神籠石
四二、神籠石

高良山中には考古資料として有名な神籠石が在る。巨大な石を並べて山を環状に取り巻いた者で、武藤直治、石野義助両氏の研究踏査によれば列石の総数一千二百九十二個、一個の大きさは長さ八○糎内外のものを最も多く大なるは三米を越えている。虚空蔵附近より北谷を越え、南谷を横切る所に水門の跡と思われる箇所を残し極楽寺跡、鷲見嶽を廻り、神社の後方より吉見嶽に向って居る。

 此の神籠石の築造に就いては「鬼が一夜の中に作った」と云う傳説があり「武内宿禰が結界の場所として作った」(玉垂宮縁起)とも、「筑紫国造磐井の蕃居せし跡で、磐井とは岩居の意ではあるまいか」(筑後国史)などゝとも云われて居るが、元来神籠石は高良山特有なものではなく、山門郡東山村女山、糸島郡雷山、八女郡串毛村田代、嘉穂郡頴田村鹿毛馬、都郡稗田村御所谷等にも発見せられている。併し是が殆ど本県内に限られ其の他にては山口・香川の二県に僅か一、二をみるのみである事は学者の大いに注目する処で、上古朝鮮或は支那と交渉あったものではないかと見られて、従って既述の邪馬台国dの関係も研究されて居る。

 其の構造の目的に就いて、防人を置き烽火台を設けた場所、牧場の区域の跡、上代における古墳兆域の石垣、水城・城郭の跡、磯城・磐境の類、有力なる豪族の宅址として居た者であろうと解する事が普通である。

いつの世に如何なる人か築きけむ 名さへくずしき神籠石はも   黒岩三堂

神籠る築の石や蔦紅葉           巌谷小波

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