老松天満宮の大鳥居 |
矢部村役場の東、宮ノ尾の集落の北側にうっそうと大樹の茂った小高い丘の上に
菅原道真公を祀った老松天満宮があり、村社になっている。
後村上天皇の正平十四年(一三五九)に五条少納言清原頼元が勅を受けて征西将軍宮
懐良親王を奉じて九州征伐の折柄、応永二十三年(一四一六)、家臣の高等九郎師長
という人が、後醍醐天皇の即位の際祀られたという老松天満宮をさがしたが、その所在がはっきりしなかった。
三年後ようやくその所在を発見し、その縁起を話したところ、宮は大へん感激され、しばらく高家に安置した。
応永二十九年(一四二二)五条清原頼経が今の地に社を創建し、二反六畝の社領を寄進した。
しかし、田中吉政が入封の際、土地は没収されたという。
明治六年三月十四日に、村社に列せられた。
例祭は、三月三日と十一月十五日の春秋二回催される。
三月の例祭には矢数の張的という神事がある。
今の社殿は、神殿三間、御供屋二間半の三間、境内面積は約六百七十五坪ある。
境内には、応神天皇を祀る八幡神社がある。
もとは村社であったが、のち境内末社となった。社殿は二間の二間である。
昭和十六年の矢部の大火で、もとの社殿は焼失したが、烏居や狛犬は残っている。
また、村の天然記念物に指定されている大杉や大いちょうの木も残っている。
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矢数の張的 |
寛永二年は一七九〇年であるから、今からちょうど二百年前になる。
八女津媛神社 |
石川内三叉路から矢部川の支流樅鶴川に沿ってしばらく上ると神ノ窟の集落がある。
その集落のはずれから左に折れ、急坂を上りつめると大きな洞窟がある。
窟の高さ二丈五尺(約七、六メートル)幅十丈(約三十メートル)奥行き三丈
(約九十メートル)である。この下に八女津媛神社がある。六所権現とも岩屋権現ともいう。
祭神は、景行天皇筑紫巡幸の頃、八女の県(あがた)一帯を治めていた八女津媛神であり、養老三年(七一九)
三月の創建と伝えられている。その後天正十年(一五八二)再興され、明治六年三月十四日、郷社に列せられている。
社殿は一間の一間、拝殿一間半の二間、御供屋一間二尺の一間四尺五寸で、境内の広さは四十七坪である。
無形文化財の浮立 |
昭和六十一年、老朽化が激しいうえに、上から岩石がくずれ落ち、社殿が倒壊したので、地元民、有志の力で総工費約八○○万円を投じて再建された。
境内には、元禄六年銘の石燈篭や推定樹齢約六〇〇年の村文化財指定の権現杉がある。
また、十一月十五日の例祭には、県無形民俗文化財に指定されている浮立が、氏子によって奉納されていたが、氏子の減少で今は五年に一回奉納されるようになった。
白鳥神社 | 毘沙門天 |
鬼塚の村民グラウンドの北西、桜や楓、杉などの木立に囲まれた高台に白鳥神社がある。
創建の年代や由来、どうして白鳥神社というのか詳しいことはわからないが、高台の崖下にあったのを大正時代に、今のところに移しかえたという。
鬼塚地区の郷社で、毘沙門天が祀られ、毎年秋に例祭が執り行われている。
毘沙門天は、須弥山に住し、北方を守護する四天王のひとりで、像は黒と黄色で怒りの相をあらわし、甲冑をつけ、両足で、「しゃくま」(百足(むかで)ともいう)、左手に宝塔を捧げ右手に宝棒をついている。
常に仏の道場を守って説法を説くというので多聞天ともいわれる。
我が国では、七福神の中でも随一といわれ、商売繁盛、金銭如意、福徳開運、出世自在、学業増進、智恵円満、家内安全、諸願成就の福の神様として有名で、篤く信仰されている。
特に毘沙門天のお使いは百足であり、おあし(お金)を沢山いただけるという意味で、商売繁盛の神としてあがめられている。
白鳥神社の毘沙門天がいつごろからこの地に祀られているのかわからないが、御神体の傷みがひどかったので、鬼塚の原嶋貞夫氏が私財を投じ、京都の仏師に頼んで修復されたという。
高さ五十センチメートルで小さいが、見事な毘沙門天である。
石岡の通称「とのんたっちょ」という旧柳川道に沿った小高い丘の上に古ぼけた小堂宇があり、二体の仏像が安置されている。
妙見神社といい御神体は妙見菩薩である。
創建の年代、由来はわからない。
妙見菩薩は、北斗七星を神格化したもので、国土を擁護し、災害をはらい人の寿福を増す菩薩様で、尊王星、北辰菩薩ともいわれている。
妙見神社は、熊本など全国に祀られている。
ここの妙見さんは、馬や牛が嫌いだそうである。
古老の話では、子どもの時から「馬や牛をひいて妙見さんの前は通ってはならぬ」と親や年寄から言われたという。
いつの頃か、たまたま妙見堂の道を通っていた牛がどうしたはずみでか下の谷に落ちて死んだということで、それ以降このように言い伝えられていたということである。
妙見神社の裏の崖上に、幹周り約三メートルに及ぶシナノ柿があり、村人はガラガラ柿と呼んでいる。
八女茶山唄にも「茶山旦那さんなガラガラ柿よ 見かけよけれど渋ござる」と歌われているが、山柿の一種で、秋小指の先ぐらいのドングリに似た実をつける。
東北地方では、昔食料の乏しかった頃は、その熟柿が冬カチカチに凍り付くのを待って、竿などで落として食べていたという。
幹には定家かずらが絡み、幹全体を覆っていて、幹の根元には大きな空洞が出来ている。
妙見さんの台地を土地の人たちは、「とのんたっじょ」と呼んでいる。 そこに立つと矢部川沿いの集落が広く見渡される。 古老の話では、南北朝の頃の南朝方の見張り所のあったところであったとか、殿様が立ち寄って村を見渡されたところであろうということである。
