村政百年の足跡とその業績

大日本帝国憲法下の村政

(明治二十一年〜昭和二十一年)

村長、助役は、村議会議員による村会で選ば れ、(大正十四年までは村長は郡長または知事 の認可が必要であった)ともに名誉職であるこ とを原則とし、任期は四年であった。

収入役は村長の推薦で村会選任とされ、任期 は四年、有給吏員とされていた。

そのほかに必要に応じて書記、吏丁を置き、 書記は村長の推薦により村会で選任し、吏丁は 村長の任用であった。

村の職員は、三役のほか、四名から七名の吏 員名が名簿に記されている。

また、諸帳簿書類保存簿(明治三十五年〜大 正十一年)によると、

第一種 庶務書類  第一種第二種 学務書類  第一種第二種 衛生書類  第一種 統計表、戸籍簿、寄留簿、村会議事録、村会決議事項留、  第一種 種痘簿、学齢簿、土地台帳、名寄集計簿、村図、字図  第一種 税務書類、印鑑簿、村有財産台帳、部落有財産台帳、  神社、堂、寺台帳、村費、歳入出簿、  第一種 農商事務書類

と記されており図1のような機構になってい たと思われる。昭和十六年四月一日の矢部大火 で大部分の大事な書類が焼失していて、資料が 乏しいのが残念である。

行政区の変遷については、表二のとおりであ るが、明治三十年以前と明治三十二年から大正 七年までの間は不明である。

行政区の動き

日本国憲法(戦後)下での 村役場の機構

村役場の体系

昭和二十一年十一月三日、日本国憲法が公布 された。新憲法の理念にもとづいて、昭和二十 二年四月、統一地方選挙において男女平等の成 年者普通選挙が実施され、村長及び村議会議員 二十二名が誕生したことは、村にとって画期的 な出来事であった。

同年四月十七日には地方自治法が公布され、 村長の行政執行権と議会の議決権が完全に分離 された。これにより両機関の相互牽制によって 地方公共団体の円滑な行政運営を期することと なった。

助役および収入役の選任については、議会の 同意を得て村長が任命することになったのであ る。

矢部村役場の体系は図2のとおりである。