年 表
縄文時代(約1万年前〜前3世紀),弥生時代(前3世紀〜後3世紀)頃までは城島地方
は,有明海であった.地層は砂や泥土の沖積層である.しかし,筑後川下流域右岸の
佐賀県諸富町に徐福の伝説や弥生遺跡があり,徐福の渡来が,中国の史書によれは紀
元前220年頃であるから,すでにその頃,筑後川下流域にはたくさんの潟島・潟洲があ
り,人が住んでいたと想像される.
〔西暦〕〔年号〕 〔事 項〕
弥生時代 稲作農業が盛んになる.青銅器・鉄器が朝鮮半島を経て北部九州
に伝播する.
吉野ケ里などにおいて,青桐器・絹織物などの国産が始まる.海
岸,河川で漁撈・狩猟が盛ん.
弥生遺跡(上青木〜大川市下林〜江上本筒江)
貝塚(能保里)
須恵器(城島小学枚西側,内野,能保里)
紀元前後 倭国は百余国に分かれ,その一部は前漢の楽浪郡に朝貢していた.
後57年 倭の奴国王,後漢に朝貢し光武帝より金印を授かる.
88(景行18年)景行天皇,筑紫の国を巡行,水沼の県主猿大海が案内する.
妃襲武媛が国乳別皇子・国背別皇子・豊戸別皇子を生む.国乳別皇
子は水沼別の始祖である.(三瀦町弓頭神社に祀る)
133(成務3) 武内宿禰を大臣とする.
184頃 倭国乱れ,たがいに攻伐しあう.この後,卑弥呼が女王に立てら
れる.邪馬台国の所在は諸鋭あって確定しない.
200(仲哀9) 紳功皇后,新羅に出兵する.
239 邪馬台国の女王卑弥呼,魏へ朝貢し,明帝より親魏倭王と金印紫
綬を受ける.
248 卑弥呼死す.卑弥呼の宗女壱与を女王とし,魏に朝貢する.
278(応神9) 武内宿禰を筑紫に派遣して,百姓を監察させる.
366(仁徳4) 肥前川上の桃桜沈輪,異国に内通し各地を荒らす.
368( 56) 藤大臣,耳納山を開き,高村大善寺に御殿を作り,肥前川上に桃
桜沈輪討伐.
369( 57) 倭・百済連合軍,新羅を攻めて破る.
390( 78) 藤大臣死.高三瀦塚崎に奉葬する.(御廟塚)
400(履中元) 始めて社を高良山に建てる.(高良玉垂宮)
466(雄略10) 水間君の犬が呉国から朝廷に献上する鷲を食い殺したので,水間
君は鴻十羽と養鳥人を献上して罪をつぐなう.
527(継体21) 筑紫国造磐井が反乱を起こす.翌年磐井は破れ斬殺される.
562(欽明23) 新羅,任那官家を滅ぼす.
645 大化の改新
646(大化2) 改新の詔が出る.国・郡・里を定める.
663(天智2) 日本百済軍,唐・新羅軍と白村江に戦って大敗する.
673(天武2) 僧隆慶,高良山に高隆寺を建立する.
678( 7) 筑紫国に大地震があり,筒江が埋まる.
695(持統9) この頃,筑紫国が筑前と筑後に分けられる.
701(大宝元) 大宝律令が完成する.
708(和銅元) 和同開珎が鋳造される.
710 奈良に平城京
715(霊亀元) 道君首名が筑後守となる.
723(養老7) 御井郡国分村に国分寺が建立される.
794 平安京
796(延暦15) 八院村へ比叡山より坂本山王宮を勧請する.この頃,銃後国に大
雨降り続く.
805( 24) 江上に日吉神社を勧請する.江上に大安寺,牛木に大明紳を建立
する.
814(弘仁5) 塚崎に妙覚院ができる.大善寺の名称がつく.
887(仁和3) 豊島異人時連が伊我理神を奉じて大依に下向する.
901(延喜元) 菅原道真大宰府へ左遷される.時運の子時祐,河中の島を開拓し
て舘を造り,城島太郎と名乗る.
