霊厳寺の由緒は、今より約六百年前の称光天皇の御代、応永十三年(1406)に創建された古刹である。開山は栄林周瑞禅師、周瑞禅師は中国・明国への留学から帰朝され、諸国巡錫の途中に黒木の手を訪れたが、この地がかって留学していた中国の蘇州霊厳寺に地形環境に酷似していたので、禅刹の創建を発願された、。時の黒木城主、黒木氏勝正清より寺領十町歩の寄進を受け、伽藍を建立、寺名も同じ霊厳寺と命名された。
境内に入ると奥に本堂、手前に観音堂が建っている。観音堂の本尊は千手観音、脇侍は普賢菩薩と文殊菩薩で、この三尊像は弘法大師の作と伝えられていう仏さま。奇岩の山に登る途中に建つ楞厳堂は周瑞禅師が座禅、焚香祈祷を行った聖地である。観音堂の中に入ると右奥に立像の聖観音が安置されている。この観音さまには伝説が残っている「その昔、観音堂に泥棒が入った時のこと。泥棒はこの聖観音さまを盗もうと思い、背負って逃げ出した。山門をくぐり、石段を降りていこうとすると、観音さまが重たく感じられ腰が立たなくなってしまった。石段に腰掛け、もう一度背負おうとするがやはり腰が立たない。何度やっても同じなので泥棒はあきらめて、観音さまを背中から降ろした。すると不思議なことに腰が立ったそうである。泥棒はびっくりしてそのまま逃げ出した・ |