史跡
城 島 城 |
天正11(1583)年西牟田家周が築いて居城とした。 |
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江 上 城 | 「江上三郎忠種の兄江上四郎の築く城跡」 |
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江 上 城 |
「嘉禎2(1236年)江上忠種の築く城跡と伝えられる」 |
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山 法 師 塚 |
関が原合戦で敗れた真田雪村の一族である真田直行は山伏姿で筑後に来た。直行は伊我理神社の境内に庵をたて起居し、日頃信仰する不動明王をまつり豊家再興を祈念したといわれている。 |
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九 品 寺 跡 |
大友家重臣豊饒美作永源後柏原天皇の大永年中(1521年頃)に草創。九品寺の徒がこれを守っていたが、田中吉政が寺田を没収し廃寺とした。 当寺院は佐世保に移されている。 |
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下 田 村 城 館 跡 |
堤貞正入道妙光は寛正3年(1462年)館をこの地に構えた。永禄3年(1560年)城を村中久理に築いて大友の兵を防いだ。天正15年龍造寺に従って永く家臣となり小知を食み子孫は鍋島氏に仕えた。 |
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天 満 宮 |
正安2年(1300年)に創建。 |
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山 王 宮 |
平安時代、50代桓武天皇の時(延暦年中)に漢の高祖帝30代の大蔵朝臣江上三郎長種が江州比叡山坂本山王宮を当地に勧請した。 |
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六 地 蔵 |
この六地蔵の石塔は紀年銘など不明であるが室町時代末期の作と思われる |
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牛 木 神 社 |
創建は805年頃、神体は人形で牛木大明神とも言っています。 |
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高 良 玉 垂 宮 |
本神社は第六十六代一条天皇の長徳元己未(995)年、宮崎兵部少輔高良山より勧請し七社大権現と称し氏神として尊崇厚し。社領七町七反、第八十三代土御門御宇正治元己未(1199)年公儀より拝領 |
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法 林 寺 宝 篋 印 塔 |
紀年銘はないが南北朝期(室町期)造立のもので、もとは大川市の下林天満宮境内にあったものを、明治の廃仏毀釈の際移したものではないかとされています。 |