第17回 久留米ん町探検隊  吉井の古墳・土蔵・水路・豊後街道巡り

 実 施 日 :2017年4月23日(日曜日)

今回は、江戸時代の久留米と日田を結ぶ豊後街道の

 うきは市吉井町の古墳をさぐり(探り)土蔵造りの建物や水路を

 めぐり(巡り)宿場町の佇まいをさるき(歩き)ました。

*日時: 4月23日(日)9時受付開始・9時半出発,14時10分解散
*参加費: 1100円   参加人数:24名                            

*探検ルートは  @ 吉井町白壁ホール、A吉井町民俗資料館 、B水神社

  C金子文夫資料展示館、 D水路  E菊竹六鼓記念館 F素戔嗚神社

  G三番札所千手観音 H若宮神社  I月岡古墳 J日岡古墳

  K光琳寺鏡田屋敷  L居蔵の館  M堀田の井戸 浄満寺 

  N昼食 ちくご手作り村  OJR吉井駅解散                

 
   
当日の行程図
 
 
   
 
出発地点 吉井町白壁ホール前で記念写真

 
   

晴天に恵まれ、出発前の説明を聞く隊員

 
   
 
吉井町民俗会館で吉井町の歴史の勉強

 
 

月岡 国指定重要文化財の説明

  同心円文の壁画
     
吉井の地名について

清らかな良い水が湧き出る土地と言う意味


浮羽の地名について

景行天皇がこの地へ行幸した折 酒盃を
従者が忘れた事に「朕がウキはや・・・」と
言われたことから この名がついたとか。

     
 
菊竹六皷の説明

  昔使われていた道具
     
 
 
水神社に向かう

 
 
水神社

川に感謝し川を恐れ川と大事に触れ合う事の大切さを知り、
それを形に表すため、この水神社を祀った。

 

南新川、此処の一帯の地名を「金川」と言う。護岸が美しい。

 
 

金子文夫資料展示館

郷土史家であり、収集家でもある金子文夫氏から
文化発展の為に寄託しされ、展示が行われている。

 
   

永年にわたり収集された数十万点に及ぶ考古資料・民俗資料及び
金子家の遺品の一部を、地域おこし、生涯学習の拠点施設として
活用をはかるため、収集品の整理を進めながら展示が行われている。

 
   
 
うきは白壁通り

 

菊竹六皷記念館

5・15事件における少数軍人暴虐に対し痛烈な軍部批判を行った
「福岡日日新聞」(「西日本新聞」の前身)の主筆菊竹六皷の遺品及び記録を
後世に伝える記念館で、展示室のほか和室やホールがある

 
 
素戔嗚神社

素盞嗚(すさのお)神社は、通常「祇園さま」の名前で親しまれている神社で、
町中にあったご神体を大火災の宝暦13年(1763年)現在地に素戔嗚神社を祀った、

もしくは当時この地は町の鬼門にあたり、魔除けとして荒神である素盞嗚神を祀ったと
言われている。吉井祇園は明治初期に、天領日田の祇園囃子が伝授されたもので、
明治にかけて町民がこぞって祭礼に参加したといわれている。第2次大戦中は休止したが、
昭和30年頃から復活し、現在に至る。現在は7月21〜22日の両日に実施。

 

 「しん川の由来」

 今から三百年前ほど前の浮羽地方の土地は非常に肥えていたが、
土地が高く水に乏しいのでひでりのため作物がみのらず、
餓死する人がたくさんあってこまっていた。

 
 
五庄屋

五庄屋はどうかして、これを救おうと思い立ち久留米藩主有馬候に
筑後川の水を引き入れる工事を願い出た。しかし、藩主は工事の容易で
ないことを思われて、なかなかお許しにならなかった。

 五庄屋は死を決して嘆願し「もし事が成就しなかった時は、私共五人を
お仕置きください。」と申し出た。
そこで長野の土手に五つのはりつけ台が立てられ工事が始まった。

郡内の人は、なさけ深い五人の庄屋を殺してなるものかと
昼夜一生けんめい働き、
女、子どもまで手伝って木や石をはこび、りっぱな川ができた。

 

白藤が満開


新緑が眩しい

   
三番札所千手観音

丸山さんによる御詠歌の朗詠 
 
「若宮八幡神社」

五穀豊穣の御利益で知られるお宮で、仁平3年(1153年)に源為朝が現在の
神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮(日本三大八幡宮のひとつ)を分霊して
創建されたと伝えられている。

境内には樹齢数百年の情緒豊かなカヤの木や、
青銅製の狛犬(うきは市の指定文化財第1号)と
灯篭(同第2号)など見所も豊富 桜の名所としても人気のスポット!

 
 月岡古墳

 若宮八幡宮境内にあり、前方部を西に向けている。1805年(文化2年)、
後円部から竪穴式石室が発見され、多くの遺物が出土した。
この時の記録が当時の若宮八幡宮宮司・安元大炊によって残されている。


日岡古墳 

若宮八幡宮境内の東に所在し、一重の周濠が巡っている。
すぐ西側に月岡古墳が所在する。

石室の壁全体に様々な文様が描かれており、壁画系の装飾古墳の中で
古いタイプに分類される。描かれた文様は、奥壁に赤・白・緑色を使い、
6個の大型同心円文・蕨手文・連続三角文などが、
周壁には赤・白・青色を使い、同心円文や三角文といった幾何学的文様のほかに、
盾や靫、大刀などの武具・魚・船・馬・獣などの文様が描かれており、
場所によって色の使い分けがなされている。天井石が石室の床面に崩落している。


日岡、月岡古墳の全景 

 

村田英雄の生誕地


中川順子の句碑

 

鏡田屋敷

鏡田屋敷(旧籠田家)は、吉井町若宮字鏡田に位置する屋敷型建造物である。

この建物は、幕末から明治初期に建てられ、その後、座敷と2階の増築は明治26年頃と
思われる。当初郡役所の官舎として建てられたといわれ、明治後期に
郵便局長を務めた佐藤氏が居住し、その後、昭和初期に籠田氏が居住した。

   
 
二階からの眺めは抜群!

屏風 
 
 
居蔵の館

この建物は、うきは市吉井町の重厚な町並みを形成した土蔵造りのなかでも、
完成度の高い代表的な居蔵家のひとつ。
 吉井は精蝋、酒造、菜種の製油など農産物の加工品を製造、
販売することによって莫大な富を得た。

また、有馬藩の城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿場町として
大いににぎわった。

お祭りに使う獅子頭が展示
お庭の中を町から引いた流水が流れる

 
   
 
堀田の井戸

吉井の宿場の銘水として中世より使われてきた。

またこの脇に流れる水路も「走り井」として
親しまれてきた。 
   
 
高教山 浄満寺浄土真宗東本願寺派

蔵しっく通り 
 
ちくご手づくり村


お待ちかねの昼食

何があるかな〜!

スカートを履いた大根

五月人形
 
解散 14時過ぎ

久留米の近くに歴史を感じさせるこんな素敵な場所があったのかと、
感動しました。車で通り過ぎるだけでなく、まちなかを少しだけ外れて
あるいてみると、そこに古い歴史が浮き上がってきて、
現代の私たちにも語りかけてくるものがあることを実感できる1日でした。

人間の知恵と努力によって手に入れた穀倉地帯では、豊かな文化と
豊かな人間がはぐくまれて行き、豊かな歴史が築かれて行った事を、
探検を通して感じました。次回の久留米ん町探検が楽しみになりました。

皆さんお疲れ様でした。

高木隊長の目に見えない陰の努力にいつも感謝しています。

backへ 次へ