「恵蘇八幡宮」
中大兄皇子(後の天智天皇)は唐.新羅との戦いに勝利するため、
恵蘇八幡宮を建立。その後斉明.天智両天皇も合祀されています。
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「恵蘇八幡宮」の正面
天智天皇は唐.新羅との戦いに勝利するため、安全性のため
都を博多に作るよりも河を遡って朝倉に決めた事から歴史が始まりました。
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「朝倉木の丸殿跡」
明治31年(1898年)建立、中大兄皇子は御陵山において斉明天皇のもがりを
終えた後、丸太小屋を建てここで喪に服された。この丸太小屋を「木の丸殿」
といい恵蘇八幡宮境内に立っていたと言われています。
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斉明天皇御陵山の登り口石段
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「斉明天皇御陵山」
斉明天皇の亡骸をもがりした所
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朝倉の関跡.関守の墓
朝倉や木の丸殿に我居れば名乗りをしつつ行くは誰が子ぞ
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朝倉の歴史について詳しく説明をされました。
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「月見石」
水神社の境内に石に囲まれた中に平らな石が月見の石です。
天智天皇が喪に服くされている間、この石に腰掛け雄大な筑後川に
映る月をご覧になり、心の痛みを癒された、と伝えられています。
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