はじめに
ふるさと徳童は、筑後川中流南岸、福岡県浮羽郡田主丸町に在る、戸数五十に満たない小さな集落であります。
私は歳を重ねるにつれて、生れ育った故郷が懐かしく知りたいと、思うようになりました。
先ずは、郷土の山や川の生い立ちですが、これは私の力の及ぶところでありませんので、田主丸町誌と吉井町誌を紹介さして戴きます。
徳童は、千数百年も昔に人々が村を興し、今にその面影を残していますので、よい故郷に生れたものだと、有難く思っております。
隅墓地にある菊竹家の先祖の墓に参って、今から六百何十年も昔に、亡くなられた始祖菊竹茂手木公夫妻と、帰一自雲知性禅定尼の時代を考えると、当時この地方には、南北朝の激しい戦いが続いておりました。
この戦いで菊竹茂手木公は、南朝のため懸命に働かれております、この精神は娘禅定尼が受継がれ、禅定尼もまた一生を自分の信ずる戦没遺族慰霊の旅に捧げています。私は二人の逞しい精神力と困難に怯まぬ行動力に、感動いたします。
さて、茂手木公の没された後、徳童を後に各地に活躍されている方々を訪ねて、お話を伺いたいと思いますが、長い時の流れの壁は厚く、資料も散り失せ、訪ねる伝さえ無くなって、出来ないのが残念であります。
今、先祖墓の基壇に残っている方々の消息さえ薄れて、故人に聞いておけばよかったと、惜しまれる思い頻りの昨今であります。
そこで手許に残っている記録から、一族をお訪ねしてお話を伺い、漸くここまで纏める事ができました。
この処歳を重ねた筆者ですので、筆足らずの処や勘違いの箇所など、あるかと思いますが、どうかご寛容賜りますようお願いいたします。
菊竹 武