註 漢文は書き下し文・漢字は当用漢字・仮名使いは現在に変更しています


日向神紀行    三逕迂人

  余八女の奇勝を探らんと欲すること、茲に年あり、本年八月に至り、始めて其の願いに酬ゆることを得たり。二十四日門を出づ、同行は嶋寛太郎、渡辺勘次郎余を併せて三人。
真の行脚の軽装にて、先づ一条村に出てけるに、一天掻き陰り、横山あたりにもならん、雷の音聞えければ、取り敢えず。

 なる神の 音きこゆなり 雲かかる
 横山ねろに 夕立すらし

                              藤本雲外
 重畳峰雲合す 雷殷横岳の陽 言わず前路の険 天もまた行装を壮にす
    次    韻                   師富蘆谷
 手を携えて三潴を辞し 観風箕陽に入る 天もまた此の挙を壮とす 雲雷旅装を促す
 星野沼北曰 軽装途に上る、遥かに横山の一帯を望み、忽ち殷雷の山阿に起こるを聞く。一行白雨将に来るの光景爽快の状想うべきなり。蓋し山霊此の行を喜び、雷電を馳せ風雨を駆り、将に路塵を一掃し、以って玉趾の来遊を迎えんとなすか。
此の遊また奇かな、呵々。
 宮崎来城曰  天先づ雷雨を遣り其の才を試む、すなわち此の詠無かるべからず。


(原文漢文)

それより吉田村の石人、ならびに磐井が古墳等を探り、忠見村に出て、山内に入り藤本雲外氏を訪う。氏曰く、当地にも山内八景とて随分見るべき所あり、余は兄等の為に東道の主人たらん、是非一泊すべしと、懇切なる勧めに遂に一泊することに決せり。先づ虎山に上り、道尾を攀ちに、虎山は桜花を以って、道尾は眺望を以って、各其の景勝を占む。若し之をして都会の地にあらしめば、必ず世人の賞観する所となるべきに、如何せん八女の山中に隠れたれば其の名著れず、余山霊のために多少の感を惹き起しぬ。人間の一生もまた此の如し、如何に卓識高見の君子も、田舎に在りては埋れ木同様となりて終わること是非なき次第なり。されど君子は名を求むるに汲々たらざれば却って其の高尚の精神を見得べし。

 雲外曰、兄の為に山内八景を紹介せん曰く虎山の桜花、鞠峰の秋月、道尾の眺望、狗渓の飛瀑、童南の古窟、星水の蛍火、板付の奇巌、白渡の長橋是なり。兄其の二景の観るのみ、他の再遊を待つ遍く探討せよ。(原文漢文)

沼北曰, 居士平生済物の志、境に触れ感を発す、蓋し性情従り出る者、また文字の外に在り。

(原文漢文)
来城曰、 慨を寄す浅からず。

 翌廿五日雨を衝て藤本氏を辞し、長野本分を経て、黒木町を通り、矢部川に沿い、木屋村を過ぎ大渕村に着し、五条男を訪問し、古文書を拝観せんとせしに、男は出福中にて其の望を達するを得ず。遺憾の極なりき。男の祖先は、後西将軍良成親王に随って九州に下り、賊を討て克たす、親王薨去の後、此処に住し世々将軍の冥福を祈り来りしものなり。然れども至誠の貫く所、維新中興の隆運に会し、明治三十年官其の勲功を追賞し、男爵を授与せらるゝと云う。辞し去って一小茶店に就き午餐を喫す。此の山中、今や道路開鑿せられ、荷車も腕車も通いければ、
例の
来て見れば 開け開けて 八女山の
    奥も道ある 世となりにけり
  小車も 通うばかりに なりにけり
    ゆきなやみしを 八女の山道

雲外曰 亡父存在日、此の歌を評し左云う
 まきの立つ 八女山奥も 行きやすく
 道ある御代と なりにけるかな

来城曰 余また嘗って八女峡に赴く途上に詩有り云う
 層(山献)氤うん午煙散ず、潺湲たる流水梯田に下る
 数家の聚落山塢に依る 一逕紆えい嶺巓に上る
 犬は吠え声有り樵客過ぐ 鳥啼て随意野人眠る 
 門を扣て少く憩う茅簷の下 村酒香を温めて銭を用いず

(原文漢文)

 十数丁余にして、所謂日向神に着す。誠に非常の絶景にて、渓門とも云うべき所に黒岩屹立し、雨戸岩、御祓岩、釣鐘岩、蹶破岩其の他数十の岩石雲辺羅列し、矢部川其の間を流る、川に千畳敷とて御影石の平衍なる石あり、壮観極まりなく、如何なる画工の写し能わざるべし。然し日向神の下、大道開通したる為、甚だしく風致を損し、俗客に目かけせらるゝは、山霊水神の大不平とする所ならん、総て絶景なるものは、山を攀ち谷を渉り、千辛万苦して行くこそ、真の趣を添うるものなれ。この時此の時雷雨忽ち至り、衣襟悉く濡う。

 雲外曰 昨夏此の地を過ぎ、また同嘆を発す。
師富蘆谷曰 道路開けて而して文人墨客踵を接す、八女の美景、
今将に天下に著れんとす、水神山霊の喜び、何ぞまた之に加えん。
おもえらく俗人の目送論ぜずして可なり。

(原文漢文)