歌道、国学の塾を開いた。 |
||
一八二四 | 文政 七 | ・安東間庵が柳川藩に伝習舘を創立した。 | ||
一八二八 | 文政一一 | ・大風雨襲来し、久留米領内に潰れた家六三三八軒、死者一〇二名。 | ||
一八三二 | 天保 三 | ・天保の一揆 | ・種痘所が設置された。 | |
一八五八 | 安政 五 | ・福沢諭吉私塾を開いた。 | ||
一八五九 | 安政 六 | ・藺蘭草の染色がはじまった。 ・北島徳左衛門等が長崎港において、オランダ、ポルトガルと花筵の貿易をはじめた。 |
||
一八六一 | 万延 二 | ・前牟田、六地蔵建立された。 | ||
一八六七 | 慶応 三 | ・徳川慶喜は大政を奉還した。 ・王政復古の大号令が発布された。 | ||
明 治 |
一八六八 | 明治 元 | ・新政府は年号を明治と改元し一世一元とした。 ・「五ケ条ノ御誓文」が公布された。 ・神仏分離令が出された。 | |
一八六九 | 明治 二 | ・久留米藩神仏分離令が達せられた。 ・藩政改革により有馬頼咸、立花鑑寛版籍を奉還した。 ・藩主頼咸、藩知事に任命された。 |
・東京遷都。 ・版籍奉還 | |
一八七一 | 明治 四 | ・廃藩置県により久留米県、桝河県、三池県が成立した。 ・筑後三県を統合して、三瀦県が成立し、大川榎津に庁舎を置いた。 ・久留米・桝河洋学校が創設された。 |
・廃藩置県。 ・郵便事業が開始された。 ・戸籍法が定められた。 ・文部省が創設された。 | |
一八七二 | 明治 五 | ・三瀦県庁舎を久留米両替町へ移転した。 ・庄屋を廃し、戸長・副戸長を設置した。 ・立志小・伝久小(大莞)が開設された。 |
・新橋・横浜間に鉄道が開通した。 ・太陽暦を採用した。 ・「学制」を頒布した。 | |
一八七三 | 明治 六 | ・神社の社格が決定された。 | ・キリスト教禁令を撤廃した。 ・徴兵令が施行された。 ・地租改正条例が実施された。 | |
一八七四 | 明治 七 | ・大角、福間、横溝、蛭池、上木佐木、上牟田口、小学を開設した。 ・大風津波襲来し郡内の死者三九一名、全倒した家一八、九〇二戸、学校の倒壊一三校、半倒人家四、四二九戸、社二四八、寺三一、溺死三六七名、人家流出二八三戸 |
・佐賀の乱。 | |
一八七六 | 明治 九 | ・三瀦県を廃し、福岡県に合併し十四大区制をしいた。 ・福間村と土甲呂村が合併し福土村・大角町と大角村が合併し大角村・北横溝村と南横溝村が合併し横溝村・大薮、田中、小入村が合併し大薮村・荒牟田、吉祥、野口、中村、中野村合併し三八松村となった。 ・久留米・柳川教師伝習学校が久留米.桝河・師範学校となった。 |
||
一八七七 | 明治一〇 | ・西南の役 | ||
一八七八 | 明治一一 | ・三新法制定で都役所を三瀦郡大孝寺村宮本町に設置した。 | ||
一八七九 | 明治一ニ | ・県立江上中学校(桝河中学校江上分校)発足した。 ・久留米・桝河師肋恥学校が廃止された。 |
・自由主義的教育令が公布された。 | |
一八八一 | 明治一四 | ・三潴郡役所が犬塚村生岩十間橋に移転した。 | ||
一八八二 | 明治一五 | ・県立江上中学校が廃校となった。 | ||
一八八五 | 明治一八 | ・三潴郡役所を大川榎津町に移転した。 | ||
一八八六 | 明治一九 | ・牟田口太平等が筑後ゴザ商組合を創立した。 | ・小学校に簡易科がおかれた。 | |
一八八七 | 明治ニ〇 | ・熊本寿人、長方形染色釜を考案し藺草の染色が盛んになった. | ||
一八八九 | 明治ニニ | ・旧村が合併して、大溝・木佐木・大莞村が誕生した。 ・上白垣が木室村より分離して大溝村に合併した。 |
・大日本帝国憲法が発布された。 | |
一八九〇 | 明治二三 | ・小学の簡易科が廃止された。 ・教育に関する勅語(教育勅語)が換発きれた。 | ||
一八九三 | 明治二六 | ・八町牟田に十五ケ村立木佐木高等小学校が開設された。 | ||
一八九四 | 明治二七 | ・勅令により村・集落に「消防組」ができた。 ・茣蓙の足踏一人織機が発明された。(岡山) |
・日清戦争がはじまった。 | |
