行者堂 |
役 行 神 社 | 行 者 堂 |
行者と行者杉 |
英彦山山伏の峰入り修行は室町時代に始まり、英彦山と宝満山の道筋には48ヵ所の宿を設け、さまざまな修行が行われたそうです。 小石原焼の窯元群がある皿山から九州自然歩道で続く行者堂付近一帯は、その昔深仙宿と呼ばれ、修験者たちの峰入りルートの最も重要な修行の場所でした。 修験者たち一行は、ここで日課勤行、閼伽(あか)水作法、ざんげ行、大華立、採燈護摩などを行い、この時には近隣の村人もお供え物を持って行者堂にお参りしたといいます。 行者堂の中には、修験の始祖であり、この霊場を開いた役(えんの)行者(ぎょうじゃ)(役(えんの)小角(おづぬ))の木彫像が安置されています。この像は、1592(文禄4)年に肥前国西持院の法印叡盛が奉納したもの。この種の像では全国的に珍しい大作で、県の文化財に指定されています。 また、行者堂の前には同じく県文化財指定の石積の護摩壇があり、近くには香精堂、香水池(閼伽井)など修験道に関する遺構や遺跡が残っています。 そして、行者堂を見守るようにそびえる樹齢200〜500年の杉巨木群。修験者が峰入りをするときに植栽した杉の穂が、長い年月をかけ50m 以上の大木に育ったもの。人々はこの森を「行者杉」と呼んでいます。 明治以降、長く途絶えていた修験の行も皿山地区の人たちによって復活され、今では毎年7月16日に行者堂で護摩法要が行われています。 |
行者杉成立位置図 |
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修験道の峰入道