(表) 浮生、水の如く逝く、我まさに死すべし。一事関心す、時俗の非となるを。寄語す、文章同調の友。大雅を扶持して、相違うことなかれ。

(裏) 宮崎来城先生、名繁吾、明治4年十一月、久留米藩士の家に生まれる、性格は磊落で非凡、志は国家にあるも任官を好まず。全国を遊歴、足跡は台湾から中国大陸に及ぶ。一代の学識を持って作詩に情熱をもやし、著作も多くある。晩年は郷里に家を構え、弟子達が雲霞の如く集まってきて、この世界がますます盛んに成って来た。人々は天下の詩壇を賑わす大家であると噂していたのも又肯ける。昭和八年七月、先生は病の床に臥せられた。床の中で二首の作られ、仰臥されたまま筆を取って書かれた。その一首が碑に刻まれた七言絶句である。
      昭和十四年七月門人拝記