927(延長5) 筑後国は十郡となる.
939(天慶2) 藤原純乗蒲池城を築く.
941(天慶4) 天慶の乱以後,大宰府の役人であった原田氏の分かれが江上に土
着する.
944( 7) 筑後守吉志公忠が筑後国神名帳を注進する.三潴郡に62社と神名
帳に出る.
995(長徳1) 宮崎兵部少輔が高良山より楢津へ高良玉垂命神社を勧請する.
1074(承保元) この頃より蒲池氏が居住する.
1125(天治2) 蒲池出羽守が伊豆より三島宮を西蒲池に勧請する.
1156 保元の乱
1159(平治元) 宝荘厳院注進に「三瀦庄、米六百石・綿四百両」と書かれている.
平治の乱
1185(寿永4) 平家が壇ノ滴で滅び,落人たちがひそかに逃れてくる.(平家伝
説多し)
1191(建久2) 青木島に聖光院が創建される.
1192 鎌倉幕府
1230(寛喜2) 高津の地名がはじめてみられる.
1235(嘉禎元) 藤原家綱が三瀦郡西牟田村の地頭職となる.
1236( 2) 原中牟田に領主原若狭丞鎮種が比叡山坂本宮から勧請し日吉神社を
建て,社領1町を寄進する.
大木町土甲呂の住吉大明神を江上種冬が建立する.
1239(延応元) 藤原家綱が伊豆三島より西牟田へ下向する.
1259(正元元) 高三瀦村の住人横溝五郎を地頭職に補任すると鎌倉幕府より沙汰
がある.
1274 文永の役
1281 弘安の役
1296(永仁4) 内野村・大依村・芦塚村・江上村・江上上村・四郎丸村・江島村
の地名がはじめてみられる.
1300(正安2) 上青木に堀右京進忠久が老松紳社を創建する.
1338 足利幕府
1359(正平14) 懐良親王と少弐頼尚が大保原で戦う(筑後川の戦い).
1372(応安5) 楢林の地名がみられる.
1462(寛正3) 堤貞正人道妙光が,豊後日田より下田に来て飽を築く.
1467 応仁の乱
1468(応仁2) 堤貞正,下朗に彦山三所大権現を勧請する.
1474(文明6) 堤貞正,下田に天満宮を勧請する。
1489(延徳2) 少弐政資の軍に西牟田・酒見・諸富・城島・鐘ケ江の諸氏が参加
する.
1502(文亀2) 三瀦郡六町原村に浄願寺が建立される.
1525(大永5) 豊饒美作入道永源(大友氏家臣)が城島に本拠をかまえる.
1526(大永6) 原中牟田の日吉紳社を豊饒美作入道が再興する.
(大永年間) 城島城主豊饒美作入道が御井郡府中町から市恵比須を江上に勧進
する.
豊饒美作入道が江上南上に西法山九品寺を創建し,寺田3反3畝
を寄進する。
1532(天文元) 江上元種,東肥前で大内義隆の軍勢と戦い,太鼓を打ち鳴らして
勝つ.
1533( 2) 西善が下青木の能保里に法林寺を創建する.
1552( 21) 四郎丸の坂本神社に蒲池隆久が社領21町を寄進する.
1554( 23) 江上左馬大輔武種が林松寺を創建する.
1559(永禄2) 江上武種は龍造寺隆信との戦いに敗れ,筑後江上に逃げる.
1560 桶狭間の戦い
1563( 6) 四郎丸の坂本神社を鷲頭大和が再興する.
1564( 7) 大友義鎮が筑後の土豪衆を従え,下田城の堤貞元を攻める.
下田村の南に筑後川新川を掘る.
1571(元亀2) 江上武種が再三龍造寺隆信と戦ったが破れる.
1582 本能寺の変
1583(天正11) 城島大蔵丞鎮時新慶屋敷に移り住む.
西牟田家周が城島に城を築いて住む.
1584( 12) 浮島に菊池十左衛門(のち惣右衛門と改称)が安真の厳島弁財天
より勧請して厳島神社を創建する.
