江戸に幕府を開いた徳川家康は、出身地である三河の「秋葉権現」を 江戸の火伏せ(防火)の神とした。そして江戸から各地へと秋葉神社が広まった。
瓜生野新町の火伏せの神「秋葉神社」の前は道幅が広くなっている。 火災の際の火除(ひよけ)地「広小路(ひろこうじ)」の名残である。
『田代売薬』と呼ばれたそのくすり産業が、なぜ田代の地で生まれたのかというと、 田代が交通の要衝であり、宿場町でもあったこと、対馬本藩から離れていたこと、 先に売薬を始めていた富山の売薬人たちが田代へも行商へ入っていたことなどから、 往来する人や物から豊富な情報や技術を得たり、代官による統治の統制力の緩さも あったり、富山売薬の実績を認識していたりと、いくつかの要因が絡み合って、 商人や農村以外に住む者たちの意識が売薬へと傾いていくこととなった。 田代を出て、他藩への 田代の一大産業として発展した売薬、 そのノウハウは久光製薬に受け継がれて全国へ。そして、世界へと…