南北朝時代。14世紀半ば、57年間、二つの朝廷が併存していた時代。
1333年(元弘3)、大覚寺統の後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒し、武家の手から政権を取り戻し天皇
親政による建武の親政を実現しました。
しかし、武家階級の存在を無視したやり方に武家の多くが反発し、足利尊氏、室町幕府を開設
しました。
1336年(延元1、建武3)、京都では足利尊氏の推す持明院統の光明天皇が即位しました。
後醍醐天皇は足利氏の離反により京都から吉野へ移りました。
こうして、京都(北朝)と吉野(南朝)の対立する南北朝時代が始ままりました。
当時、九州では、少弐、大友両氏は北朝(持明院統)で尊氏派、一方、肥後の菊池、阿蘇両氏は
天皇方の南朝(大覚寺統)に属し、二つに分かれていました。
後醍醐天皇は南朝勢力拡大のため皇子を各地に派遣したが、1338年(延元3)秋、わずか8才の懐良
親王(征西将軍宮)を九州へ向かわせました。*延元元年、3年、4年など諸説あり。
懐良親王は、薩摩に上陸、谷山城を経て菊池城へ入りました。
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文献 郷土史事典 田中政喜著 征西将軍 懐良親王の生涯 坂井藤雄著