後深草天皇の御代、建長元年(1249)に諸国を旅していた常陸の国の僧、日用比丘はこの地にきれいな湧き水がでているのを見つけた。そしてこの辺り一帯の美しく、清らかな風土に心を引かれて草庵を結んだ。
本尊は伝教大師作と伝えられる十一面観音。創立当時、辺り一帯を治めていた領主の大蔵隆真が上田九反を寄進したことも記録に残っている。
清水寺は天正年間に大友氏の兵火にかかり衰退したが、後の寛文八年(1668)に久留米・梅林寺の休岳和尚が入山。その師、月州和尚を開山として再興を果たす。静寂な境内には宝永四年(1707)の銘が入った宝篋印塔がひっそりと建ち、清水寺の盛衰を物語っている。 |