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上津校区の文化財

文化財

上津・藤光・藤山の3つの町があります。この3つの町をあわせて、上津校区と呼んでいます。上津校区の西側には国道209号線、東側には国道3号線と高速道路が通っています。九州の重要な交通路が通る大事な場所です。
そんな上津校区には、古くから人々が住みつき、生活していたことがわかってきました。高良台や上津・藤光ニュータウンからは、2万年前の旧石器時代の人々が使っていた石器がたくさん見つかっています。人々は、狩りをして暮らしていたのです。つづく縄文時代も高良台が狩場でした。


弥生時代

弥生時代になると、人々は稲や豆などを育て食べるようになりました。笹井原遺跡や古賀前(こがんまえ)遺跡などでは、そのころのムラの跡が見つかっています。 上津校区は、古墳が多いことで有名です。甲塚(かぶとづか)古墳、浦山古墳、本山(もとやま)古墳は大きな前方後円墳で、豪族のお墓です。普通の人々のお墓は、浦山古墳群・極楽寺墳群などの小さな円墳がたくさん集まったものです。平野遺跡では、豪族の屋敷が発見されました。ふつうの入々の家は、車地(くるまぢ)遺跡などで見つかっています。
飛鳥時代には、大宰府を守るために「藤山道」をふさぐ上津土塁跡がつくられました。「西海道(さいかいどう)」と呼ばれる、大宰府と地方を結ぶ大きな道路もつられました。 奈良・平安時代の村は車地遺跡や笹井原遺跡などから見つかりました。 室町時代になると、古賀前遺跡などに有力者の屋敷がつくられました。彼らは、堀で囲んだ屋敷で暮らし、お茶を飲み、稲や蕎麦をつくっていました。
このように上津校区には、たくさんの古い文化財があるわけです。まだわからない謎もたくさんあります。さあ、あなたもこの文化財マップを片手に、小さな時間旅行へ出かけてみませんか?

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