行政組織の変遷

大日本帝国憲法下の行政組織

市制町村制施行時の村政

戦前の町役場の機構

市制、町村制施行時における村政は、村会を もって議決機関としている。村会議員は任期六 年で、三年ごとに半数を改選した。また、議員 はすべて名誉職であった。

村長は村会で選挙され、人口五〇〇〇人以上 の町村においては知事、五〇〇〇人未満のとこ ろは郡長の認可を必要とした。村長は名誉職で 実費弁償、労力相当の報酬であり、村会は村長 が議長を務めることになっていた。

今でこそ選挙は満二十歳以上の成年男女によ る普通選挙であるが、当時の選挙は納税額によ る階級別選挙(町村にあっては一級、二級)で 一戸を構えて独立の生計を営む二十五歳以上の 男子で、二年の居住要件および二円以上の地租 または直接国税の納税要件を満たしたものとい う極めて厳しい制限選挙であった。

地方自治の制度ができたとはいえ、それは現 在の制度とは大きく異なり、条例の制定改廃、 地方税の賦課、地方債、その他重要な行政事項 および主要吏員の選任は、村会の議決を経て知 事または内務、大蔵大臣の認可を必要としてい たのである。また議会の違法、越権などについ ては、監督官庁の修正権、議会の解散権があっ た。

明治四十四年市制・町村制の改正

この改正で議員の任期を四年に改め、半数改 選を全員改選とした。また、監督官庁の議決ま たは選挙の修正権が定められた。

郡制の廃止

郡制は明治十一年七月二十一日の太政官布告 により近代地方自治制度の基礎を作ったといわ れる郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則 の公布によって布かれたが、これにより八女地 方には明治十一年十一月に、上妻、下妻郡役所 が開設されていた。以後、廃置分合などの変遷 をたどったのち、大正十二年三月三十一日に郡 制は廃止され、郡が経営していた事業や権利義 務が県と町村に帰属した。さらに大正十五年の 地方官全面改正により郡長も廃止され、郡役所 もなくなった。

大正十五年市制・町村制の改正

この年は普通選挙法が公布された画期的な年 である。この改正では議員の級別制度が廃止さ れ、選挙制度も独立の生計を営むことおよび直 接国税を納めることの二要件が撤廃され、二十 五歳以上のすべての男子に選挙権が与えられた。 また村長の選任に関して知事、郡長の認可制を 廃止して村会で決定することに改められた。

昭和四年市制・町村制の改正

この年の改正では、村長の原案執行権が制限 され、議員の提出権および臨時会請求権が認め られることになった。また議員の補欠選挙は、 欠員が議員定数の六分の一を超えた場合に行う ことになった。

昭和十八年市制・町村制の改正

太平洋戦争の真っ最中のこの年に行われた改 正は、戦争遂行のための戦時体制整備の一環と して行われたもので、議決機関の議決権限がい ちじるしく縮小され、村長の指導的地位が確立 された大がかりなものであった。

村会の議決事項は、総括例示主義から制限列 挙主義に改められ、かつ予算の増額修正が禁止 された。また大正十五年の改正以来、議会単独 の意向によって決定した村長の選任方法が改め られ、知事の認可を必要とするようになった。 さらに監督官庁の権限拡大が村行政の簡素化、 能率化の美名のもとに行われ、村に関する争訟 は議決による自治的決定から知事の裁定に移行 された。

このように村の自主性は徹底的に剥奪され、 自治と分権の自治本来の理念は国策遂行のため 完全に圧殺されてしまったのである。これを要 約すれば、極端な地方自治の官治化が行われた ものであるといえよう。

日本国憲法下における行政組織

地方自治の概念

旧制度における地方行政は、中央集権主義に もとづく官治方式といわれるのに対して新制度 は地方分権主義にもとづく自治の方式といわれ る。しかし、国が直接地方出先機関をもって処 理する事務も少なくなく、自治と官治の併用と いえよう。

終戦後の制度改革の経緯

昭和二十年八月九日、御前会議においてポツ ダム宣言の無条件受諾の方針が決定され、八月 十五日ついに三年有余にわたる太平洋戦争は、 何百万という尊い人命と膨大な資源を犠牲にし て終結した。九月十五日には連合国軍総司令部 (GHQ)が東京日比谷に設置された。

十月十一日マッカーサー連合軍総司令官は、 憲法の改正、人権擁護等の五大改革を要求し、 それに従い諸制度の大改革が実行されたのであ る。

戦後の第一次改革

○昭和二十一年市制、町村制、府県制の大改革

この制度の大改革は、新憲法の制定に先だち 当時明確化されつつあった新憲法草案の趣旨に 従い、我が国地方制度を民主化するために行わ れたもので、住民の参政権の拡大、地方自治体 の自主性、自律性の強化および行政における公 正と効率の確保を基本理念とした。

それによると、公民制を廃し、婦人に参政権 を与え、選挙権の年齢要件を満二十歳に引き下 げ、被選挙権を地方議会議員および市町村長は 二十五歳からとし、居住要件も六ヵ月に引き下 げることになった。また住民の参政権を拡大す るために市町村長の公選制を採用し、また住民 に条例の制定改廃、事務の監査、議会の解散、 市町村長および議員の解職(リコール)などに 関する直接請求権を与えた。

議会は町村長をもって議長とする制度を改め、 議員の中から議長、副議長を選出することにし、 議員の定数を増加するとともに議会の定例会を 採用し年六回とした。また議員の名誉職制を廃 して報酬を支給できるとした。さらに議会に会 期延長の自主決定権を与え、村の利害に重大な 関係のある事項について条例により議決事項を 定めることができることや議会に村長の不信任 決議の権限を与えることになった。また監査委 員に村の事務の監査を求め、結果の報告を請求 できることとなった。さらに選挙の公正を期す るために選挙管理委員会が設置されることに なった。

○戦後の第二次改革

昭和二十二年四月十七日地方自治法が制定さ れた。それによれば、執行機関(村長)と議決 機関(議会)と対等分立となり、両者はその権 限が明確化され、相互牽制によって地方公共団 体の円滑適正な行政運営を期することとなった のである。

議会では常任委員会及び特別委員会の制度を 採用し、常任委員会の議決により特に付議され た事業については閉会中もこれを審議すること ができるようになった。また、議会に議員の資 格決定権を与えた。

○昭和二十七年八月改正

議会議員の定数を条例によって減じ、議会の 定例会の回数を六回から四回に減じた。また選 挙権の居住要件を三ヵ月に引き下げることに なった。

○昭和三十三年四月改正

町村議会に市と同様に条例を定め、議会事務 局を置くことができるようになって、ようやく 今日に至っている。