特産品・伝統工芸品

和傘

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城島の和傘作りは、慶長6(1601)年に江上山王神社の宮司が副業と

して始められたという記録が残されています。当時は、神社の行事と

して必要であった傘作りの技術が今に伝えられています。

昭和20年代半ばには町内には傘製造業者が100軒以上、500人以上の

職人がいたと言われていましたが、生活様式の変化により昭和50年頃

には僅か一人となってしまいました。

筑後地区では、筑後川の水運を利用した日田市の真竹と比較的近くに

八女和紙があり、材料が手に入りやすい地域性から家内工業として定

着していました。

明治40年に馬場地区の和傘は福岡県の重要物産として指定され、筑後

和傘としても有名になり製造技術や生産高も岐阜県に次ぐ産地として

知られるようになりました。

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約400年前、有馬公が丹波の国より瓦工をつれて来たと云われている。

城島町での瓦作りは原料の粘土に恵まれ、筑後川の水利があることな

どから、永い歴史をもっている。

いぶし銀の光沢と格調高い姿形、耐久性に定評があり、九州各地の神

社仏閣、高級日本家屋などによく使われている。棟の両端に飾る鬼瓦

は特に有名である。

屋根瓦だけでなく芸術性の高い鬼瓦も生産し、西日本有数の瓦産地と

して知られている。

福岡県の生産地は城島町のほか、大和町、瀬高町で総称して「城島瓦」

といわれている。

酒造

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城島で酒造業が起こったのは江戸時代中期といわれている。

城島の酒造記録によれば、延亨2(1745)年富安榮重(花の露)、文政12

(1829)年江頭太右衛門(清波)、嘉永3(1850)年首藤重之進(有薫)が

先覚者と言えよう。

その当時は、有馬藩より酒株の許可をもらい、その酒類も濁酒で量も100石

ばかりであった。明治になって東京進出を計ったが、灘、堺の清酒と比べもの

にならなかった。灘の宮水の硬度と城島の筑後川の軟水の硬度の相違である。

城島杜氏の血のにじむ努力により、醸造法を改善し筑後川の軟水仕込みを確

立し、城島酒は向上、明治40年頃は、品質、製造量が九州一となる。

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