一八九五 | 明治二八 | ・下関条約が締結された。 ・(仏・独・露)三国干渉をうけた。 | ||
一八九八 | 明治三一 | ・木佐木銀行が八町牟田に開設された。 | ||
一八九九 | 明治三二 | ・福岡県花莚同業組合が設立された。 | ||
一九〇〇 | 明治三三 | ・境信太郎渡米し、花莚の輸出につくした。 | ||
一九〇一 | 明治三四 | ・小学校の授業料が全廃された。 | ||
一九〇二 | 明治三五 | ・日英同盟締結。 | ||
一九〇三 | 明治三六 | ・無量院(吉祥)が再興された。 | ・国定教科書制度が成立した。 | |
一九〇四 | 明治三七 | ・愛国婦人会が誕生した。 | ・日露戦争がはじまった。 | |
一九〇五 | 明治三八 | ・ポーツマス条約が締結された。 | ||
一九〇六 | 明治三九 | ・木佐木村に捺染工場が設立された。 | ||
一九〇七 | 明治四〇 | ・木佐木村産業組合が発足した。 ・北島利、米国サンフランシスコに花莚合資会社を設立し花莚を輸出した。 |
||
一九一一 | 明治四四 | ・十五ケ村立木佐木高等小学校が廃校となった。 ・各小学校に高等科が併置された。 |
||
一九一二 | 大正 元 | ・三瀦郡立木佐木実業補習学校を開校した。 | ||
一九一三 | 大正 二 | ・大溝信用購買販売利用組合が大角に創立された。 | ||
一九一四 | 大正 三 | ・江上線耕地整理組合が発足した。 | ・第一次世界大戦がはじまった。(日本参戦) | |
一九一五 | 大正 四 | ・大莞信用購買販売利用組合が三八松に創立された。 | ||
一九一六 | 大正 五 | ・青年団が結成された。 | ||
一九一七 | 大正 六 | ・薬師寺(横溝町)が再興された。 | ・金輸出禁止。 | |
一九一九 | 大正 八 | ・ベルサイユ条約が締結された。 | ||
一九二〇 | 大正 九 | ・大溝銀行が横溝町に創立された。 | ||
一九二二 | 大正一一 | ・鵠が国指定の天然記念物となった。 | ・全国水平社が創立された。 | |
一九二三 | 大正一二 | ・三瀦郡役所が廃止された。 ・三瀦郡南部耕地整理組合が発足した。 ・高井良式動力花莚織機が発明された。 |
・関東大震災が起った。 | |
一九二五 | 大正一四 | ・ラジオ放送が開始された。 | ||
一九二六 | 大正一五 | ・木佐木青年訓練所を開設した。 ・第一回福岡県主催藺莚競技会が木佐木で行われた。 |
||
昭 和 |
昭和 元 | ・昭和天皇即位された。 | ||
一九二七 | 昭和 二 | ・金融恐慌がおこつた。 | ||
一九二八 | 昭和 三 | ・第一回普通選挙が実施された。 | ||
一九三〇 | 昭和 五 | ・全村学校設置についての通牒が出された。 ・金輸出解禁した。 | ||
一九三一 | 昭和 六 | ・満洲事変が起った。 | ||
一九三二 | 昭和 七 | ・大角小と横溝小が合併し、大溝尋常高等小学校が発足した。 | ・上海事変が起った。 | |
一九三三 | 昭和 八 | ・木佐木村役場が八町牟田に改築された。 | ・国際連盟を脱退した。 | |
一九三五 | 昭和一〇 | ・実業補習学校と青年訓練所が統合され青年学校が発足した。 | ||
一九三七 | 昭和一二 | ・西日本鉄道(急行電車)福岡柳川間が開通した。 | ・日華事変がおこつた。 ・文化勲章が制定された。 | |
一九三八 | 昭和一三 | ・国家総動員法が制定された。 | ||
一九三九 | 昭和一四 | ・西日本鉄道、福岡大牟田間の全線が開通した。 | ・物資統制で米などの生活物資が配給制となった。 | |
一九三九 | 昭和一四 | ・城島、大溝、江上三村組合立、避病院が開設された。 | ・国民徴用令が制定された。 ・青年学校が義務制となった。 | |
一九四〇 | 昭和一五 | ・三瀦保健所が大川町に創設された。 ・九州電力木佐木変電所が侍島に開設された。 |
・日・独・伊三国同盟締結。 | |
一九四一 | 昭和一六 | ・国民学校令により小学校は国民学校と改称され ・米の配給制度がはじまった。 ・太平洋戦争がはじまった。 | ||
一九四二 | 昭和一七 | ・三瀦地方事務所が大川町に設置された。 | ・米の供出制度がはじまった。 | |
