矢部村の生活

矢部村の人口動態

表一 人口と世帯数の推移

人口と世帯数の推移

元和六年(一六二〇)矢部川を境にして北を 北矢部村(久留米領)南を矢部村(柳川領)と 分割されたが、明治十七年、町村分量で二村を 一区量として、役場は北矢部に置かれた。

安政五年(一八五八)、矢部村庄屋惣左衛門が、 大庄屋上野伊助に報告した古文書によると、家 内数(世帯数)百七軒、総人口七百二十五人、 内、僧四人、男三百四十五人、女三百七十四人、 盲女二人とある。僧四人と盲女二人を男女の人 数に入れず、別記している。

矢部村は、当時柳川藩領であるから、今の矢 部川の南、大字矢部の人口である。北矢部村の 当時の人口はわからないが、その人口は矢部村 の倍以上はあったと思われる。

二村合併当時の人口は、北矢部二千二十人、 戸数三百六十戸、矢部村千百三十九人、戸数二 百二十一戸、計三千百五十九人、戸数五百八十 一戸であった。

矢部村についてだけいえば、二十五年間で四 百人以上増えたことになる。

明治二十二年の市町村施行により、北矢部村 と矢部村が合併して、現在の矢部村となった。

その時の人口は、三千四百八十九人で、戸数 は六百十八戸となっている。

矢部村の人口の推移は、表一のとおり、昭和二 十五年の六千二百五十一人をピークとして自然 的、社会的条件により減少の一途をたどり、昭 和三十五年五千三百十三人、昭和四十年四千二 百二十二人、昭和五十年三千五十三人、昭和六 十年二千四百八十四人、平成元年は千四百一人 と激減している。昭和三十五年から四十年まで の五年間に千四十一人の減少で、減少率は一 九・六パーセント、四十年から五十年の十年間 に千二百十九人、二八・五パーセント、さらに 五十年から六十年の十年間に五百六十九人、一 八・六パーセントの減少を示している。その結 果、昭和六十年には、昭和二十五年のピーク時 より実に四〇パーセントに落ち込んでしまった。

主な原因として、鯛生金山の閉山、日向神ダ ムの建設による水没地帯住民の離村、主要産業 である林業の不振、高度経済成長における都市 部への人口流出、中学校、高等学校卒業生の進 学、就職のための転出、そして出生率の低下な どの背景が考えられる。


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世帯数の変遷

次に世帯数の動向を見てみると、表一のとお り、かなり減少しているが、人口の動きとは若 干異なった動きを示している。

人口が昭和三十五年から四十五年にかけて激 減しているのに対して、世帯数は五年後の四十 年から減少が激しくなっている。そして、五十 年までは激しく減少しているが、五十年から五 十五年の五年間は、二十三世帯、五十五年から 六十年までの五年間では、十二世帯の減少にと どまり、現在は横ばい状態である。これ以上の 減少に歯止めがかかったということであろうか。

一世帯当たり世帯員数は、世帯数の減少とそ れを上回る人口の減少によって昭和三十五年の 五・四人から平成元年には、三・四人と減少し ている。

これは、高齢化による老人世帯の増加と少子 化の傾向の現われである。

年齢別人口構成

平成元年の人口の構成を年齢別に見ると、図 の人口ピラミッドのとおりである。

男女の人口差は、六十歳まではあまりないが、 六十五歳を超えると女の方が多く、全国平均と 同じように女が長寿の傾向にある。

○歳から十四歳までが、一四・五パーセント、 十五歳から二十九歳までが一六・○パーセント、 三十歳から六十四歳まで四七・一パーセント、 六十五歳以上は二二・四パーセントの比率を示 している。

昭和三十五年からの推移を見ると、○歳から 十四歳、十五歳から六十四歳までの総人口に対 する割合は、人口の減少とともに減っているが、 六十五歳以上の高齢化率は二三・九パーセント と逆に三倍以上の高い増加率を示し、福岡県一 の高齢化社会になっている。

この原因は、出生、死亡のアンバランスによ る自然減と中・高卒業者の就職や進学による村 外転出などが考えられる。

このような現象は、村に深刻な問題を提起し ており、村は高福祉、高齢者対策を重要施策の 三本柱のひとつにあげて努力している。

矢部村の村落

集落形態の特色

表二 年齢別人口

本村の集落は、矢部川の本流沿いに中心集落 があり、さらに本流より分岐している十三の支 川沿いに二十五の集落(十六行政区、七十三隣 組)が点在している。

集落については、梅地藪や桑ノ平のように戸 数の少ない集落から中村、宮ノ尾のようにまと まった集落を形成しているようにさまざまであ るが、住民の構成は古くから保たれており、現 在もほとんど変わっていない。

高取、三倉、山枳殻など一部の集落では、生 活の多様化に対応が困難になり、村外へ転出し てしまって、現在は一軒も残っていない。

地形が急峻で平坦地が少なく、集落の再編成 は不可能に近く、今後も集落の形態は変わらな いと思われる。

昔ながらの共同体の意識は強く、よい意味で の山村のよさを残していて、祭りなどの行事も 続けられている。

集落の状況および中心部までの距離は表一、 二、三のとおりである。

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