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東国分・西国分校区の歴史年表

遺跡名 遺跡の時代 遺   跡   の  概  要
筑後国分寺跡 奈良平安 天平九年(741年)国分寺創建の詔によって建立。発掘調査によって、講堂塔跡が発見されました。
国分寺瓦窯跡 奈  良 筑後国分寺創建に伴い、瓦を供給したものと考えられています。
正源寺遺跡 弥  生 弥生土器片が散布していますが、詳細は不明です。
隈山遺跡 弥生・古墳
室町・戦国
弥生土器・須恵器・青磁が散布しています。又、石塔婆類が散布する、中世墓地でもあります。
山の神古墳群 古  墳 巨石を用いた横穴式石室を含む3基の円墳がありましたが現在は消滅しています。
中隈山古墳群 吉  墳 6〜7世紀に築造された10数基の古墳で構成される古墳群で、現在は3基程度が残っています。
十三塚跡 古墳(?)歴史 坊ノ津街道沿いに連なる7つの塚と他の6つの塚からなるもので、古墳とも供養壇ともいわれています。
天神塚古墳 古  墳 直径16m程度の円墳と想定されますが、出土遺物や内部構造は不明です。
船塚跡 古  墳(?) 武内宿弥が船を着けた伝説がありますが、箱式石棺が出土したものと思われます。
正福寺遺跡 縄文平安 縄文時代中期〜後期の遺物が発見されていて、瀬戸内地方の土器も出土しています。
大木下遺跡 縄  文 縄文時代後期の西平式土器三万田式土器が出土しています。
宮ノ脇遺跡 縄  文 縄文時代前期後期・晩期の土器石器が多数出土しています。
政所遺跡 縄  文 縄文時代前期・後期の遺物が採集されています。
上ノ原遺跡 歴  史 筑後国府から筑後国分寺へ通じる道路状遺構を検出。
名入遺跡 縄  文 縄文時代中期・後期の土器・石器が採集されています。
三池(焼刃の池) 歴  史 三池典太の鍛冶場跡と言われますが現在は消滅しており、詳細は不明です。
国分白川城跡 戦  国 高良山座主家一族の丹波良運の居城と伝えられています。
野中東田遺跡 縄文・平安 縄文時代晩期の土器・石器が出土しています。又、平安時代の里道と思われる遺構も検出しました。
野中前遺跡 古  墳 古墳時代後期の集落遺跡で、竪穴住居が7軒、掘立柱建物が2棟検出されています。
野中三十六遺跡 古  墳 古墳時代後期の集落遺跡で、竪穴住居が1軒検出されています。
生尻遺跡 弥生・歴史 推定西海道の延長線上に位置する。弥生土器・土師器陶磁器が出土しています。
日渡遺跡 縄文'弥生
奈良平安
鎌  倉
縄文時代の一大遺跡群の一つ。弥生時代の掘立柱建物や奈良〜鎌倉時代の井戸を検出。平安時代の土坑から銅印が出土。
野中本村屋敷遺跡 江  戸 18世紀後半〜19世紀前半頃の農村のゴミ棄て穴を検出しました。
大園遺跡 平安・鎌倉 土師器須恵器白磁青磁等が発見されています。
粟林遺跡 歴  史 土師器や青磁等が採集されています。
東野亭焼窯跡 江戸・明治 第11代久留米藩主有馬頼成が開窯した「お庭焼き」。明治8年に廃業となりました。
西海道跡
(上牟田地区)
奈島平安 筑後国府〜肥後国府を結ぶ官道(幹線道路)で、幅7m以上の道路が発見されました。
堂ノ脇遺跡 弥  生 弥生時代中期の土器や筑後国分寺のものと思われる古瓦が出土しています。

東国分・西国分校区の歴史年表


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時代 西 暦
日本のできごと 東国分・西国分校区のできごと
旧石

狩りや漁・採集などで生活する

土器や弓矢を使い始める
10.000



日本列島がほぼできあがる 正福寺・大木下宮ノ脇・政所・名入遺跡
6,500

(日渡遺跡群)に多くの人々が生活する
3,500


400
稲作が伝わる
B.C.
A.D、




倭国大乱
卑弥呼が邪馬台国を治める

300


古墳
400
古墳が造られ始める

磐井の乱(527)仏教伝来(538) 野中前野中三十六遺跡に大きな
600

集落が営まれる。
大化改新(645)白村汀の戦い(663) 中隈山・船塚天神塚・隈山等の


古墳が築造される

藤原京に都を移す(694)
奈良
700
平城京に都を移す(710) 西海道(古代官道)が整備される
筑後国分寺(僧寺尼寺)が建立される
平安

平安京に都を移す(794)
鎌倉
1,200
鎌倉幕府の成立(1192) 大園遺跡
栗林遺跡
1,400
室町幕府の成立(1338)

応仁の乱おきる(1467)
安土
桃山

豊臣秀吉の天下統一 丹波良運が国分白川城を居城とする
江戸
1,600
汀戸幕府の成立(1603)
明治維新(1868)
東野亭焼窯
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