一九四三 | 昭和一八 | ・大溝・木佐木・大莞・蒲池・木室村、五ケ村立実業青年学校が横溝町に開校された。 | ||
一九四五 | 昭和二〇 | ・新しい婦人会ができた。 | ・広島・長崎に原子爆弾が投下された。 ・日本はポツダム宣言を受託し、太平洋戦争は終結した。 | |
一九四六 | 昭和二一 | ・第一次農地改革が実施された。 ・神社の社格は廃止された。 |
・米国の教育使節団が来日し報告書を出した。 ・当用漢字が制定された。新かなづかいになった。 ・天皇「神格」を否定宣言された。 ・御真影、奉安殿の撤去が通達された。 | |
一九四七 | 昭和二二 | ・第二次農地改革が実施された。 ・第一回地方統一選挙が執行された。 ・大溝・木佐木・大莞村に中学校が発足した。 ・大溝・木佐木・大莞村に農業共済組合が発足した。 |
・教育基本法・学校教育法が公布された。 ・新学制により国民学校を小学校と改称した。 ・日本国新憲法が施行された。 ・青年学校が廃止された。 ・各学校に父母教師会(PTA)が結成された。 | |
一九四八 | 昭和二三 | ・大溝・木佐木・大莞に農業協同組合が発足した。 | ・教育委員会法が公布され福岡県教育委員七名が公選された。 | |
一九四九 | 昭和二四 | ・大溝・木佐木・大莞の各村に公民館が設立された。 ・学校給食がはじまった。 |
・湯川秀樹ノーベル賞を受賞した。 | |
一九五〇 | 昭和二五 | ・農林省より木佐木村が農村電化村として指定された。 ・大溝中・江上中合併して大江中学校が発足した。 |
・警察予備隊が設置された。 | |
一九五一 | 昭和二六 | ・農業委員会法が制定された。 ・農地の交換分合が施行された。 |
・サンフランシスコ平和条約・日米安保条約調印した。 | |
一九五二 | 昭和二七 | ・市・町村教育委員会が公選された。 ・木佐木中・大莞中が合併して花宗中学校が誕生 した。 ・大莞村立保育園を開園した。 |
||
一九五三 | 昭和二八 | ・筑後地方に大水害が発生、筑後川、矢部川、堤 防決壊し、麦は流失し、多数の家が床上浸水した。 ・木佐木村は農村電化優良村として、農林大臣賞を受賞した。 ・三瀦特産物販売農業協同組合連合会が設立された。(藁工品) ・上牟田口弘昭寺を牟田口良現和尚が創建した。 |
・テレビ放送を開始した。 ・奄美大島が日本に復帰した。 | |
一九五四 | 昭和二九 | ・清浄院保育園(前牟田)が開園された。 | ・自衛隊が発足した。 | |
一九五四 | 昭和二九 | ・木佐木保育園(八町牟田西元寺)が開園された。 ・蛭池保育園が開園された。 |
・教育二法成立した。 | |
一九五五 | 昭和三〇 | ・大溝・木佐木・大莞村が合併して大木町が誕生 した。 ・大木町教育委員会が発足した。 ・国民健康保険が実施された。 ・大木町公民舘が誕生した。 |
・三瀦地方事務所が廃止された。 | |
一九五六 | 昭和三一 | ・ポッポ園(保育所・前車田)が開園された。 | ・南極観測がはじまった。 | |
一九五七 | 昭和三二 | ・県立大木養魚場が町営に移管された。 ・筑後地区特産物(藺製品)販売農業協同組合連合会に改称された。 |
・東海村原子炉の点火が行われた。 | |
一九五八 | 昭和三三 | ・前牟田に町立大溝保育園が開園された。 ・大木町青年研修所ができた。 ・掛川手織技術者として福岡県無形文化財に三名が指定された。 |
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一九五九 | 昭和三四 | ・大木町町章が決定された。 | ・メートル法が実施された。 | |
一九六○ | 昭和三五 | ・産業道路八町牟田−荒牟田線が新設された。 ・大木町商工会が設立された。 ・大木町文芸協会が結成された。 |
・日米安全保障条約が改定された。 | |
一九六一 | 昭和三六 | ・農業基本法が施行された。 | ||
一九六二 | 昭和三七 | ・社会福祉法人白百合母子寮が開設された。 | ||
一九六四 | 昭和三九 | ・大木町農協が発足した。 | ・東海道新幹線が開通した。 |
以下略