日吉神社 |
所在:久喜宮原鶴 |
|
本 殿 | ||||
日吉神社は久喜宮山王社ともいい、久喜宮、若市、古賀、寒水の産神で近江国比叡山の日吉七社を分祀し、その初めは古賀の上野に勧請したもので、天武天皇の白鳳年間と言い伝えられているが詳しい年月はわからない。古い棟札銘に、 山王宮再興大壇越 中務大蔵朝臣種照 寛正五年甲申姑洗念八日 伊豆備中守照舜 とあるが、これは1464年3月28日のことで、秋月種照が大修理したときのものであろう。 神域が狭いからと、大宝年間に原の庄に遷座されたというが、その年月も不詳であり、元禄8年(1695)に現在地に遷座されたものと思われる。 このあと嘉永2年(1849)に拝殿が建て替えられ、文久2年(1862)に神殿が再建されたと言う 昔の社殿は華美荘厳を極めていたが、応仁、大永、天正と打ち続く争乱期に荒頽してしまい、神田さえも奪われ神域また寂れはてていたものを、秋月種照がその臣、木村上野守に命じて社屋を造営させた、と「縁起」には記されている。 後年、大友宗麟がすべての神社仏閣を焼き払ったため、産徒だけでは社の経営もでき難くなったので、形ばかりの小祠を建てて祀っていたが、元禄8年に時の農長が氏子らと話し合って、神殿、拝殿を建立したと言う。 祭は古賀にあったときは二月初めの申の日であったが、原の庄に遷ってからは原鶴の地主の神の祭日、9月19日(現在は10月19日を例祭と定め地主の神と同日に祀るようになった。) この原の庄には昔から高尾社、高野社、若宮八幡社、松尾社、八雷神等を祀ってあったが、氏子もなく社域も久しく荒廃していたので、これを切開き、山王社を遷座した後はこれらを摂社として社域に奉祀し、祭礼も同じ日に行うようになった。 昔は二月の祭礼には御田植えの神事、騎射の儀、獅子舞などの奉納があったというが、今は行われていない。 十月の祭礼には御神幸があり、昔古賀にあったときは七体の御輿が原の庄まで下ったというが、元和、天正のころ世は戦乱に明けくれて、例祭も行われなくなり、社屋も荒廃していたのを、当時の祠官が寛文3年(1663)に御神幸を再興し、七神の御神体を一輿にまとめ乗せ奉っ て、杜の南、大久保まで御神幸あり、現在もなお続けられている。 |
NEXT |
野津手八幡宮 |