上陽町の歴史                         トップページヘ
年  号 西  暦 主 な 出 来 事
氷河時代 B.C
2000万年前
昭和53年1月、八女郡上陽町打越の粘土層より、マンモス象の化石と思われる遺物が発掘され考古学者に調査を依頼、鑑定の結果、1300万年前のマンモス象の歯科部分の化石と判明する。
B.C
 100万年前
昭和22年、黒木町(中原)中原炭鉱(なかばるたんこう)の無煙炭(むえんたん)の中からステゴドン象の臼歯と牙等の化石が出土する。
縄文後期 B.C
 1500年前
八女郡において漁猟の生活が始まる。
黒木、矢部、星野、北川内等で石斧(せきふ)、矢鏃(やじり)等が昭和年代に発見される。
弥生前期 B.C
  221年前
秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の使いの者 徐福(じょふく)が、薬草を求めて八女市山内の童男山(どうなんざん)附近まで来たところ、嵐のため船が難破し童男山に於いて亡くなった。
徐福の墓と伝説あり。
弥生時代 B.C33年前 朝鮮半島の任那(みまな)が初めて日本に入貢した。
B.C4年前 キリスト生まれる。
倭国(やまとのくに日本)は百余以上の小国家に分かれていた。
25年 中国に仏教が伝わる。
57年 倭の奴国王(わのなのこくおう)の使いが後漢に来て「漢委奴国王」(かんのやまとのなのこくおう)の金印を後漢光武帝(ごかんこうぶてい)より受ける。
天明4年福岡県志賀島で金印が発見される。
景行18年 88年 景行天皇行幸18年7月7日、八女県(あがた)に到る。
即ち前山を越えて南粟岬(みなみあわのみさき)を望り(おせり)たまふ。
詔して(みことのりして)曰く(のたまわく)「その山の峰岫重疊りて(みねくきかさなりて)且美麗しき(またうるはしき)こと甚なり(にへさなり)。若し(けだし)神その山に有し(まし)ますか」とのたまふ。時に水沼県主猿大海(みずぬまのあがたぬしさるおほみ)、奏して(そうして)言さく(もうさく、「女神有します(ひめがみ まします)。名を八女津媛(やめつひめ)と曰す(まうす)。常に山の中に居します(うちに まします)」とまうす。故(かれ)、八女国(やめのくに)の名は、此れに由りて起れり(これによりて おこれり)。
   上陽町郷土史年表より(その中の一部を抜粋させていただきました。)

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