1585( 13) 戸次鑑連・高橋鑑種ら城島を攻めるが敗れ,高良山に退却する.
十時摂津守が四郎丸の坂本神社を再興する.
1587( 15) 立花統虎は薦野増時(玄賀)を城島城主とし130町与える.
(天正年間)江島村に江島遠江守の居城があった.
1590 豊臣秀吉 全国統一
1592(文禄1) 原中牟田の日吉紳社を立花氏の家臣佐伯善左衛門が再興する.
1596(慶長1) 原中牟田に浄真が唯善寺を創建する.
1600 ( 5) 江上・八院合戦.
関ヶ原の戦い
1601( 6) 田中吉政,三河国岡崎城主から筑後国主となり,柳川入城,領内
に9か支城を置く.城島城に宮川讃岐を居らせる.
江上古町の市と市恵比須が城島に移される.
江上本字馬場の日吉神社に田中吉政が社領100石を寄進する.
江上本字馬場の日吉紳社の宮司が副業に和傘製造をはじめる.
青木荘より勧進して青木島天満紳社を創建する.
1605( 10) 江島村菊池惣右衛門資次が江島新島を開拓する.
(慶長年間) 江島四郎左衛門によって青木島が開かれる.
1615(元和1) 以降,城島が肥後街道筋の在郷町となる.
1617 ( 3) 菊池惣右衛門一族が江島新島へ移住し有喜島と唱える.
1620( 6) 有馬豊氏,丹波福知山8万石から久留米21万1千石へ転封となる.
1621( 7) 有馬豊氏久留米城へ入る.城島城を取り壊す.
1622( 8) 釈慶覚が六町原に常然寺を開く.
1624(寛永1) 楢津の高良玉垂命紳社が焼失する.
1626( 3) 城島に正法寺を創建する.
3月から7月まで雨なく飢饉となる.
1627( 4) 筑後川洪水,凶作.
1630( 7) 筑後川大洪水,流失家屋多い.
1634( 11) 楢津の高良玉垂命禅社を再建.
1636( 13) 江島の坂本大明神を服部民部が再興する.
1637 島原の乱
1638( 15) 農民の逃散多く,藩庁は村組合連帯責任でその防止を厳しく命じる.
1647(正保4) 領内の西本願寺派寺院をすべて東派に転派を命ずる.
1651(慶安4) 領内24組大庄屋へ給米始まる.高100石につき1斗9升を農民
から取り立て支給する.
翌年3月下旬まで,三本松町隅から櫛原鷹匠小路までの堀の浚え
と土居の嵩上げ始まる.労役を不満とする狂歌が,三瀦・御井・
御原の丁場に建つ.
1654(承応3) 郡中の年貢,土免(定免)となる.
1659(万治2) 大洪水により春飢饉.
1662(寛文2) 気候不順,病気流行,牛馬多く死ぬ.
1663( 3) 菊池次郎兵衛義治が浮島に光正寺を創建する.
1667( 7) 下田村に荒籠ができる.
1669( 9) 筑後川洪水,人馬流失多数,損毛甚大.
1670( 10) 浮島村七右衛門が問屋営業願いを出す.
1673(延宝元) 三瀦郡に大洪水,家の軒まで水がきて人馬が多数流失する.
1674 ( 2) 大洪水.
1675( 3) 前年の洪水・台風で領内に飢饉起こる.
1681(天和元) 領内飢饉,餓死者多く藩米が支給される.
(天和年間) 浮島・青木島の間に浮島渡しがあった.
1688(元禄元) 三瀦郡の村々で鉄砲所持者の調査がなされる.
1695( 8) 筑後川大洪水.
1697( 10) 城島天満宮一ノ鳥居奉納の文字を安東省庵が謹撰する.
1702 ( 15) 春から閏8月まで洪水32度に及び,米価高騰.
(宝永年間) 江上古町の家数8軒.下田新町の家数は48軒.
1712(正徳2) 従来の土免を廃し,田畑の春法検見始まる.
