佛教入る
一三、佛教入る

武内宿禰の裔 と称する美濃理麿の三男保依が出家して隆慶と号し、後の座主家の基を開いた事に就いて「古は佛教を禁ずる事甚だ厳しかったが、天武天皇の御世に仏教が入って以来、大祝の三男を以って神宮寺となした。(旧記)と云われ、又「白鳳年中一僧初めて高良山に来たり仏教を初め三男をして妻帯の社僧となした」(大祝旧記)と記されて居る。
 白鳳なる年号は所謂私年号(偽年号)で正史に見えないものであるが、此頃の社寺縁起 等の中に多く用いられて居る。従って一定した年次は求められないが「高良玉垂宮縁起」の奥付に「白鳳十三歳葵酉」とあったと云わるれば、此頃に最も近い葵酉年は第四十代 天武天皇元年(西暦673年)に相当する。依て高良山関係の文書中に現れて居る白 鳳は、天武天皇元年を遡る十三年、即ち第三十八代天智天皇元年(西暦661年)以降を称する事として置こう。
 以上より見て高良山中に一僧来たって仏教を始め、大祝の三男をして社僧となしたのは 神社創立後三百年頃即ち天智天皇の時代であると云える。

    ○

         良山 勝遊         失名

   東郊緩歩謝塵間  駅路郵亭此解顔

   築府城隈遥可顧  高良山磴忽将欅

目次へ 一四、最初の寺院へ