高取焼



秀吉の文禄・慶長の役に出陣した九州の諸侯は、朝鮮人陶工たちを連れ帰り、藩の産業の興隆のために彼らを保護し、各地にやきものの窯を開かせました。 1600(慶長5一年、黒田長政に伴われて渡来した陶工・八山が、鞍手郡鷹取山に開窯したのが高取焼の始まりです。その後、1612年に内ケ磯、1624年に山田へと移窯しますが、それまでを古高取と呼んでいます。1630年には穂波郡合屋村の白旗山窯に移リ、小堀遠州の指導を受け高取焼は完成します。この時代のものを遠州高取といいます。
さて、小石原高取の誕生は1665(寛文5)年のこと。八山の子、八蔵が遠州高取の技を携え、鼓の釜床に藩御用の御焼物所を開いたことに始まります。さらに八山の二男・八之丞が1669年に小石原の中野に新皿山ができたのでここに移り住み、代々居住するようになったという記録も残っています。
現在、小石原村には高取焼の技法を継承する窯元は数戸あり、遠州高取の風格を今に伝え、高麗風のきらびやかさを求めた「綺麗さび」の世界を展開しています。精密な工程、華麗な釉薬、繊細な生地味。名茶人小堀遠州の好みの窯・遠州七窯のひとつとしても広く知られています。特に、黄、鉄、ワラ灰、木灰、三彩などの7色釉を駆使して焼成する茶陶類は、気品に満ちあふれています。


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