1713( 3) 大風による高潮で浮島・青木島などで人馬670頭余が死ぬ.
1714( 4) 江上・城島・夜明3組の汐入普請の出夫数が郡内で2万人に達する.
年貢の春法検見取りを止めて春免(定免)とする.
1716 徳川吉宗、享保の改革
1720(享保5) 7月,洪水につき惣郡中へ1,500俵の救米が出される.
1730( 15) 暴風・洪水・麦不作,在方では笹の実を食べる.
1732 ( 17) 気候不順,蝗大発生し久留米藩内飢饉始まる.三瀦郡でも餓死者
が出る.
1742(寛保2) 7月末までに洪水33度に及ぶ.夏作損毛.
1745(延享2) 浮島開拓の祖,菊池惣右衛門の霊を祀り江島明神と名付ける.
此年気候不順,凶作.
1749(寛延2) 城島町彦兵衛,三国屋伝右衛門帯刀を許される.
1751(宝暦元) 江上上村,高三瀦村,蛭池村の惣百姓が褒賞される.
1754 ( 4) 藩全域で百姓一揆,三瀦郡の農民田川原に3,000人集合する.こ
の一揆で城島大庄屋・富商・江上上村庄屋・原中牟田村庄屋・青
木島酒屋などの家が襲われ打ち崩される.
1756( 6) 浮島村庄屋惣右衛門などが村の東に新堤防を築く願書を提出する.
1765(明和2) 大風・洪水で倒壊家屋1,374戸.地震が起きる.
1774(安永3) 下田に郷場(年貢米の地域出荷場)が設けられる.
1784(天明4) 筑後川大洪水.全国で飢饉起こる.
1787( 7) 清松の八幡宮の願成就に江上操座の芝居がある.
松平定信、寛政の改革
1793(寛政5) 前年秋凶作で領内飢え人が出る.
1799( 11) 石州銀借り入れで内野村庄屋斗吉,城島大庄屋堤金次郎と倖友吉
が処罰される.
1804(文化1) 下田に境治平が寺子屋を開く.
1811( 8) 佐賀藩領内の漁民数千人が芦塚の人家9軒を打ち壊し漁場紛争が
起こった.
1814 ( 11) 大雨洪水.
1815 ( 12) 三瀦郡鐘ケ江村漁民が佐賀藩漁民に襲われ,5人死亡(鐘ケ江事件)
.久留米・佐賀両藩とも幕府へ訴え出て争う.
1818( 15) 江島村に郷場が置かれた.
1818(文政1) 原中牟四の唯善寺が火災にあい,縁起などを焼失する.
1819( 2) 幕府は柳川藩主立花氏を仲裁に立て鐘ケ江事件の一応の解決をする.
1820( 3) 江上・城島両組漁師は,柳川入会漁場へ入漁する船は役筋より鑑
札を渡される.
1828( 11) 洪水,大風.
1836(天保7) 江上組大庄屋中島八蔵が米売捌き制度で莫大な借財を引き請け,
田畑・家財を没収され「三瀦郡御構」となり大庄屋を解任される.
1837( 8) 浜天満営の御紳体が洪水で流れ,返遠をめぐり青木島村民との間
で争いが起こった.
1838( 9) 大洪水.三瀦地方では家屋50余戸が流失し,人馬が死傷する.
1841 水野忠邦、天保の改革
1849(嘉永2) この年迄25年間続いた上田肇の寺子屋が城島にあった.
大洪水,暴風.
1850 ( 3) 暴風,三瀦郡内の人家222軒潰れる.
1858(安政5) 下田・芦塚と肥前境の古川を浚える.
1860 桜田門外の変
1865(慶応1) 芦塚村に高山百次が寺子屋を開く.
1867 ( 3) 大政奉還,王政復古の大号令.
1868( 4) 上青木の老松神社を天満営と改称する.
1871(明治4) 廃藩置県.久留米藩は久留米県と改められる.
筑後三県を合併して三瀦県となる.
江上上村の一部が分村して江上下村となり,上青木村の一部が西
青木村として分村する.
文献:「写真でつづる城島」
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