此頃高良山大祝家にとって一つの哀話がある。三潴郡下田の城主堤貞元は曩に竜造寺家門の婿となって大友に背き、天正十年三月三日、兵を竜造寺から借りて邊春城(八女郡)に押し寄せた。其の人数凡五百人。城主邊春鎮信は士卒を下知して防いだが衆寡敵せず、急使を高良山に遣わし大祝鏡山安常、大宮司稲員安茂に救いを求めた。安常は鎮信の婿であり、安茂は同じ高良の社稷である。直ちに兵を連れて邊春に打ち立ったが、安茂は「鎮信は大友の幕下で安常はの縁者、自分とは朋友の間であれば赴き救わねばならないが、然し是は私事である。汝等は命を全うして主君大友の為に尽すのが忠孝両全の道と云うものだ。と云って許さない。又安常の妻(鎮信の女)は「仮令女の身とは云え、父の危急を聞きながら安閑として居るは孝子の道ではない」と諌める左右の者を退けて邊春の城に急いだ。安常に従う者は八十九人、安茂の従士は五十一人、如に鎮信と力を協せて戦うとも落城の運命は既に目前に迫って来た。安茂は是を見て死を決し、己が従士川口常行を招き「す既に落城の期は迫って来た。汝は直ちに高良山に立ち帰り、保真(安常の子)を護って当家安全の計を回らせ」と諭せば、常行は死を共に願って聞かず。安茂は声荒げ「汝は主命に背き長老の言を用いないのか、不忠不悌の罪人とは汝の事だ」と弓を以って其の背を打ち、稲員茂治を呼び「常行と共に高良山に帰り、安守・安直力を協せ保真と共に主家大友の為に尽せ」と諭さば、茂治・常行も詮方なく残れる士卒を引き具して泣く々家に帰ったが、十一日城は遂に陥りて鎮信初め一族安常(四一)安茂(七六)以下悉く討死し、安常の妻(三八)は母諸共に自害した。大友は之を聞いて保真に六十町、安守に廿五町を贈って其の父祖の忠戦を賞した。
○ 源泰賢
ゆたかなる田面の秋の満かな
寶のやまのみねのつきかげ