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草野校区の文化財

文化財

草野町は久留米市街地の東部に位置し、東をカッパで有名な田主丸町に接します。北に筑後川を望み、屏風を立て連ねたような起伏の少ない嶺を持つ耳納連山の北麓に、古くは中世の豪族「草野氏」の勢力を背景に筑後国の一大拠点として、また江戸時代には豊後へ通じる日田街道の宿場町として栄えました。


草野一族の活躍

また、古代においては、日本で米作りが本格的に始まった、今か2000年前の弥生時代の遺跡として、東諸富遺跡や春遺跡から竪穴住居の跡が確認され、当時よりこの地域に人々が生活していたことが分かりました。次の古墳時代になると下馬場古墳や前畑古墳などの装飾古墳が多く造られ、浮羽郡地域を含めた耳納北麓に見られる独自の古墳群を形成しています。
中世の草野一族が活躍した平安時代末から安土桃山時代にかけての約400年間における栄枯盛衰の面影は、今なお北麓に営まれる寺院や神社、中世の城跡など、随所に見ることができます。草野氏の居城である竹井城や発心城、一族によって創建された須佐能衰神社や若宮八幡宮などは、現在も地元の氏神として祀られています。

「久留米市伝統的町並み

現在、「久留米市伝統的町並み保存地区」として江戸時代から近代初期の建造物が整備され、草野の山辺道沿いには鹿毛家住宅に代表される町家の町並みや、旧草野銀行の建物を活用した草野歴史資料館、病院跡を復元整備した山辺道文化館の他、隣り合う矢作地区にも汀戸時代から大正時代の地主や豪農たちが築いた農村集落の町並みが残っています。年1回「まちかど博物館」として、これらの建造物が一般公開され、大勢の観光客で賑わいます。 このように草野校区には、古代から近代にいたる歴史的な風景が地元の皆さんによって守られてきました。緑豊かな山麓の風景と、歴史的な魅力が調和した草野校区に、あなたもこの『文化財マップ』を片手に、ちょっとした時間旅行へ出かけてみませんか?

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