1.朝倉町のうつりかわり

 遠い昔に景行天皇(十二代)や神宮皇后がおいでになったこともあるという史蹟や伝説が多く残っている(さと)であります。
 今からおよそ1327年前に第37代斉明天皇が須川に(みや)(い)をつくりになり、朝倉(たちばなの)広庭宮(ひろにわのみや)となづけられて、これより古い郡の名まえ「かみつあさくら」(後の上座郡)ができました。
 明治
221889)年になって、今まで続いてきた村を大きく合併することになりました。
橘 広 庭 宮

 北の四か村(須川、宮野、鳥集院(うすのいん)、比良松)は宮居の跡のあるところから宮野村と名づけ、東の三か村(山田、菱野、古毛)は古い地名から朝倉村として西の二か村(大庭、石成)は広庭にちなんで大庭村となり、南の五か村入地、長渕、田中、多々連(ただれ)、上寺》)は福成神杜の社号により福成村と名づけましたが、明治42年に大庭福成村は合併して大福村となりました。
 それからおよそ50年後の昭和30年に朝倉、宮野、大福は合併して朝倉村となり、昭和37年に朝倉町と呼ぶようになりました。三か村は地理の上からも、歴史の上からも深いつながりがあったからです。
 もとの14か村は大字として現在も残っています。

比良松の町並み


                                       NEXT

                                  「大むかしの朝倉町」