杷木神龍石
神龍石(南西から) 神龍石(西側から)

 東林田、林田の山をめぐる神籠石である。この神籠石は明治31年久留米に高良山神籠石が発見されて以来今目まで九か所が発見され、いずれも現在国の史跡に指定されている。
 この神寵石には今もってなぞに包まれている部分が多い。一体誰がいつごろ、何の目的で造ったのかわかっていない。佐賀県武雄市おつぽ山神籠石の発掘調査に当たった九大の鏡山教授によって列石の前に10尺毎に松柱が確認されて、山城であることは判明したが、誰がという点になると文献がなく不明である。しかし築かれた年代はだいたい考古学や歴史的解明により七世紀ごろと推定されている。すなわち斎明天皇朝倉橘広庭宮造営に近いころという点では一致した見解と思われる。
 とすると、神籠石は大陸関係が重大な脅威として日本の上にのしかかって内治外交共に重大時局にあった当時と無関係に造られたとは思われぬ。
 この設備が作られて、朝倉の奥、僻遠の地に行宮を定められたのか。或いは行宮ができその後この守にこの神龍石が作られたか?とにかく、時代的に見て他の神寵石は別として杷木神籠石はこの時代、あるいは戦略的要地として考えた場合橘広庭宮と無関係とは思われぬ。

神 龍 石
第1水門 第2水門

NEXT

「鵜木城跡」