●河童相撲


巨瀬川のほとりにある高橋大明神は昔、河童と神様が相撲をとったといわれているところで、祭神は菅原道真と水分神です。 昭和62年、郷土史家の金子文夫氏が発見した慶安3年の古文書「筑後由来」によれば、源氏に攻められた平氏の一族が巨瀬川に追い詰められて戦死し、「河伯」となったとか。別の伝承によれば、巨瀬川の河童の総大将巨瀬入道は平清盛の化身といわれたり、河童九千坊の頭目が配下を従えて棲むと信じられてきました。

ちびっこ河童の はっけよいのこった

その河童供養のため毎年5月には川祭りが行われます。川祭りは、水ぬるむ頃に河童が好きな胡瓜や酒を川中に立てた笹竹につるして供え、子供に事故のないことを祈願するもので、河童相撲は相撲が大好きな河童が水神に挑んでこっぴどくたしなめられた伝承にちなむものです。 古文書の発見をきつかけにできた吉井町河童会が秋の放生会の出世相撲を50年ぶりに復活させ、河童相撲と呼ぶようになりました。昔は横綱雷電とも対戦した吉井町出身の江戸大相撲・岩井川逸八関が満年願で奉公した相撲興行にはじまる盛大な出世相撲でした。九州全土から力自慢が集まって技を競った二百年来の歴史ある取り組みでしたが、最近では背中の甲羅も生乾きのちびっ子河童が主役となりました。

左/背中の甲羅は手描。頭の皿は、おじぎすると水がこぼれるからない。
上/表情がなんともいえない高橋神社の相撲河童。

NEXT BACK TOP