金刀比羅神社 |
御側の後征西将軍の御陵墓の前の坂道を上り、民家の庭先を通って山道をしばらく登ると、釈迦、御前を目の前に見渡せる展望台がある。
そこの近くに金刀比羅神社がある。
今から約二百年前、江戸時代の三大飢饉のひとつである天明の大飢饉の折、当地には飢饉のうえ、悪疫が大流行した。
悪疫が何であったかわからないが、村人たちの思い立ちにより、讃岐(四国)の金刀比羅神社から御神体を勧請し、御側の集落を一望できるこの高台にお社を建立したのである。
村人たちの厚い信仰心のおかげで飢饉や悪疫を逃れることができたので、金刀比羅宮はいよいよ村人たちの尊崇を集め、大事に祀られて今日に至っている。
その後、今に至るまで村人たちは平穏無事に過ごすことができた。
金刀比羅神社には、社殿を建てた、年月日や願主、大工、石工などの名前を書いた木札が残っているが、字が磨滅してわからない。 かすかに「天明五(一七八五)」の字が見えるので、今から二百六年前の天明五年に建てられたことがわかる。
神 社 名 | 祭 神 | 所 在 地 |
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八女津媛神社 | 八女津媛神 | 北矢部窟後四、〇一五 |
老松天満神社 | 菅原道真 | 北矢部宮ノ尾 |
摩利子天神社 | 破軍星 | 〃 蕨(わらび)原 |
摩利子天神社 | 破軍星 | 〃 蔵当 |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 茗荷尾 |
山神社 | 大山積命 | 〃 崩坪(日出) |
加藤神社 | 加藤清正 | 〃 村巡(秋切) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 桑取藪 |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 別当 |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 森ノ下(枳殻(ゲズ)) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 天神森(土井間) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 飛窪 |
社日神社 | 受持ノ神 | 〃 曵地(殊正寺) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 松葉(殊正寺) |
山神社 | 大山積命 | 〃 小谷(軣) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 中女鹿野 |
山神社 | 大山積命 | 〃 今村鶴 |
淡島神社 | 少彦名命・菅原道真 | 〃 堤谷 |
若宮神社 | 応神天皇 | 〃 森ノ上(六本松) |
金比羅神社 | 大物主神 | 〃 尾上 |
山神社 | 大山積命 | 北矢部辻の園(下御側) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 二タノ木(三倉) |
辨財天社 | 厳島姫命 | 〃 コヤノ迫(梅地藪) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 古田(竹原) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 オオシノ迫(八知山) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 虎伏木 |
琴平神社 | 菅原道真・崇徳天皇 | 〃 中間堀尻(中間) |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 稲付 |
忍骨命社 | 忍骨命 | 〃 福取 |
素盞鳴神社 | 素盞鳴(スサノオ)命 | 〃 宮ノ尾 |
大杣神社 | 後征西将軍良成親王 | 〃 宮ノ尾 |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 大園 |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 中村 |
素盞鳴神社 | 素盞鳴命 | 〃 石川内 |
白鳥神社 | 比沙門天 | 〃 鬼塚 |
天満神社 | 菅原道真 | 〃 柳瀬(鶴) |
天満神社 | 菅原道真 | 矢部二タ板 |
大神宮 | 天照皇大神 | 〃 串毛 |
妙見神社 | 破軍星 | 〃 石岡 |
素盞鳴命神社 | 素盞鳴命 | 〃 古野 |
辨財天神社 | 辨財天 | 日隠 |
天満神社 | 菅原道真 | 栃ノ払 |
天御中主神社 | 天御中主神 | 山口 |
天満神社 | 菅原道真 | 山口、笹又 |
昭和五十九年に鳥居が、平成元年十一月十七
日に、本殿は改修し、拝殿は、全面改築された。
その費用は、笹又からダム水没で北九州市に転
出された江田利男氏の寄贈によるものである。
御前岳(別名権現岳一二〇九メートル)の山
頂に、方八〜九尺ばかりの小さな石の祠がある。
津江神社といい、祭神は木花開耶姫である。日
田郡津江郷から奉祀したもので、本殿は頂上の
平地にあるが、拝殿は東方の山麓豊後の内に
あって、その礎石の明には、「奉祀文政十三年(一
八三〇)六月中旬」とある。毎年四月に地元で
例祭が行われている。